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2021年01月07日22:59

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(1)

2017年9月6日〜2019年12月26日までの対戦成績は116戦24勝92敗。勝率207

第117戦 1月8日発売号。●【予想】猪木、雪害の為会場入り出来ずインターナショナル・タッグ選手権試合は王座決定戦に変更、馬場&吉村道明組vsクラッシャー・リソワスキー&ビル・ミラー組(68年日本プロレス広島県立体育館)【正解】70年正月の日本プロレス界の風景(70年)【参考】2014年1月8日発売号は天龍vsキング・ハク(91年SWS名古屋・露橋スポーツセンター)

【解説】68年は1月3日にTBSの放映が開始された国際プロレスとの興行戦争、「隅田川決戦」(日本プロレスは午後1時30分より蔵前国技館で馬場vsクラッシャー・リソワスキーのインターナショナル選手権試合、国際プロレスは午後5時30分よりルー・テーズvsグレート草津のTWWA世界ヘビー級選手権試合をメインに興行戦争を展開、日本プロレスは日本テレビで当日午後5時30分からディレイ中継を行い、国際プロレスの出鼻を挫く作戦に出た)に圧勝した日本プロレスは1月6、7日の両日、大阪府立体育会館で2連戦を行いました。

7日の大会で馬場はカーチス・イヤウケアを破りインターナショナル王座19度目の防衛に成功、猪木は吉村道明と組んでクラッシャー&ケン・ホリス組を2−1で破っています。翌8日は広島県立体育館大会でしたが、猪木は所用の為、日本プロレスの巡業から1人離れ7日の大阪大会が終わると帰京。

翌8日の午後の便で猪木は広島入りする予定で、メインイベントで馬場と組んでクラッシャー&Bミラー組とインターナショナル・タッグ王座の防衛戦を行うことになっていましたが大雪の為に広島空港に着陸することが出来ず、試合に間に合わないという事態になりました。

日本プロレスでは急遽、この日のメインのカードを変更、馬場&吉村組vsクラッシャー&Bミラー組によるインターナショナル・タッグ王座決定戦にカードが変更されました。1本目は4分36秒にミラーが吉村を体固め、2本目は9分27秒に馬場がミラーを体固め。3本目は6分13秒に両チームリングアウトとなり1−1の引き分けで王座は空位のまま。

9日の松山・愛媛県民館大会で日本プロレス勢と合流した猪木は馬場達に詫びを入れましたが、この猪木の単独行動は多くの非難を浴びました。この時の猪木の帰京理由は当時非公表とされていた(プロレス&ボクシング誌には掲載されていた)ダイアナ夫人、もしくはダイアナ夫人との間に生まれた娘の文子ちゃん(小児癌に冒され8歳で夭折)の急病説が後付けで報じられましたが真偽の程は定かではありません。

今の時代なら家族の病気により試合を休むことは特別視される問題でもないですが、53年前はプロレスラーという商売は「親の死に目にも会えない」商売というのが一般的な考え方でした。

猪木が会場入り出来ないと聞いた時、馬場のパートナーには猪木を非難した大木金太郎が真っ先に名乗りを上げ、ベルトを獲る気満々でしたが、マッチメーカーをしていた吉村が大木をなだめ、いい仕事をしてドローに持ち込んだおかげで猪木は救われ、2月3日の大田区体育館で馬場と組んで王座決定戦に出場、クラッシャー&ミラー組を2−1で破り、王座返り咲きを果たすことが出来ました。

一方で王座決定戦出場に名乗りを上げ、外された大木は国際プロレスへ移籍を図ろうとして1月17日、国際プロレスの仙台・宮城県スポーツセンターの会場に姿を現したものの、「逆らうことが不可能な圧力」(反社会的勢力)によって移籍は未遂に終わりますがこちらについては本題から外れるので割愛致します。

70年から20年でちょうど丸50年、半世紀が経過したということで流さんは50年前の70年正月の日本プロレスの風景を考察、前69年、柔道日本一から67年に日本プロレス入りした坂口征二が海外修行を終えて4月の第11回ワールド・リーグ戦に凱旋帰国、同リーグ戦は猪木がクリス・マルコフを破って初優勝するなど「馬場一強体制」から複数スター制へと移行。

坂口の帰国で空前のプロレスブームが到来し、7月2日からはNETテレビ(テレビ朝日)による2局放送が開始され、日本プロレスは先発の日本テレビと合わせて2局から放映権料が入って来るという「我が世の春」を謳歌していました。

日本もこの年には大阪で日本初の万国博覧会が開催され、世は高度経済成長期を維持し万博を期にカラーテレビの普及が急速に進みました。プロレスも戦後、テレビと共に発展してきたジャンルであることからカラーテレビの普及率の上昇は前年起きたブームに拍車をかけることになりました。 

70年という年は馬場、猪木、坂口、大木、吉村が日本プロレスの中心におり、選手離脱などの事件のない「無風状態」の1年でした。翌71年には5月19日、大阪府立体育会館で第13回ワールド・リーグ戦に優勝した馬場に猪木が挑戦を表明、年末に猪木が会社乗っ取りを企てたクーデター犯として日本プロレスを除名・追放処分となってしまいますので、平和な1年であったと言えるでしょう。 

また、国際プロレスも1月モンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)、2月に前年、業務提携を結んだAWAのオーナー兼トップレスラーであるバーン・ガニアが初来日するなど話題を提供しました。 

それから50年、半世紀経った20年は56年ぶりに東京五輪が行われるということで希望に満ちたスタートが切れるはずでしたが、新型コロナウィルスの影響により、まるっきり違う光景を目にすることになろうとは、正月の段階では思いもしませんでした…。

※対戦成績は117戦24勝93敗。勝率205。
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