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2016年11月28日01:18

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『この世界の片隅に』の衝撃

『この世界の片隅に』を見て来ました。今年100本目の映画館での映画となりました。

「戦争」「少女」「広島」というキーワードを聞くと、映画を見る前からある程度の想像ができる訳で、こういう映画なのだろうと予想をしつつ見に行ったのですが、見事なまでにその予想は裏切られました。良い意味で。

鮮烈な衝撃を受けました。


【物語】
広島は江波の海苔養殖業の家に生まれた少女・すず(声:のん)は、どこか抜けたところがあり、家事も苦手で家族からも心配される始末だったが、絵を描くことが大好きだった。
やがて成長したすずは、呉の北条家に嫁としてもらわれるが、苦手な家事も懸命にこなし、新しい家族にも受け入れられてゆく。

時に昭和20年夏。
家族を空襲で亡くし、自身も大怪我を負ったすずは、広島が閃光に包まれるのを目撃する。


…戦争が背景でありながら、映画の中盤までは、戦争を直接的に描くことをせず、むしろ戦時下の工夫に満ちた市民の暮らしと奮闘ぶりに微笑ましさを感じます。主人公・すずの性格描写も愛すべきもので(声優として復帰した”のん”の演技力の高さも大きい)、大いに共感し、映画に引き込まれていきます。

しかし、呉の街への空襲が始まる映画中盤より、物語は急速に凄惨な展開を見せます。

それでも主人公は笑顔を絶やさず、見るものの共感も続くのですが、ある空襲をきっかけに、主人公の憤りが募ってゆくのです。それは戦争への憎しみや米軍への怒りなどではなく、やり場のない理不尽さへの憤りであり、終戦の玉音放送を聞いて慟哭する主人公の姿へと、一気に結実するのです。

凡百の反戦映画であれば、反戦を声高に叫び、登場人物の死をドラマティックに演出し、観客の感涙を搾り取るタイアップ主題歌が高らかに流れるところですが、この映画は違います。突然、戦争による喪失を経験した一市民の理不尽な悲しみを、決して大声にならず、それなのに力強く訴える、日本映画らしからぬ説得力を持っているのです。

監督の片淵須直は、『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)でも、古代日本の名もなき人の怒りと日常を描いておりました。遡ると、この監督は、スタッフとして関わったオムニバス映画『MEMORIES』(1996)第3話の”大砲の街”でも、戦争が日常化した世界の構築に携わっています。こういうことをアニメーションで表現できる監督がアニメーション界にいたということは、大事なことです。

『君の名は。』のようなカタルシスも、『聲の形』のような卓越した風景描写もない映画。
しかし、これは遥かに大人の、大人のための映画です。

★★★★。ベストテンの順位がまた入れ替わりました。
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