一方、長州力以下のジャパンプロレス勢は84年12月8日、全日本プロレスの愛知県体育館大会に軍団で姿を現しています。
この日は土曜日で午後5時30分からの通常枠(関東地区)で全日本プロレス中継の放送があった他(12月4日、福岡国際センター大会を放送)、午後7時30分より特番「土曜トップスペシャル」で名古屋大会を90分枠で生中継しました。
テレビ朝日と違って日本テレビの親切なところは特番のある日もちゃんとレギュラー枠を放送してくれるところで、さすがプロレス中継の老舗だけのことはありました。
この日は2大公式戦が組まれ馬場、ラッシャー木村組と鶴田、天龍組が対戦。
馬場、R木村組はこの日まで2点と振るわず。試合はR木村が天龍をラッシング・ラリアットであわや3カウントというところまで攻め込みました。
セコンドにR木村と一緒に10月にUWFを退団した剛竜馬の姿が。剛の動きが変でエプロンまで上がって来てR木村と何やらアイコンタクト。
その時R木村はいきなりパートナーの馬場にラリアット、ダウンした馬場を攻撃。
対戦相手の鶴田、天龍も師匠馬場を救出せんとR木村にストンピング、剛もリング内に入って来ましたがR木村は控室へ剛と退散してしまいました。
8分20秒、試合放棄となり鶴田、天龍組の勝利。
翌85年に長州力のジャパンプロレスが参戦し一気に大所帯に膨れ上がってしまうことが確実視される全日本のリングにR木村のポジションはあっても剛は最初から余剰人員であり、普通に全日本本隊に受け入れて貰える可能性は低かったです。
心優しいR木村は自分と一緒にUWFを辞めて来てしまった剛に「再就職」の場を与えようと自らヒールとなり、全日本のリングでも新日本の時の国際軍団のようなヒールユニットを作ろうと考え、おそらく馬場に頼みこんだと思われます。
実際に新日本プロレスではぐれ国際軍団の首領としてヒールをやり、新日本ファンからは野次と罵声を浴びせられ、心ない新日本ファンから代々木上原の自宅に石や生卵が投げ込まれ、飼っていた愛犬がノイローゼになって死んでしまったという残念過ぎるエピソードを持つR木村はせっかく馬場のパートナー、ベビーフェイスとしてファンの暖かい歓声を浴びるようになったのに今更わざわざヒールにならなくても良さそうな感じですが、R木村は自分の事より人の事なのでした。
しかしこれはある意味懸命な選択でした。ジャパン軍団も基本的にはベビーフェイスなので、ヒールならば全日本本隊、ジャパンの両方と闘うことが可能。
そうなれば地方興行の6人タッグなどでは必ずニーズが出て来ます。剛や上田馬之助が姿を消してくすぶっていた鶴見五郎にも活躍の場が与えられると考えたのではないでしょうか。
翌85年このユニットは国際血盟軍としてウルトラセブンのマスクを脱いだ高杉正彦、この時は失踪中でヒットマンとして復帰する阿修羅・原も加入して活躍することになります。
もう1つの公式戦はドリーとテリーの復活ザ・ファンクスvsスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組。僅か1年3か月前に大々的に引退興行をやったテリーに対する風当たりは強く、復帰前のような人気はもうありませんでした。
試合は18分42秒、暴走したテリーが反則負けを喫しています。
メインイベント修了後、長州、谷津嘉章、アニマル浜口、小林邦昭、寺西勇、栗栖正伸らジャパン勢がリングに上がり全日本へ宣戦布告。先日亡くなった永源遥の姿もありました。
日本側も御大馬場がリングに上がりジャパン迎撃体勢へ。
残念ながら長州以下ジャパン軍とテレビ朝日の契約問題がクリアされず、このシーンは放送終了後に行われ、番組のエンディングではカメラが思い切り引きで撮影していた為、長州の表情をテレビで見ることは出来なかったです。
また、同じくリーグ戦直前に新日本から移籍して来たダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミスの試合もテレ朝との関係から全試合放送されませんでした。
この時は日本テレビが違約金を支払ったか、翌85年1月からはジャパン軍団、キッド、スミスの日テレ登場が「解禁」されています。
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