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2021年05月30日21:56

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ジャンボ鶴田怪物伝説(770)

86年6月29日、コロラド州デンバーでのスタン・ハンセンの欠場により、闘わずして新AWA世界ヘビー級王者となったニック・ボックウィンクル。王座決定戦をやらずにそのまま新王者になったのは81年5月10日、バーン・ガニアが引退試合を行った後に次いで2回目。

勿論、ニックが闘わずして王者に指名されるに相応しい選手であることは言うまでもないですが、このあたりは「身内に甘いオーナー企業人事」みたいなもので、それについてガニアに物を申せる人物もいなかったでしょう。

ハンセンは、その週の金曜日、7月4日、大宮市民体育館で開幕した全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」にベルトを持って来日、「俺は負けていないのだから俺が王者、ベルトはここにある」と王者宣言し、馬場はこれを信じて7月26日、金沢・石川県産業展示館での天龍戦、7月31日、両国国技館での鶴田戦と防衛戦を開催しました。

しかし、プロモーター同士の付き合いを重視する馬場がガニアに裏を取らないでタイトル戦を行う訳もなく、日本にハンセンがベルトを持って来日し、天龍、鶴田と防衛戦を行うことはガニアは了承済だったのではないでしょうか?

ハンセンが日本に行っている間、ニックはAWA圏でタイトル戦をやっていたのか?かつての「伏魔殿」と言われたロサンゼルスのWWAのような事態になってしまったのか?

ニックの86年7月の試合記録を調べてみました。

7月11日、イリノイ州ストリームウッド ●vsカーネル・デビアース(エド・ウイスコフスキー) 負け。

7月12日、ウイスコンシン州ミルウォーキー ●vsノード・ザ・バーバリアン 負け。

7月13日、ミネソタ州セントポール・シビックセンター ●vsNバーバリアン 負け。

7月18日、ウイスコンシン州アップルトン ●vsデビアース 負け。

7月19日、イリノイ州シカゴ・UICパビリオン ●vsNバーバリアン 負け。

7月21日、(米版CWA)テネシー州メンフィス・ミッドサウス・コロシアム ○ジェリー・ローラー タイトル戦、勝ち。

判明しているだけで6試合、6試合中5試合が負け、詳細は不明ですが、これは腑に落ちません。私なりにこのように推測を立てました。

ガニアはハンセンからAWA世界ヘビー級王座を剥奪し、ニックを王者に認定したが、これはハンセンとガニアのトラブルであり、ハンセンと契約している全日本プロレスとは無関係。

ハンセンが7月にAWA世界ヘビー級王者として全日本プロレスに参戦することはベルト剥奪前には決まっていた話で、ハンセンを丸腰で全日本に参加させることは馬場が了承しなかった。ハンセンの代わりにニックが全日本に行くことは最初から論外だった。

ガニアは日本国内限りの話であり、ハンセンを王者として送らざるを得なく、タイトル戦にかかるフィーを馬場から徴求しようと考え日本での2試合のタイトル戦を行うことを了承。そしてハンセンはレプリカベルトを借りて全日本プロレスへ来日した。

とは言え、せっかく王者となったニックに防衛戦をやらせないのは興行的にも損失であり、ローラー戦以外は実際には全てタイトルマッチとして行っているが、公式記録には載せていない。ローラー戦以外全敗と言う記録は例え、ノンタイトルであっても王者がデビアース、Nバーバリアンに全部フォール負けするのも不自然で、おそらく全て反則かリングアウト負け防衛になっていると思われます。

7月21日、メンフィスのローラー戦だけはタイトル戦という記録になっていますが、こちらは米版CWAの興行であり、AWAの興行ではなかった為に隠すことは出来なかった、と推測できます。

ハンセンが「サマー・アクション・シリーズ」帰国後にAWAにベルトを返上(正確には返却)した以降の8月からはニックはNバーバリアン、ボリス・ズーコフを相手に公式記録に残る防衛戦をやっています。

さて、ハンセンに話を戻しますが、半年間の王座でしたが、日本とAWAを往復、過酷なフライトもこなして、ベルトを守り、鶴田よりは間違いなく貢献はしたと思います。
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