シュツットガルトの惨劇と言われたローラン・ボックvs猪木戦は4分10ラウンド闘って時間切れによる猪木の判定負け。
試合を通して受けた印象としてはボックは終始、猪木の攻撃を受けることはせず、猪木の動きを完封してしまい、自分のやりたいことだけをやって勝った感じでした。
判定勝ち、というのがそれを物語っており、猪木の欧州世界選手権シリーズの記録を見てもフルラウンド闘って引き分けはあるものの、判定による勝敗の決着はなく、おそらくこの一戦のみが判定による勝敗を持ち込んだものと思われます。
猪木は連戦からくる疲れと元々の体力面でボックに負けており、内容的には完敗。しかし、モハメド・アリ戦で背負った負債返済の為に、ボックの呈示してきた高額なファイトマネーの前に、プレ日本選手権の前半戦を欠場してまで乗り込んで行った訳ですから、ボックに対して変な仕掛けは当然出来ず。
外敵として地元のプロモーター兼エースだったボックに花を持たせたのは仕方ない判断かと思います。
やはり「モハメド・アリと闘った男」猪木の現地での扱いは破格でシュツットガルトの大会では「KILLERINOKI」というポスターが製作され、猪木がトップロープからフライング・ニードロップを放っているモノクロ写真が使用されました。
ポスターの左側には日本語で縦書きに「日本の猛者アントニオ猪木来たる!」と書かれていました。
キラー猪木、というワードは90年代に入ってから商品として活用されました。
糖尿病から来る体力の衰えから従前のような相手の技を受けきって最後に逆転勝ちするようなプロレスが出来なくなり、スリーパーホールドを多用、相手の目に指を入れるような卑劣な攻撃も目立ちマスコミはそう言った試合ぶりをキラー猪木と名付けました。
94年にポニーキャニオンから発売されたビデオシリーズ「キラー猪木」シリーズの購入特典として、シュツットガルト大会のポスターの復刻版がプレゼントされました。
猪木の欧州世界選手権シリーズはその後も続き、78年11月26日(おそらく時差の関係)の第17戦ではベルギーに飛び、ルーティッヒ・カントリーホールでチャールズ・ベルハーストと対戦、4R1分42秒、逆さ押さえ込みで勝利。
ベルハーストはチャールズ・ベレッツとして国際プロレスに、ジョニー・ロンドスとして新日本プロレスに来日したベテランの中堅レスラー。
第18戦は11月27日、ベルギー・アントワープ・スポーツパレスにてウィリエム・ルスカに4R(試合タイム不明)反則勝ち。
第19戦は11月28日、西ドイツ・シュウェンケン・アルセラング・ホールにてルスカに2R終了反則勝ち。
最終日となった11月29日は先ずスイス・チューリッヒで地元の山岳レスリングのチャンピオンを名乗るルディ・ハンスバーガーとエキシビションマッチを行い10分時間切れ。
その後オーストリアに移動しリンツ・スポーツホールでユーゲン・ウィズバーガーと対戦し4分10R時間切れ引き分け。
23日間に20戦12勝1敗7分。まさに心身を削った激闘でした。
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