スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディは2シリーズ連続参戦。ただし前回は前半ブロディ、後半ハンセンが参戦。中間の1週間のみ2人が一緒に試合をしています。
ドリー・ファンク・ジュニアは8月のスーパー・パワー・シリーズ以来3か月ぶりの来日。また引退したテリー・ファンクが馬場、ドリー組のマネージャーとして来日しています。
タイガー・ジェット・シンと上田馬之助は7月のグランド・チャンピオン・カーニバルPART�薫瞥茖瓦�月ぶりの参戦となりました。前回の参戦では7月26日、福岡スポーツセンターで馬場、鶴田組をリングアウトで破り6日天下ではありましたがインターナショナル・タッグ王座を獲得しております。
ミル・マスカラスは1月の新春ジャイアント・シリーズ以来11か月ぶりの来日でドスカラスは2月のエキサイト・シリーズ以来10月ぶりの来日となりました。
兄弟揃っての来日は82年7月のサマー・アクション・シリーズ以来1年4か月ぶりのことで、例年夏休みの時期に呼ばれることの多かったマスカラス兄弟ですが、この年はテリーの引退もあり、夏場は声がかかりませんでした。
リーグ戦に新風を吹き込むかと期待の大きかったバリー・ウインダムとロン・フラーは共に初来日。
ウインダムは全日本、新日本、国際の昭和3団体全てに参加した黒い猛牛ブラックジャック・マリガンの長男で当時23歳の新鋭。
父親同様2メートル近い長身でしたが若手時代からヒールで売り出していた父親とはタイプは異なり、綺麗なプラチナブロンドヘアに甘いマスク、スリムな身体つきに長い手足とビジュアルにも恵まれ、80年にフロリダでデビュー。
ジョージア州、テキサス州といった南部地区ではすでにスター選手であり、80年大会でのリッキー・スティムボート初来日以来の期待値の高さがありました。
ちなみに後に全日本に来日するケンドール・ウインダムは実弟、同時期に新日本プロレスに来日していたディック・マードックは叔父、後にUSエキスプレスとしてタッグパートナーとなるマイク・ロトンドは義兄弟となり、WWEスーパースターのブレイ・ワイアットは甥にあたります。
ロン・フラーは初来日でしたが、この時はもうかなりのベテランの域に達しており、生年に関しては47年生まれ説と50年生まれ説がありました。
フラーもウインダム同様、プロレスを生業とする家系の生まれで祖父のロイ・ウエルチ、父親のバディ・フラーはテネシーアラバマ、フロリダの一部地区のプロモーターでバディは82年にはNWAの第2副会長に選出されていました。
叔父のリー・フィールズもアラバマを中心としたガルフコースト地区のプロモーターであり、弟のロバート・フラーもプロレスラーで、フィールズのからガルフコースト地区の興行権を買ってプロモーター兼業の選手でした。
ロン・フラーは74年から75年頃に私が購入していたゴングやプロレス誌のグラビアに活躍が報じられていましたので、正直もう少し早く来日していれば…という印象でした。
途中からプロモーター兼業となりなかなか他テリトリーへの遠征が難しくなったのが現状だったかと思います。
鶴見五郎とのタッグで来日のザ・モンゴリアンは75年7月に新日本プロレスのサマー・ファイト・シリーズに初来日したジン・ルイスの変身で来日はそれ以来8年4か月ぶり。
来日前はテキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリック主宰のワールドクラス・レスリングでザ・モンゴルとして瓣髪スタイルで試合をしており、その流れで全日本にブッキングされての来日でした。
85年6月の熱風!サマー・アクション・ウォーズにはカウボーイギミックのテキサス・レッド(レッド・バスチェンが同名のマスクマンを名乗っていたがこちらは素顔)のリングネームで全日本に再来日し、ハンセンのパートナーに抜擢され、7月29日の鹿児島県立体育館では鶴田、天龍組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦しました。
ログインしてコメントを確認・投稿する