プロレス夢のオールスター戦が終わってから2日後の79年8月28日、松阪市総合体育館でブラディ・ファイト・シリーズが開幕。
8月31日、宮崎・南九州学院短大体育館では坂口、長州組が1年8か月ぶり来日したジェリー・ブラウンとバディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドスと北米タッグ王座防衛戦を行っています。
1本目は11分20秒にブラウンが長州を体固め、2本目は2分38秒に長州がブラウンを体固め、決勝の3本目は2分28秒に坂口がロバーツを体固め。
2-1で坂口、長州組が2度目の防衛に成功しています。
75年には猪木、坂口組と互角の攻防を展開し、北米タッグ王者にまでなったブロンドスでしたが来日の度にそのポジションは落ちていき、この日もシリーズ序盤でのタイトル戦で完敗しました。
9月6日、福岡スポーツセンターでは坂口がマスクド・スーパースターと北米ヘビー級王座の防衛戦。15分23秒リングアウト勝ちで6度目の王座防衛。
この時から北米ヘビー級選手権が公式に「NWA認定」にされています。
新日本プロレス側は組織としては実態がなくなっていたたNWFではなく、北米タッグと同様にNWA認定の冠を北米ヘビー級王座にも付けた訳です。
つまり北米2冠王座の出土を同じにしてしまった、ということです。
以前書いたように北米ヘビー級王座は70年にNWFが設立される前はニューヨーク州北西部、オハイオ版のNWA管轄の北米ヘビー級王座でしたから、NWFがなくなればNWA認定でも誤りではないです。
しかし猪木のNWFヘビー級王座が存在する以上、新日本プロレスにとってもNWFの活動休止は敢えて公表する話でもなく、認定団体を変更した旨のリリースは発表されてなかったです。
9月21日、仙台・宮城県スポーツセンターで坂口はカルガリーで屈辱のリングアウト負けの敗戦防衛となったタイガー・ジェット・シンの挑戦を再び受けて防衛戦を行いました。
坂口は団体のNo.2であった為、挑戦者もシリーズ参加の中で2番手の選手が挑戦する事が多く、反則やリングアウト等の不透明決着防衛が多かったですが、エース級外国人選手だったシンの挑戦は絶対的不利でした。
試合はシンのセコンドであるマサ齊藤の巧みな乱入に坂口は苦戦。12分36秒、シンのコブラクローからの体固めにフォール負け。7度目の防衛に失敗し王座転落してしまいました。
9月28日、愛知県体育館では坂口、長州組がシン、齊藤組の挑戦を受けて北米タッグ王座の防衛戦を行っています。
この時期、シンの正パートナーである上田馬之助は新日本と国際プロレスの提携路線に乗り、国際プロレスのリングに79年一杯、単独参戦しており実力者齊藤がシンのパートナーを勤めていました。
レスリングの猛者である齊藤とシンとのコンビはシン、上田組よりある意味強敵で長州が狙い撃ちにされて、坂口は無冠になってしまうのでは?と懸念されていました。
1本目は8分1秒、長州が齊藤をバックドロップから体固め。2本目は2分15秒、齊藤が長州をバックドロップから体固め。
決勝の3本目は2分12秒、坂口がシンに反則勝ちを収め2-1で3度目の防衛に成功。
長州の捻りを加えたバックドロップは齊藤のバックドロップをモチーフとしており、長州がシンと齊藤の2人を相手にしても決して体力負けしなかったことは評価出来る試合でした。
10月2日、大阪府立体育会館では藤波が剛竜馬の逆さ押さえ込みに不覚を喫しWWFジュニア・ヘビー級王座から転落。
シリーズ最終戦10月4日、蔵前国技館では猪木vsシンのNWFヘビー級選手権試合が両選手の身体にオイルを塗ったオイルデスマッチがランバージャックデスマッチ形式で行われました。
試合は双方のセコンドがリング上に乱入、収拾がつなかくなり20分22秒ノーコンテストとなりました。
藤波は剛とリターンマッチを行い14分13秒回転足折り固めで降しWWFジュニア・ヘビー級王座を奪回。剛は2日天下に終わっています。
ログインしてコメントを確認・投稿する