85年「激烈!スーパー・パワー・ウォーズ」第2戦は3月30日、後楽園ホール(観衆3,200人超満員発表)大会。この日はジャパンプロレス主催でした。馬場は1シリーズの内、後楽園ホール大会が複数回開催される場合、最低1大会はジャパンプロレスへの売り興行としています。
満員、超満員が確実に見込める後楽園ホールだけにジャパンプロレスには最大限の配慮をしていました。私は29日の開幕戦のみ生観戦し、この日は会場には行っていません。
第2戦のメインイベントは長州力とスタン・ハンセンが3年3か月ぶりにリング上で相対する長州&谷津嘉章&アニマル浜口組とハンセン&ロン・バス&ボブ・ブラウン組の6人タッグマッチ。
長州とハンセンは81年12月9日、新日本プロレス岐阜市民センターでの「第2回MSGタッグ・リーグ戦」公式戦、長州&谷津組vsハンセン&ディック・マードック組の「テキサス・ロングホーンズ」戦以来の対戦、結果的にはハンセンの新日本「ラスト2」マッチだったわけですが7分19秒、ハンセンが長州をウエスタン・ラリアットから体固めでフォールし、ハンセン&マードック組が猪木&藤波組と並ぶ2位で決勝進出への望みを繋いでいます。
翌12月10日の大阪府立体育会館での優勝決定戦は先ずは同点2位の猪木&藤波組vsハンセン&マードック組が決勝進出者決定戦を行い、12分47秒、猪木とハンセンが両者リングアウト。再試合となり、マードックの藤波へのブレーンバスターを猪木が下からマードックの足を引っ張って倒し、そのまま藤波が上になり3分25秒、体固めでマードックからカウント3を奪い、優勝決定戦進出。
リーグ戦1位のアンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ組と猪木&藤波組による優勝決定戦は8分5秒、アンドレが藤波をジャイアント・プレスからの体固めで降しアンドレ&グレイ組が優勝。
ちなみにこの日長州は第5試合に出場、坂口征二と組んでラッシャー木村&寺西勇組の国際軍団と対戦、8分14秒、長州が寺西を体固めに決めています。
その3日後の12月13日、全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦の蔵前国技館大会に姿を現したハンセンはメインイベントの最終公式戦、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組vsブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組の試合にブロディ&スヌーカ組のセコンドとして登場、場外でテリーにウエスタン・ラリアットを見舞い、テリーは戦線離脱。
孤立したドリーをブロディ&スヌーカが2人がかりで痛めつけ、21分41秒、ブロディがドリーをキングコング・ニードロップからの体固め。ブロディ&スヌーカ組が初参加、初優勝。ハンセンもリング上に上がって2人を祝福。
そこへ馬場、鶴田がファンクスを救援に入って乱闘、ハンセンは馬場の脳天チョップで額から流血、乱闘となり全日本プロレスへの移籍を実質的に表明しました。
ハンセンが去った後の初の新日本プロレスの興行でもあった翌82年1月1日、後楽園ホールでの元日特別興行で長州はアニマル浜口とシングルで対戦。この試合で初めてラリアットを公開しています。(試合は7分46秒、両者リングアウト)
この年長州は春の本場所、「第5回MSGシリーズ」を全敗のまま負傷を理由に途中棄権。シリーズ終了後のドバイ遠征には参戦しましたが、その後の「ビッグ・ファイト・シリーズ」は欠場してメキシコへ遠征。
8月6日、メキシコシティ・アレナ・ネサワルコヨでカネックを破りUWA世界ヘビー級王座を獲得。凱旋帰国前の9月26日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノスではカネックに敗れ王座転落していますが、10月8日、後楽園ホールでの「闘魂シリーズ」開幕戦に半年ぶりに凱旋帰国。
開幕戦ではメインイベントで猪木&藤波とのトリオでアブドーラ・ザ・ブッチャー&バッドニュース・アレン&SDジョーンズ組と対戦、入場も先頭、コールも自分が先と遠征前と変わらぬ扱いに腹を立て、藤波のタッチを拒否、仲間割れとなりました。
その後藤波とはライバル関係になりWWFインターナショナル・ヘビー級王座を賭けた一連の闘いは「名勝負数え唄」と呼ばれ、マサ齋藤、キラー・カーンとの「革命軍」、浜口らとの「維新軍」で反体制派のヒーローとなり、84年9月には新日本プロレスを離脱。12月にはジャパンプロレス旗揚げ戦を行い、全日本プロレスへ参戦。
3シリーズ目にしてついにハンセンと団体の長としてリング上で相まみえることになりました。
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