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2020年01月15日22:45

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(6)

第72戦 2月13日発売号●【予想】ストロング小林、国際プロレス離脱を表明、フリー宣言し猪木、馬場に挑戦状。(74年西早稲田喫茶店「ルナ」)【正解】アメリカ修行中の武藤敬司、ホワイト・ニンジャとしてデニス・ブラウンのNWA世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦。(86年2月14日、フロリダ州オークランド)【参考】2013年2月13日発売号は猪木、初来日前のハックソー・ヒギンズとシングル初対決。(85年ハワイ・ホノルル・NBCアリーナ)

【解説】国際プロレスのエースであり、IWA世界ヘビー級王者であったストロング小林が、この日、新宿区西早稲田にある喫茶店「ルナ」で記者会見を行い、国際プロレスを離脱、フリー宣言し、猪木、馬場に挑戦状を送ったことを表明しファン、マスコミを驚かせています。

この出来事は長く新日本プロレスの「引き抜き」と伝えられてきましたが、近年になり引き抜きには違いないものの、前73年あたりからマッチメーカーで取締役のグレート草津との関係が悪化しS小林自身が国際プロレスを辞めたがっていた、という前段があったことが伝えられました。

S小林に近い関係者から「国際プロレスを辞めたいと言っている」という情報を聞かされた新日本プロレスと全日本プロレスが水面下でS小林の獲得に動きました。新日本プロレスは猪木の意向を受けた新間寿が、全日本プロレスは代表である馬場が直接交渉に当たりましたが、新間は「小林さん」とさん付けで呼び終始敬語だったのに対し、馬場は「小林よ」と呼び捨てにして上から目線。業界の大先輩としては馬場の接し方は間違ってはいませんでした。

が、S小林の青梅市小作にある自宅は親子電話であり、S小林の母親が親子関係でやりとりをすべて聴いていました。結果、「馬場さんは感じが良くない」としてS小林に新日本プロレス行きを勧めました。新間はダメ押しとして「今、近くに猪木がいます。代わります。」と言って猪木が電話口に出て「小林さん、猪木です。よろしくお願いします。」と最後のひと押し。S小林は新日本プロレス参戦を決意。

「猪木、馬場に挑戦状」は新日本プロレスが考えたアングルであり、新日本プロレス参戦が決まっているS小林の挑戦を馬場が受ける訳もなく、当然、黙殺。猪木は受けて立ち、3月19日、蔵前国技館で猪木vsS小林のNWF世界ヘビー級選手権試合が実現、29分30秒、猪木が伝説となった「首で支えるジャーマン」で勝利を奪いました。

当日は16,500人発表という超満員の大観衆が詰めかけ、当時は普段プロレスを採り上げない日刊スポーツ、東京中日スポーツ、スポーツニッポン、報知新聞、サンケイスポーツ各朝刊スポーツ紙も一面などで大きく報道。団体分裂で低迷していたプロレス人気に復興の兆しが見えて来ました。

またこの猪木vsS小林の一戦はこの年が第1回目となった東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」の年間最高試合(ベストバウト)に選出されています。

84年は新日本プロレス受難の年で、前83年前半にはブームとなっていたものの、8月にはタイガーマスクの突然の引退(契約解除通告)、猪木の個人事業「アントンハイセル」への新日本プロレスの営業収入流用疑惑による社内クーデター発生に端を発し、その流れで選手、フロント大量離脱となりました。

出る選手も多ければ新たにデビューする有能なヤングライオンが多いのも新日本プロレスの伝統であり84年には3月に再デビューの仲野信市(ジャパンプロレスへ移籍)、佐野直喜、山田恵一、4月には畑浩和、8月に笹崎伸司、9月に橋本真也、10月には武藤敬司、蝶野正洋、野上彰がデビュー。翌85年3月には船木優治(誠勝)がデビューしています。

中でも体格に恵まれ、柔道の経験のある武藤は頭一つ抜きん出ており、85年の3〜4月に賭けて行なわれたヤングライオン杯では同期の中では最多の22.5点を獲得。

8月の「チャレンジ・スピリット85」ではシバ・アフィから対外国人初フォール勝ちを収めた他、ワールドプロレスリングでも試合が放送されました。

10月31日、東京体育館での海外遠征査定試合ではカール・スタイナー(ボブ・ダラセーラ、ザ・UFO)に勝利を収めて海外武者修行の切符を手に入れました。

武藤はフロリダのヒロ・マツダの元に預けられました。坂口副社長が行きの便で付き添い、ビジネスクラスだったとのことでしたから新日本プロレスの期待は初めから大だったと言えます。

武藤はフロリダでは「ホワイト・ニンジャ」のリングネームで活躍、これが後のグレート・ムタの原型となる訳ですが、86年2月14日、フロリダ州オークランドでデニス・ブラウンの保持するNWA世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦。鮮やかなムーンサルト・プレスを披露していますが、カウント3は奪えず。最後はオーバーザ・トップロープの反則負けを取られ、ベルト奪取は成りませんでした。

武藤はフロリダ修行時代、先日の1月12日に72歳で亡くなったケンドー・ナガサキ(桜田一男)とタッグを組み、プロレスとは何か?を叩き込まれています。

2月13日は昭和時代はシリーズオフであることが多く、話題が少なかったためか流さんは発売日の翌日の14日の出来事を持って来ました。

※対戦成績は72戦17勝55敗。
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