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2017年06月03日20:44

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(50)

76年のウィリエム・ルスカと猪木の2月6日と12月9日の2度の対戦はこれより2年前の74年、ストロング小林の時と同じパターンを踏襲しました。

S小林の時は3月19日、蔵前国技館での初戦でまず猪木が先勝。負けたS小林は猪木へのリベンジを誓ってアメリカWWWF地区に遠征に出発します。

フレッド・ブラッシーをマネージャーにヒールとして活躍し12月に帰国、12月12日同所で猪木に再挑戦しましたが卍固めの前に返り討ちに遭いました。

その後フリーとして新日本に参戦し所属になったのはご存知かと思います。

9か月スパンでの同一カードによる同一会場での興行でしたが両大会とも16500人発表という大観衆を動員し興行的には大成功に終わりました。

しかし、ルスカの場合は完成されたプロレスラーではなくおそらく名乗ったのはこの人が初と思われる「プロ格闘家」という肩書きであったのに加え、

2月6日、日本武道館での初戦がバックドロップ3連発によるTKO負けで、内容でも完敗だったことから、1試合だけで完全に「勝負あった」感じで、もう一度やったらルスカが勝つのではないか?と言うファンの期待感が薄かったと思います。

ロサンゼルスでジョバー相手にステフ(硬い)なシュートマッチ的な試合を行い対戦相手から嫌われて事実上プロモーターのマイク・ラーベルからはクビ扱いに。

しかし、ルスカが弱かったなどと言うのは全くの間違いであり、オリンピックの金メダリストで実力は桁違い、バウンサー(酒場の用心棒)で生計を立てていただけに喧嘩マッチでも一歩も退かない実力者。

プロレスラーとして成功するには試合がしょっぱ過ぎて話にならない。

そこで、カール・ゴッチに白羽の矢が立てられた訳です。新日本プロレスからの依頼を受けて、ルスカのコーチに廻り、「猪木の弱点を教える」というプランが考えられました。

思い起こされるのが梶原漫画の不朽の名作・巨人の星で、星飛雄馬の父、一徹が我が子を鍛える為に敢えて敵側となる中日ドラゴンズのコーチを引き受け、アームストロング・オズマを鍛えて飛雄馬と対戦する場面を思い出しますが、実際はゴッチを持ってしてもルスカの抜けない柔道家としての癖を矯正するのは至難の技だったでしょう、

S小林戦とは違いやはりプロレスを基礎から学ばないといけなかった訳でそこでゴッチの指導が必要になったと思われます。
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