丁度21年前の今日にあたる04年5月22日、さいたまスーパーアリーナにてK−1の運営会社であるFEGが主催する総合格闘技イベント「K−1ROMANEX」が開催されました。
観客は14,918人発表で満員マークはつかず厳しい入りに。TBS系列で放送されています。
03年12月31日ナゴヤドームでの「K−1Dynamite!」で「赤サソリ」アレクセイ・イグナショフと対戦した新日本プロレスの中邑真輔。膝蹴りでレフェリーストップ、TKO負けの裁定が降るも、レフェリー平直行のストップが早かったとして抗議した結果、判定は覆りノーコンテストに。両者の再戦がセミファイナルに組まれました。
試合は5分3ラウンド。ファーストコンタクトこそ、テイクダウンできなかった中邑でしたが、その後は鋭い片足タックルで確実なテイクダウン。下になったイグナショフも長い足と腕力を利用して中邑に簡単には取らせません。
イグナショフは5月20日(現地時間、日本時間21日)オランダでセーム・シュルトと対戦、KO勝ちしてから日本に向かって飛行機に乗っており、21日にお台場・ヴィーナスフォートで行なわれた前夜祭を欠席、移動の疲労が溜まっていたと思われ、2ラウンドになると動きが鈍くなります。
イグナショフはサイドを取られると、かなり苦しい表情を見せる。そこへ中邑はギロチンチョーク。ガッチリと押さえこんだ中邑が2ラウンド1分51秒、ギブアップ勝ち。中邑は前年大晦日のリベンジを果たしています。
メインイベントはIWGPヘビー級王者ボブ・サップに藤田和之(猪木事務所)が対戦した5分3ラウンド。
プロレスマスコミの間ではサップの持つIWGPヘビー級王座を藤田戦に賭けるかについての話題が賑わっていましたが、結局新日本プロレスのIWGP実行委員会の意向を受け、タイトルは賭けられないことに決まりました。それでもIWGPベルトを肩に掛けて前日の記者会見に登場したサップは、「ベルトにこだわらず、己のプライドを賭けて戦う」と語っています。会見にはIWGPの創始者である猪木が登場し、立会人を務めることが発表されました。
試合開始直後、藤田はすぐに片足タックルでテイクダウンを奪いました。下になったサップは足で藤田の身体を蹴って立ち上がろうとするが、ロープ際のため立てない。ここでサップはヒールホールド。強引に捻り上げますが、サップの付け焼き刃の強引な関節技が効くわけもなく藤田は立ったまま足を抜いてみせます。
藤田は猪木・アリ状態から、足を振ってパスガード。サイドを取ると、頭を抑えながら立ち上がってサップにサッカーボールキックと膝蹴りを連打。
痛そうな表情を見せるサップは腰を上げて立ち上がろうとする。藤田はフロントがぶった態勢で足をかけてテイクダウン。パスに成功すると、同じようにサッカーボールキックと膝蹴り。最後はマウントからのパウンドを落としたところでサップがたまらずタップ、僅か1ラウンド2分15秒、IWGPヘビー級王者のサップは惨敗を喫しました。
6月2日渋谷の新日本プロレス事務所で記者会見が行われ、サップがIWGPヘビー級王座返上を表明したことを発表。会見にはK−1プロデューサーの谷川貞治FEG代表と新日本プロレスの坂口征二CEOが出席。谷川代表は坂口CEOにベルトを渡しています。
サップは「K−1ROMANEX」で藤田に無様な負け方をしたことに対しチャンピオンの資格がない、一から出直したいと谷川代表に意向を表し、6月5日大阪府立体育会館で行われる予定だった棚橋弘至との防衛戦キャンセルを申出、新日本プロレス側もこれを了承しています。
6月5日大阪府立体育会館はサップに勝った藤田が王座決定戦に出場、挑戦権を持っていた棚橋と対戦、11分45秒、顔面蹴りの3連発で棚橋を倒してKO勝ち。01年4月9日大阪ドームでスコット・ノートンを破って王座獲得、12月にアキレス腱断裂の負傷で返上してから2年半ぶりの王座返り咲きを果たしました。
6月23日新日本プロレスは藤波辰爾の後任社長として経営コンサルタントの草間政一の就任を発表。草間は1950年11月生まれの当時53歳。
東京都葛飾区出身。69年習志野市立習志野高等学校卒業。高校時代はレスリング部で活躍。73年3月に法政大学文学部を卒業後、同大学の経済学部に学士入学し75年3月に卒業。学生時代より法律と会計を学び、将来は弁護士か会計士の道を望んでいました。
下着メーカーのトリンプ・インターナショナルジャパンでの財務部長を経験した後渡米する。トリンプでは、評判になった早朝会議のメンバーとして活躍し、始業1時間前に出社し、吉越浩一郎(当時副社長)と多くの議題を解決することを経験する。1990年代はアメリカ合衆国で企業数社において副社長など経営陣として勤務。ニューヨーク、サンフランシスコ(シリコンバレー)、ロサンゼルス(トーランス)にて勤務。
その後手腕を評価され、04年5月に猪木の経営コンサルタントとなり、その流れで新日本プロレスの社長に就任しました。
猪木の傀儡社長と言われ、経理を草間、現場を上井文彦執行役員に任せることで新日本プロレス内で自身の発言力を強め、会社を意のままに動かそうとする猪木の思惑がありました。
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