04年11月3日新日本プロレスは2か月連続で両国国技館大会を開催、この興行は蝶野正洋デビュー20周年記念興行「CHRONO STREAM」で、3日前の10月31日には同じ両国国技館で全日本プロレスの武藤敬司がデビュー20周年記念興行をやっており、武藤は新日本プロレス時代、当時全日本プロレスのエースで対戦が嘱望されていたノアの三沢光晴と夢の社長タッグを結成。
相手は全日本プロレスのリングで限定復活した佐々木健介&馳浩組のハセケンタッグで武藤がムーンサルトプレスで馳を破り勝利。観客は11,500人超満員で、武藤の「明るく楽しく激しく新しい」全日本プロレスは興行人気が安定してきました。
新日本プロレスのこの日の両国は10,000人超満員発表でしたが興行人気としては全日本プロレスの両国を下回りました。
ZERO−ONEの項でも書きましたが10月9日両国国技館に来場した長州力がこの日から新日本プロレスの試合に登場、蝶野とタッグを組み本隊の天山広吉&永田裕志組と対戦、因縁の永田と早くも対戦しましたが蝶野の記念大会とあって荒れた展開にはならず12分42秒、蝶野がシャイニング・ケンカキックからの体固めで天山を降しました。試合後に欠場中の橋本真也が蝶野を祝福に来場、これが公の場で橋本を見た最後になりました。
蝶野の試合はダブルメインイベント第2試合で行われ、ダブルメイン第1試合はいわくつきながら新IWGPヘビー級王者となった健介が棚橋弘至をノーザンライトボムからの体固めで破り初防衛を果たしました。
11月13日新日本プロレスは「闘魂祭り」として大阪ドーム大会を開催しましたが観客は28,000人発表と満員には成らず。前回の01年4月9日の同所での興行が27,000人発表でしたが、この時は年度初の月曜日であり、さらにテレビ朝日が生中継を行ったなどがあり仕方ない部分もありましたが今回は土曜日であり、且つ3年7か月ぶりの開催だったことを考えると不入りと言えました。
当時の新日本プロレスはオーナーである猪木の現場介入でファンから大きく信用を落としていた暗黒時代と言われる時期ながら、新日本プロレスの執行役員だった上井文彦が猪木事務所との交渉窓口となり、猪木にお伺いを立てながらプロ格路線を踏襲しつつも、欠場中の高山善廣を初め天龍源一郎、佐々木健介、鈴木みのるといったフリーランサー勢を参戦させ純プロレス路線と並行させながら斜陽となった新日本プロレスを盛り立てようとして奮闘していました。
上井の対外交渉は「土下座外交」とも言われ、外敵に出てもらう代わりにマッチメークでいいところを取らせるスタイルで、所属選手にないて貰わざるを得ない部分が強くありました。
しかし10月9日両国国技館での長州の新日本プロレス復帰、メインイベントの藤田和之vs健介のIWGPヘビー級選手権試合で藤田が胴絞めスリーパーを仕掛けた状態で、レフェリーがカウント3を叩き、健介に王座が移動するという消化不良試合で終わる事態が起きファンが怒り暴動寸前になったことでファンからの信用は大きく失墜、その後上井が当時社長で犬猿の仲だった草間政一との確執によってマッチメークの失敗の責任を取って退職に追い込まれ、猪木事務所との交渉窓口を失った新日本プロレスは、猪木からの介入に歯止めが効かない状態となってしまいました。
対戦カードは猪木の発案ということでファン投票によりカードが募集され、大阪ドーム大会のメインイベントのカードは棚橋弘至の保持するIWGPU−30無差別級王座に中邑真輔が挑戦する一戦になっていました。
このカードが選ばれた理由はファンが見たいのは新日本プロレスの未来であり大阪ドーム大会もチケットの売れ行きが芳しくない中、明日の新日本プロレスの方向性を見せるにはうってつけのカードであり、後の黄金カードになる可能性もあったからです。
しかしカードが直前になって変更、棚橋vs中邑戦、川田利明に天山広吉が挑戦する三冠ヘビー級選手権試合がなくなり、藤田和之&ケンドー・カシン組vs中邑&中西学組、天山&棚橋組vs小川直也&川田組に変更されました。
カード変更の理由は前売チケットの売りが伸びなかったことで猪木の介入を受けたことは明らかで大阪ドーム大会は「闘魂祭り」と銘打たれているように、実質上猪木事務所が仕切っていた興行でした。
猪木事務所にしても猪木の名前を冠している興行なので、超満員にさせないと猪木会長の顔に泥を塗る結果となる訳で、超満員目標必達が課せられていました。
