mixiユーザー(id:21258650)

2022年11月11日22:41

509 view

ストロング小林さん追悼(309)

77年「闘魂シリーズ」参加外国人レスラープロフィールの続きです。初来日のロディ・パイパー。1954年4月17日 、カナダ・サスカチュワン州サスカトゥーン出身の当時23歳。

後に全米のスーパースターとなるパイパーがこの時に初来日。ニックネームはホット・ロッド(Hot Rod)、日本での異名は「狂乱のスコッチ」。スコットランド系カナダ人だが、ギミック上の出身地はスコットランドのグラスゴーとされており、試合用タイツの上からキルトスカートを履いてバグパイプを持って入場。体格的には決して恵まれてはいないものの、卓越した試合センスとマイクパフォーマンスの巧みさで初来日後にはトップスターになりました。

ジュニアハイスクール時代はボクシングとレスリングで活動し、本人の言によれば69年に15歳でプロレスラーとしてのキャリアをスタート。デビュー戦の相手だったラリー・ヘニングには秒殺されたとのことです。デビューは73年説もあり。

AWAのカナダでの拠点であったカナダ・マニトバ州ウィニペグにてジョバーとして下積みを経た後、74年よりアメリカのNWA圏に進出。75年にはテキサスのダラス地区にて、マッドドッグ・バション、キム・ドク(タイガー戸口)、スーパースター・ビリー・グラハムなどトップスターと対戦しました。

日本のファンに初めてパイパーの存在が知られたのが75年2月5日、テキサス州サンアントニオ・ミニュシバル・オーデトリアムで全日本プロレスの馬場&鶴田組がドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスの保持するインターナショナル・タッグ王座を奪回した試合の同会場で、ドクとのシングルマッチが組まれ、10分42秒、体固めで敗れていますが、この試合が「月刊プロレス」75年4月号のグラビアに掲載されています。

これはパイパーにスポットをあてたものではなく、元日本プロレスの戸口正徳がサンアントニオで活躍していることを紹介したものでした。

翌76年にロサンゼルス地区のNWAハリウッド・レスリングに参戦して、ラフファイトを主体とするヒールのスコッチ・ギミックを確立。看板タイトルのアメリカス・ヘビー級王座を巡るチャボ・ゲレロとの抗争で注目を浴びました。

76年5月に猪木がモハメド・アリ戦のクローズド・サーキットのPRでロサンゼルスを訪れた際に会場に姿を現し猪木を挑発、「アリと闘う前に俺と闘え」とアピールしましたが、猪木はパイパーを一目見て「あいつは才能がある。化けるぞ」と将来のブレイクを予見する慧眼を見せています。

76年12月12日にはカリフォルニア州サンバナディーノで、ミル・マスカラスとシングルマッチで対戦して敗れました。今回は新日本プロレスと親密関係にあるロサンゼルスのマイク・ラーベルのブッキングで待望の初来日となりました。

新日本プロレス初参戦のソニー・キングは1945年(誕生日不詳)、ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のアフリカ系アメリカ人で当時32歳。本名ローレンス・ジョンソン。リングネームは、プロボクシング元世界ヘビー級王者のソニー・リストンにあやかって付けられました。 

プロボクサーとして活躍した後、親交のあったアーニー・ラッドに勧誘されてプロレスラーに転向、ザ・シーク(エドワード・ハーファット)の主宰のデトロイト地区、NWAビッグタイム・レスリングでデビュー。

ベビーフェイスの黒人選手として、ボボ・ブラジルのパートナーに抜擢され活躍。70年2月に日本プロレスに初来日、2月14日に世田谷区立総合体育館にて馬場とシングルマッチで対戦も中堅の扱いであり猪木とはタッグでも対戦していません。

71年よりWWWF地区に参戦。72年5月22日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにてチーフ・ジェイ・ストロンボーと組み、キング・イヤウケア&バロン・シクルナ組を破り第4代WWWFタッグ王者となりました。

1か月後の6月27日に同所でプロフェッサー・タナカ&ミスター・フジ組の日系ヒールコンビに敗れて短命王者に終わったものの、60年なろうとするWWEの歴史上、初の黒人チャンピオンとしてその名を残すことになりました。WWWFには73年まで出場、ラッド、フレッド・ブラッシー、ジミー・バリアント、レイ・スチーブンス、ムーンドッグ・ロニー・メインなどトップヒールとも対戦しました。

