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2016年07月31日11:35

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猪木とビンス(333)

84年4月17日、UWF旗揚げオープニング・シリーズ最終戦、蔵前国技館大会が行われています。私はこの興行は観戦しに行きました。

テレビ放送のない、テレビ用リング照明のない蔵前というものを見たのは後にも先にもこれ一度きりです。

おそらく、これまでのテレビ放送のない蔵前国技館大会というのは調べた限りはっきりわかっているのは以下の3つかと思います。

��54年11月28日、米国駐留軍慰問のミルドレッド・バーク(後の初代WWWA世界シングル王者)ら一行が来日しての日本初の女子プロレス興行。

��66年10月12日、東京プロレス旗揚げ戦、猪木vsジョニー・バレンタイン

��67年8月16日、国際プロレスパイオニア・サマー・シリーズ最終戦、TBSの放送がつく前の大会。

この他、力道山時代に蔵前での連日興行は何回もあり、テレビ中継の入らなかった日もあったかとは思いますが、フィルム撮影されて映画館で予告編の時間帯にニュース枠で流されているものもありました。

やはり、ゴング誌のモノクログラビアで見た猪木とバレンタインの死闘が頭にオーバーラップしてしまい、東京プロレスの旗揚げ戦はこんな雰囲気だったんだろうなぁと思いました。

メインイベントは前田日明と新日本プロレスから前田を制裁にやって来た藤原喜明のシングル戦。

UWF側が希望していたWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合とは成らず、ノンタイトルの時間無制限1本勝負、レフェリーは新日本のタイガー服部。

試合は前半はカール・ゴッチ直伝の関節技の攻防となりましたが、途中から両者大流血の喧嘩マッチへと流れが変わりました。

場外乱闘となり10分37秒、両者フェンスアウト。しかしこれは新日本ルールです。

観客からは大延長コール、収まりのつかない両者は当然延長戦を申し入れ、10分間の延長戦となりました。

勝負をかけた前田はジャーマン・スープレックスホールド、しかし決まらず、前田は2発目のジャーマン、これは藤原が投げられながら足を前田の身体にフックさせて防御、前田はバランスを崩してダウン、そのまま共倒れとなり3分34秒両者KOの引き分け。

試合後師匠の顔に戻った藤原は前田の手を上げて健闘を讃えました。そこにはテロリストの面影はもはやありませんでした。

試合後マイクを持った前田は「これが原点のプロレスだ、殺し合いのプロレスが出来るのは俺と藤原さんだけだ!」とアピール。

セミファイナルはUWA世界ミドル級王者グラン浜田とWWFライト・ヘビー級王者ペーロ・アグアヨのダブルタイトルマッチ。(60分3本勝負)

試合はアグアヨが凶器を持ち出して浜田を大流血に追い込み、1本目は3分27秒に浜田の反則勝ち。

2本目は9分43秒、浜田が独特の自らジャンプしてのバックドロップから体固め。2-0のストレート勝ちで浜田が2冠王者となりました。

この他、ラッシャー木村は国際プロレス時代に対戦経験のあるボブ・スウィータンにラリアットで勝利。剛竜馬はダッチ・マンテルに逆エビ固めでギブアップ勝ち。

新日本から参戦した高田伸彦はマノ・ネグラと組んでエル・シグノ、ネグロ・ナバーロ組と対戦、ナバーロをジャーマンで破っています。

マッハ隼人はスコット・ケーシーに敗れ、ビニー・バレンチノとエル・テハノは20分時間切れ引き分けでした。

この日新日本プロレスを退職して以来、初めて新間寿会長がリングに上がり観客に挨拶。

「新日本プロレスはもはや過激ではなくなった。我々は真の過激なプロレスをやる。ノーテレビであることは苦しい、だがノーテレビであることをプラスに転化し、テレビでは見せられない凄いプロレスをやる」と発言。

皮肉にもこの新間発言はこの時から4年後、当時は下っ端の営業マンでしかなかった新生UWFの神新ニ社長の手により、音楽業界の手法を用いた営業戦略によりライブプロレスの確立という形で実現してしまう訳です。
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