新日本プロレスは猪木の現場介入の影響で大きくファンから信用を落としており、また1か月後の12月11日に大阪府立体育会館のビッグマッチも控えていたことから営業部隊も大阪ドーム大会のみに全精力を注ぐのは無理な話でした。
カード変更前にも猪木がマスコミに藤田、小川の投入を示唆していたがまさか猪木自身が公募していたファン投票は崩すことはないだろうと思われていました。しかし、ファン公募のカードを無視し猪木側が用意したレスラーである小川、藤田、カシンをゴリ押しするカード編成、選手やファンからは猛反発を受けました。
棚橋戦が消滅した中邑は「ファンに申し訳ない。一番大切にしなければいけないのはファン。夢を裏切ってしまった」とファンに謝罪するコメントを出したが、猪木に頭が上がらない新日本プロレスはなす術もなく、変更されたカードのまま大会当日を迎えました
急遽参戦することになった小川は当時「ハッスル」のエースだったが、新日本プロレスにとってハッスルは新日本プロレスのストロングスタイルと相対する「ファイティング・オペラ」。ハッスルも新日本プロレスを「某老舗団体」と茶化し、小川自身もこの頃になると猪木とは決別していたため、新日本プロレスとの関係は良好とは言えませんでした。
しかし猪木からオファーを受けた小川はハッスル普及の一環と割り切って新日本プロレスに参戦を決意、猪木と再会した際には表向きは師匠と称えていました。今回のマッチメークも小川と川田がハッスルのスタイルで臨むことが必至とされ、小川自身も「猪木さんにも一緒に『ハッスルポーズ』をやって貰う」と宣言していました。
第7試合の永田&西村修組vs蝶野&長州組のイリミネーションマッチを終えると新日本プロレス選手による最終的な作戦会議が行われ「新日本プロレス選手総出でハッスルポーズを阻止しよう」ということになりました。
セミ前で行なわれた健介に鈴木みのるが挑戦したIWGPヘビー級選手権試合、健介の新日本プロレス退団要因となった02年11月30日パンクラス横浜文化体育館での一戦が流れてから2年を経て実現した一戦。
鈴木が88年にデビュー以来新日本プロレスの前座で鎬を削ってきた一戦はノーザンライトボムからのラリアットで健介のフォール勝ち。この時は鈴木はプロレス復帰して1年ちょっとしか経っておらず、健介にプロレスの経験値の差で負けた感じでしたが、現在の鈴木のスタイルの原型となった試合と言えます。
そしてセミファイナルで行われた天山&棚橋組vs小川&川田組は小川&川田組はハッスルのコスチュームで試合に臨み試合中は登場人物である高田モンスター軍の島田二等兵とアン・ジョー司令長官もリングサイドに現れましだがそれと同時に新日本プロレス本隊の選手達がほぼ勢揃いでリングサイドに陣取りました。
試合は「俺ごと刈れ!」からの体固めで川田が棚橋に勝つも小川がハッスルポーズを取ろうとすると永田を始めとする選手らがリングに雪崩れ込んで阻止し、そのまま花道奥へ下がらせる。永田の説得で小川もハッスルポーズを取るのを諦めて下がろうとしましたが、蝶野が「やりたいならやれ」とリング内でアピールすると再び騒然となりました。
小川はハッスルポーズを取ることはなく退散、猪木も現れなかった。蝶野にしてみれば小川にハッスルポーズを取ることを許したのではなく、「この状況の中でハッスルポーズをとれるものならやってみろ」と迫っていたのかもしれない。
メインイベントで行われた中西&中邑組vs藤田&カシン組は藤田のサッカーボールキックを浴びせ中邑をKOして藤田組が勝利も、試合後に猪木が登場、ダウンしている中邑を引き起こして、怒りの表情で鉄拳制裁を加えました。実は後年に中邑がカード変更を猪木に抗議しており、猪木は「怒りを見せろ!」と答えるだけで、中邑の抗議を受け付けなかったことに怒り、猪木に対して「私は猪木さんに中指立てますよ」と言い放っていたといいます。
藤田にKOされた上に猪木から殴る蹴ると追い打ちされた中邑は悲しげでやるせいない表情を浮かべ、バックステージに下がるが、下がる中邑に猪木は「遠慮するなと言ったはずだぞ! 男を見せろ、この野郎っ!」と叫び、藤田に対しても「テメエら遠慮無く殺せこの野郎っ! オメェらが高い壁になれよ、頼むぞ!」とマイクアピールし、「1、2、3ダーッ!」で締め。中邑が猪木を殺さんばかりの目つきで終始睨みつけていたのが印象的でした。
いずれにせよ「猪木祭り」はいろんな思惑が絡んだ観客不在の認知戦で、興行として成功したとは言い難い内容でした。
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