77年新日本プロレス旗揚げ5周年記念「第4回ワールド・リーグ戦」は3月4日、群馬県高崎市体育館で開幕。
以前に書きましたが、この77年は74年から3年間続いた年間7シリーズから1シリーズ減らし6シリーズを開催、興行の効率化を図りました。この為、例年2月下旬〜3月下旬にかけて開催した「ビッグ・ファイト・シリーズ」の開催はなく、旗揚げ月の3月に1か月前倒しで春の本場所「第4回ワールド・リーグ戦」を持って来ました。
参加選手は日本側が第1、2回優勝者の猪木がこの年もシードされ、リーグ戦最多得点者とシリーズ最終戦3月31日、蔵前国技館で優勝決定戦を争うことになりました。前年度第3回優勝者の坂口征二、凱旋帰国の吉田光雄、星野勘太郎、山本小鉄、木戸修、永源遙。
外国人側がジョニー・パワーズ、マスクド・スーパースター、ニコリ・ボルコフ、シン・リーガン、ロベルト・ソト、ベラ・ロドリゲス(エンリケ・ベラ)、フレッド・ブラッシーが当初ラインナップされていました。
しかし、先の「新春黄金シリーズ」に1試合も出ていなかった小鉄がコンディション調整不足により出場を辞退。前年は後輩の永源、木戸、ケン・マンテル、キラー・カール・クラップに敗れ、クラップ戦で肩を負傷し残り試合を棄権しており、この年はエントリーだけで最初から出場せず。
この頃小鉄は道場主として若手の指導にあたる一方で、現場責任者として反社会的勢力との対応、当日券売上の現金を若手と一緒に会社まで運ぶ役割をしていたとのことで、現役の第一線からは外れていました。
外国人側は前回の来日、73年7月の「サマー・ビッグファイト・シリーズ」以来の来日となったヨーロッパ「闇の帝王」リーガンが負傷の為来日キャンセルとなり、代わって同じイギリスから「ウェールズの魔術師」トニー・チャールスが来日。
また、ブラッシーも来日キャンセルとなっています。ブラッシーはおそらくMスーパースター、ボルコフのプレーイングマネージャーとして呼ばれるはずで、来日していれば、力道山時代の62年日本プロレスと15年後の77年新日本プロレス両方の「第4回ワールド・リーグ戦」に参加という記録を作っていただけにここは試合にも出て欲しかったところですが、1918年2月8日、ミズーリ州セントルイス出身の当時59歳でありいささか無理があったかと思います。
ストロング小林は先シリーズでの左肘負傷が完治せずシリーズを全休、治療に専念することになりました。
日程も4週間全25戦と短縮されて、74年の第1回大会から連続して参戦していた在米フリーのマサ齋藤も参加せず、前年度優勝の坂口ではなく、第1、2回大会優勝の猪木がシードされるということでかなりスケールダウンした感は否めません。
S小林不参加のシリーズであり、「第4回ワールド・リーグ戦」に関してはざっくりと振り返りたいと思います。
外国人エース格のカナダ代表、「死神」パワーズは前76年2〜3月の「ビッグ・ファイト・シリーズ」以来1年ぶりの来日。前回は3月18日、蔵前国技館で猪木のNWF世界ヘビー級王座に挑戦。1本目は18分23秒、両者リングアウトで1−1。決勝の2本目は5分3秒、猪木の卍固めに敗れ、王座奪取成らず。
今回は初のワールド・リーグ戦参戦、必殺のパワーズロック(足8の字固め)で優勝決定戦進出なるか?また8月の猪木がNWAからの勧告によりNWF世界ヘビー級王座から「世界」の二文字を削除したことについて激怒しており、NWFヘビー級王座についても何らかのアクションを起こすに違いありません。
覆面代表、「流星仮面」Mスーパースター、その正体は前76年7〜8月の「アジア・リーグ戦」にジートとのザ・モンゴルズで参戦したボロ・モンゴル。まさかの華麗なる大変身。その変身ぶりにはファン、関係者もすぐには気付かず、「ゴング」77年5月号ではその正体はチャック・オコーナー(ビッグ・ジョン・スタッド)ではないか?という記事が出たほど。
「アジア・リーグ戦」から帰国してモンゴルズは解散となり、ボロことビル・イーディはノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロに転戦、そこで76年9月にMスーパースターに変身しました。
ボロとして74年の第1回大会に参加しており、キャラクターチェンジしての3年ぶり2度目の参加となった訳です。
ソ連代表、「シベリアの白熊」ボルコフは74年8〜10月の「闘魂シリーズ」以来2年5月ぶりの来日、前回の来日ではエース格を勤め、9月3日、田園コロシアムではタッグマッチで猪木から1フォール奪いました。9月10日、愛知県体育館ではシーク・オブ・シークス・バクダッド(ビリー・ホワイト・ウルフ、シーク・アドナン・アル・ケーシー)と組んで猪木&坂口組が8月16日にロサンゼルスでカール・フォン・ショッツ&クルト・フォン・ヘス組を破り獲得したばかりの北米タッグ王座に挑戦し2−0で敗れました。
ボルコフに変身する前はジート・モンゴルと組んでベポ・モンゴルとしてモンゴルズを結成しており、後釜にボロがジートと二代目になっているところから「新旧モンゴルズ」がキャラチェンジして同時に来日したことになります。(この項続く)
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