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2021年01月20日20:58

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(14)

第130戦 4月8日発売号●【予想】新生UWF設立記者会見(88年赤坂東急ホテル)【正解】第2回ワールド・リーグ戦公式戦、猪木vs永源遙(75年新日本プロレス新潟市体育館)【参考】2015年4月8日発売号は欧州2大王座戦同日開催、ヨーロッパ・ヘビー級選手権試合、ビル・ロビンソンvsサンダー杉山、英国西部ヘビー級選手権試合、グレート草津vsトニー・チャールス(68年国際プロレス岩国市体育館)

【解説】この週より週プロがオールカラーグラビア印刷に刷新され、「あの日あの時」もカラーページとなりました。

86年1月より新日本プロレスに業務提携としてUWF勢が出戻り参戦、翌87年5月には旧ジャパンプロレス、カルガリー・ハリケーンズから長州軍が出戻り参戦し、新日本プロレスのリングは初代タイガーマスクの佐山聡がいなかったことをを除けば、大量離脱前とほぼ変わらない布陣が揃ったことになります。

しかし、これだけの人材を抱えながら観客動員、テレビ視聴率は思うように伸びず。要因としては猪木が持病の糖尿病から来る体力の衰えが顕著になりリング上でリーダーシップを発揮出来ず、また海賊男やたけしプロレス軍団TPGなど、10年以上前であれば通用した猪木の考えたギミックがもはや時代錯誤でファンに受け入れられなくなったことなどが挙げられます。

本来であれば正規軍、UWF、長州軍のイデオロギーの異なる軍団の対立構造を持ち込み、退団時の遺恨、因縁をリングに反映しながら、アングルを作っていくのが本来の新日本プロレスのやり方でしたが、猪木はナウリーダー対ニューリーダーの抗争に転換させてしまい、藤波辰巳、長州力、前田日明が組んでしまうという図式を作りました。

また5対5イリミネーションマッチを多発(87年8月19日、両国国技館、9月17日、大阪府立体育会館、10月6日、札幌・月寒グリーンドーム)しオーバーザ・トップロープ決着で何となく誤魔化したようなマッチメークとなり、緊張感が欠けた感じになりました。

正直、この時期、全日本プロレスでの天龍源一郎の天龍同盟の方がよっぽど過激で凄いことをやっていたと思います。

87年11月19日、「ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦」後楽園ホールで行われたマサ齋藤&長州&ヒロ斉藤組vs前田&木戸修&高田延彦組の長州軍対UWFの6人タッグマッチでサソリ固めを掛けている長州の背後から前田が長州の顔面をハイキックで蹴り、長州の顔面が腫れ上がるというアクシデントが発生、試合は10分51秒、長州が高田をリキラリアットからの体固めで降し試合は終わりましたが、試合後も前田は自分の顔を長州に指差して「蹴ってみろ」と挑発。

長州は右目眼窩底骨折で欠場、前田は猪木が「プロレス道にもとる」として謹慎と無期限出場停止処分を受けました。

明けて88年、新日本プロレスからは前田に対し「メキシコ行き」の打診があったものの前田は拒絶、3月1日付で前田は新日本を解雇処分となっています。

前田解雇処分が発表された前日の2月29日、後楽園ホールで開幕した「ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦の3月19日、後楽園ホールでは高田延彦&山崎一夫組が長州軍の小林邦昭&保永昇男組と対戦、9分43秒、ニールキックからの体固めで高田が保永を降していますが、この試合も高田、山崎が必要以上に小林と保永に仕掛け、喧嘩マッチとなってしまいました。

既に前田から誘われていたと見られる高田、山崎はハラを決めたのでしょう。新日本プロレスヘの決別のサインでしたが、新日本プロレスとテレビ朝日がUWF勢と個別契約に動いており、ベテランの藤原喜明と木戸修は新日本プロレスと個別契約を結びました。

新日本プロレスを解雇された前田、予想通り前田に追随した高田、山崎、旧UWFでデビューし、新日本に上がっていた若手の中野辰雄(翼耀)、安生洋二、宮戸成夫(優光)の6人で新生UWFの設立を発表。代表取締役には旧UWFでフロント兼リングアナをしていた元新日本プロレス営業部の神新二(真慈)が就任。

5月12日、後楽園ホールで行われる旗揚げ興行「STARTING OVER」のチケットは僅か15分で完売、新生UWFは社会現象にまでなるブームを巻き起こしました。

74年にスタートした新日本プロレスの春の本場所「ワールド・リーグ戦」は予選リーグ戦として従来の日本プロレス型を踏襲し、日本組と外国人組による総当たりリーグ戦を行ないましたが、決勝リーグ戦は各陣営から4人ずつ、8人全員による総当たりリーグ戦を採用、これにより猪木vs坂口征二戦が実現し、人気を集めました。

翌75年に行われた第2回ワールド・リーグ戦では最初から参加全選手による総当たりリーグ戦を実施。この日は猪木と前年、予選落ちした永源遙がリーグ戦で初対決。

永源は66年に猪木、豊登が中心となって旗揚げした東京プロレスでデビュー。67年に猪木が日本プロレスに復帰を果たした時に日本プロレスから猪木に付いて来た柴田勝久と共に日本プロレスに移籍、73年の日本プロレス崩壊時は「口減らし」の為カンザス地区に海外修行に出されており、この年の10月26日、後楽園ホールで開幕した「闘魂シリーズ第2弾」から新日本プロレスに入団。

試合は6分24秒、アバラ折り(コブラツイスト)で難なく永源を破っていますが、ノーテレビのこの試合が何故コラムに採り上げられたかは不明。

私は1年前2019年5月8日発売号の「あの日あの時」予想で同じ新日本プロレスの第2回ワールド・リーグ戦から「たった一度の旗揚げメンバー対決」として75年の同日、出雲市体育館で行われた猪木vs山本小鉄の公式戦(11分1秒、弓矢固めで猪木の勝ち)を予想しましたが流さんの正解は2015年5月8日発売号(この日は金曜日だったがGWの関係で発売日が8日にずれた)で一度採り上げている76年全日本プロレス、札幌中島スポーツセンターでの馬場vsアブドーラ・ザ・ブッチャーの第4回チャンピオン・カーニバル優勝決定戦(9分53秒、反則勝ちでブッチャー初優勝)でした。

何故猪木vs小鉄はボツで猪木vs永源はアリなのか?はよくわかりませんが、(『海外のペンパルはこのような団体のトップと前座がシングルで対戦するようなマッチメークはない、と言っている』との論調でしたが、この試合だけではなく例えば全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルでの馬場vs大熊元司など日本ではいくらでもある)おそらくこの試合はベースボールマガジン社から75年4月末に発売された新日本の第2回ワールド・リーグ戦、全日本の第3回チャンピオン・カーニバル前半戦特集のプロレス誌増刊号でカラーグラビアで採り上げられており、このクラスの試合は月刊誌ではなかなか追いきれず、増刊ならではであり、珍しいとして採り上げたと思います。

※対戦成績は130戦27勝103敗、勝率208。
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