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2016年02月27日12:32

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ジャンボ鶴田怪物伝説(238)

80年は猪木と新日本プロレスがNWAに最も近づいた1年でした。前年79年、新日本とビジネスを始めたフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロリダ)のオーナーであるエディ・グラハム、猪木シンパのビンス・マクマホン・シニア、ロサンゼルスのマイク・ラーベルら反主流派が中心となり、新間が頼んだであろうNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を新設。

NWA世界ジュニア王座はオクラホマのプロモーター、レロイ・マクガークが管理権を有しており、前王者ネルソン・ロイヤルが引退してからは放置状態でした。

マクガークもこの時期、腹心として全幅の信頼を寄せていたビル・ワットの裏切りに遭い、ワットに独立され選手を引き抜かれて新しいプロモーション(MSWA)を興され、タイトル管理どころではなかった状況でした。

マクガークの王座管理体制に不満を持った上記の反主流派プロモーター達が「ならば自分達で新しい世界ジュニアのベルトを作る」として(実際は新日本からの依頼による)79年12月10日、フロリダ州マイアミビーチでスティーブ・カーンがチャボ・ゲレロを破り(実際にはこの試合は行われていないとされている)新王者となり、翌80年1月の新日本プロレス新春黄金シリーズに来日。

新日本側もカーンの王座をNWA世界ジュニア・ヘビー級王座とリリースしていました。

しかし、これに慌てたマクガークが「こっちが保守本流のNWA世界ジュニア王座」と主張し始め、オクラホマでロイヤルの引退後空位になっていた王座決定トーナメントを開催しました。

最終的にNWAのボブ・ガイゲル会長、タイトル管理委員長のジム・バーネットはマクガークの主張を認めました。

そこで新日本側はシリーズが始まってから王座の名称を「NWAインターナショナル世界ジュニア・ヘビー級王座」に変更を余儀なくされています。後に「世界」の2字は消滅。

新間は、猪木が巻けなかったNWA世界の冠のついたベルトをジュニアの藤波に何とか巻かせたく画策しましたが、この時は実現せず。

2月1日、札幌中島スポーツセンターでのNWAインター王者カーンとWWF王者藤波のダブルタイトルマッチは1本目反則、2本目藤波がジャーマンでストレート勝ちし2冠王者になっています。

この時、立会人としてエディ・グラハムが新日本に来日。親猪木のビンス・シニア、ラーベルを除いて、初めてNWAの会長職を勤めた大物プロモーター、グラハムが新日本にやって来て新日本ファンを喜ばせています。

マクガークの方は2月11日、オクラホマ州タルサでの王座決定戦でロン・スターがレス・ソントンを破り新王者に。ダニー・ホッジ、ヒロ・マツダ、ケン・マンテルらが締めた伝統のベルトを獲得しています。

4月16日、フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターのグラハム派のビッグマッチに猪木、藤波が出場、猪木はボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦してオーバー・ザ・トップロープによる反則負けで王座移動はなし。

藤波はドン・ダイヤモンドを破りNWAインターナショナル・ジュニア王座を防衛。

猪木がニューヨーク地区とロサンゼルス以外のNWAのリングで試合をしたのは米国修行時代以来14年ぶり。

この新日本とグラハムの急接近を馬場が快く思うはずがありません。前年ジャック・ブリスコが新日本に参戦した時は不快感を露骨に現していました。

実際にこの時代、会長職にあったガイゲルのカンザス、セントルイスと言った中西部地区より、フロリダやニューヨークの方が客を入れていたのは事実。

その中でもダスティ・ローデス人気は高く、ローデスの最優先ブッキング権を持っていたグラハムの勢いは大きいものがありました。

前年8月にハーリー・レイスからローデスにベルトが短期間移動したのも、グラハムの力によるものでした。

では、ベビーフェイスのローデスがレイスのように長期政権を築けるか、となるとこれはNOで、ローデスのパフォーマンスを毛嫌いしていたサム・マソニック元NWA会長は「俺の目の黒いうちはローデスをチャンピオンとしてセントルイスのリングに上げることはしない」と公言していました。

昔気質のプロモーターはいくら人気があってもしっかりしたレスリングで試合が組み立てられない選手を王者とは認めなかったのです。これはAWAのバーン・ガニアも全く同じ考えでした。

ですが、この年、前年に続いてレイスがローデスに短期間ベルトを明け渡し、3〜6か月程度のスパンでベルトを持っていたとしたら、この間反主流派の間でタイトル戦をたらい回しに開催してグラハムの政治力を持って新日本プロレスが特別ボーナスを積めば、この時点で猪木のNWA世界ヘビー級王座挑戦は(獲得はおそらく無理)1回は可能ではなかったかと思われます。

ビンス・シニアがこの時期レイスを度々招聘しMSGでゲスト扱いながらNWAのタイトル戦を開催していたのと同じ理屈です。

事実、この年の9月22日にはMSGでレイスとバックランドのNWA、WWFのダブルタイトルマッチが実現しています。(35分41秒、バックランドの反則勝ちでベルト移動はなし)

この一連の新日本の動きを牽制すべく、やはりNWA世界ヘビー級のベルトは猪木には手の届かないものであることを見せつける王座獲得ではなかったか、と思われます。

これで猪木はNWAに対する興味を完全に失い、この年の暮れにIWGP構想の発表に至ったかと推測致します。
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