74年からはノースカロライナを中心としたNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロを主戦場に、ジョニー・バレンタイン、イワン・コロフ、スーパー・デストロイヤー(ドン・ジャーデン)、チャック・オコーナー(ビッグ・ジョン・スタッド)、リック・フレアーらと対戦、Jバレンタインとは反則裁定なしのノーDQマッチ、ボクシング・マッチなどでも抗争を展開ししています。

その後はアラバマのガルフ・コースト地区に転戦、77年3月11日にリップ・タイラーを破りNWAアラバマ・ヘビー級王座を獲得、今回7年半ぶりに2度目の来日を果たすことになった訳です。

初来日の“ピストル" ペッツ・ワトレー、1951年1月10日テネシー州チャタヌガ出身のアフリカ系アメリカ人で当時26歳。

ハイスクール時代はアマチュアレスリングで活躍し、チャタヌガ初の黒人学生王者となりました。レスリングでテネシー州立大学チャタヌガ校に進学、卒業後の75年、24歳で悪名高いソウル・ワインゲロフのコーチを受け、地元テネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)にてデビュー。

テネシーでは巨漢の黒人レスラー、レイ・キャンディ(79年10月に全日本プロレスに初来日)とのベビーフェイスの凸凹黒人コンビで人気を博し、77年には悪徳マネージャーのパーシー・プリングル3世(後のポール・ベアラー)率いるザ・サモアンズ(アファ&シカのアノアイ兄弟とは別チーム、79年6月、国際プロレスにザ・モンゴリアンズとして来日)とミッドアメリカ・タッグ王座を巡って抗争を展開。

「ゴング」誌には来日前に黒人レスラーの未だ見ぬ強豪、ピストル・ペッツとして既に紹介されており、待望の初来日となりました。

初来日のジョン・ハリスは生年月日不詳。西ドイツ・ドートマス出身。体一面に彫られた刺青が不気味なレスラー、元海兵隊で刺青はこの時に彫ったものだと言われています。76年度のウィーン・トーナメントで優勝した実績あり今回はカール・ゴッチのブッキングで来日。オーストリア、旧西ドイツを中心に活躍。オットー・ワンツあたりと抗争を展開していました。

後の話になりますが、ドイツ(東西統合後)で武者修行していた蝶野正洋の面倒をみていたハリスが、蝶野に現在の夫人であるマルティーナさんを紹介したということです。

シリーズのタイトルマッチは9月2日、愛知県体育館で猪木のNWFヘビー級王座にスタン・ハンセンが初挑戦。シリーズ終盤戦の9月29日、大阪府立体育会館では坂口征二&ストロング小林組の北米タッグ王座にブラックジャック・マリガン&ザ・ハングマン組が挑戦すると発表されました。

全日本プロレスとの興行戦争ですが、全日本プロレスは7月28日に「サマー・アクション・シリーズ」終了後、2週間のオフを経て8月13日、埼玉県越谷市体育館で「サマー・アクション・シリーズ2」が開幕。

2月のスカイハイブームで人気に火がついたミル・マスカラス(前半戦特別参加)、タンク・パットン、スウェード・ハンセン、ザ・シャドー、マヌエル・ソトが来日。後半戦にはマスカラスに代わりビル・ロビンソンが特別参加。

ニアミスは越谷市体育館が新日本プロレスの「アジア・チャンピオン・シリーズ」最終戦8月1日と全日本プロレスの開幕戦8月13日。田園コロシアムが全日本プロレスが鶴田vsマスカラスのUNヘビー級選手権試合をメインに8月25日、新日本プロレスが3日後の8月28日。

新日本プロレスの「闘魂シリーズ」は6週間のロングランで最終戦が10月6日、埼玉県草加市ヤコウスケートセンタープール場。

全日本プロレスの「サマー・アクション・シリーズ2」は9月9日、後楽園ホールが最終戦で、3週間のオフを経て10月1日、茨城県古河市立体育館から「ジャイアント・シリーズ」が開幕。

ケン・パテラ、ワフー・マクダニエル、ボボ・ブラジル、ジェイ・ヤングブラッド、ロッキー・タマヨの外国人レスラーが参戦。

シリーズ序盤に10月3日、愛知県体育館、10月5日、大阪府立体育会館大会があり(カードについては後日の回に記載)、愛知は新日本プロレスの9月2日と1か月、府立は新日本プロレスの9月29日と6日差でニアミスとなります。
5 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年11月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930