ミスターX。プロレス業界では謎の人物を形容する表記として長く使われており、これまで日本マット界にも多数のミスターXが来日していますが、その実力差は様々でした。
日本に現れたミスターXと言えばビル・ミラーがあまりに印象が強いですが、実はミラーより先に61年1月の日本プロレス、春の国際試合に元PWF会長として日本にもお馴染みのロード・ブレアースが白覆面のミスターXとして来日。
しかし、普段はマスクを外して移動していた為に正体はバレバレで、映画俳優のようなハンサムな顔立ちでしたから、何もマスクを着けて試合をしなくても良かったのではないかと思います。
日本で一番成功したのが61年5月の第3回ワールド・リーグ戦に来日したドクター・ビル・ミラーのミスターX。海外修行に旅立つ前の馬場がXとシングルマッチを行いましたが僅か4分21秒、逆エビ固めに惨敗を喫し、「まだまだ世界には強豪がたくさんいる」と実感させられたのは有名な話です。
Xは決勝に進出し、61年6月29日、大阪府立体育会館で力道山とワールド・リーグ戦の優勝決定戦で対決。
1-1から決勝の3本目、Xはマスクの額の部分に凶器を忍ばせ、力道山の頭部にヘッドバットを一閃。すかさずフォールに入り、これを見ていなかったレフェリーの沖識名はカウント3を入れました。
「力道山が負けた…」騒然とする館内。しかし日本プロレスリング・コミッショナー代行の工藤雷介事務局長が「Xはマスクに凶器を入れていた」とクレームがつき、判定が覆って反則勝ちにより力道山の勝利。辛くも3連覇を果たしています。
力道山にとってはスッキリしない優勝となりました。「Xに何としてもリベンジを果たしたい」と力道山はXを日本に残留させました。
61年7月21日、田園コロシアムで力道山はXとインターナショナル王座を賭けて対戦。
1本目、渾身の逆エビ固めでXの膝の関節を外してしまい、2本目戦闘不能となったXは試合放棄。2-0で力道山が王座防衛を果たし、Xのマスクを剥がして正体がBミラーであることを明らかにしています。
力道山は58年8月27日、ロサンゼルスでルー・テーズを破り、インターナショナル王座を獲得して以来、63年12月15日に亡くなる迄王座に君臨していますが、力道山のインター王座の防衛記録は19回説と20回説があります。
75年5月にベースボールマガジン社から発売された「秘蔵写真で綴る日本のプロレス」では19回。それから四半世紀も経った00年5月に日本スポーツ出版社から発売された「日本プロレス50年史」では20回。
その1回の違いは61年5月23日、大阪府立体育会館でのX戦でした。試合は1-1から両者リングアウトの引き分けとなっていますが、
後日聞いた話ではタイトルマッチとして行われたものの、力道山が終始、劣勢に回り、辛うじて引き分けに持ち込んだ為、「これは選手権じゃない」と力道山が試合後にタイトル戦であることを撤回した、というのが真相のようです。
この他、日本プロレスに73年1月に来日し、坂口のUN王座に挑戦したミスターX(ジム・オズボーン)、新日本プロレスに75年10月に来日し、猪木を苦しめ実力者ぶりを発揮したミスターX(ガイ・ミッチェル)らおり、いずれもそこそこの活躍はしていますが、果たして、今回のミスターXの活躍はいかに…
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