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2025年05月09日05:58

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【特別編】前田日明のYouTubeにおける問題提起について(26)

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慢性化した右肩脱臼の治療に専念する為にZERO−ONEのリングを欠場していた橋本真也ですが、04年11月3日新日本プロレス両国国技館で行われた蝶野正洋デビュー20周年記念興行に現れました。

両国大会ダブルメインイベント第2試合で長州力と組んで天山広吉&永田裕志組と対戦し、蝶野がシャイニング・ケンカキックからの体固めで天山を破り、20周年を自らの手で白星で飾りました。

試合後、場内暗転し、蝶野がマイクを持つと「オイ、新日本、そしてお客さん、20周年ありがとう!俺はプロレスを20年やってきて今日一つわかったことがある。新日本、俺が黒で塗りつぶす!だから応援したいやつは応援してやれ!」と言ったところで橋本が花束を持って入場、同期の蝶野の20周年を祝福しました。

蝶野が何故長州とタッグを組んだか?新日本プロレスの項でも稿を改めて書きますが、話を戻すと04年10月9日、両国国技館に長州が突如出現、当時の長州はWJが活動停止になりリキプロに所属していました。

石井智宏を引き連れて長州は「俺はこのリングのど真ん中に立っているぞ!何をやってるんだ新日本!」とアピールすると、永田は登場すると長州は「天下を取り損ねた永田君、良く俺の前に立ったな。今度来るときにはパワーホールを全開で流せ」と挑発、天山も駆けつけましたが、、長州はリングを後にしました。 

長州復帰は当時執行役員だった上井文彦の仕掛けによるもので、誰にも長州が登場することは明かさず、登場直前で永田に告げた。案の定永田が反応し永田vs長州の抗争が勃発かと思われたが、この直後に上井はマッチメイクの失敗による業績不振の責任を取って新日本プロレスを退職、長州の存在が宙ぶらりんとなってしまいました。  

11月13日大阪ドームで行われる「猪木祭り」で長州のカードが組まれ、蝶野と組み永田&長州に対し不快の感情を持っていた西村修が起用され、試合形式もイリミネーションマッチとされた。試合は開始と同時に西村が猛ラッシュをかけ、蹴り上げた長州はサソリ固め狙い。しかし西村は過去に断裂したことのあるアキレス腱固めで切り返すと、長州はロープに逃れるが西村は離さず攻めていきました。

レフェリーがブレイクさせると西村がドロップキックを狙うが、かわした長州はリキラリアットを連発、西村は血ヘドを吐いてダウンしそのまま立ち上がれず4分8秒、KO負けとなり退場。

永田は孤軍奮闘。しかし長州と蝶野と同士討ちさせると、長州にサンダーデスドライバー、9分27秒、片エビ固めで長州をフォールし、長州は退場。

同士討ちに怒りが収まらない長州は蝶野に腹いせのリキラリアットを浴びせると、ダウンした蝶野に永田はサンダーデスドライバー、10分38秒、体固めで永田が一人で長州と蝶野から連取し一人残りで永田&西村組の勝利となりました。

しかし事件はここから始まっていた。長州は自分の試合を終え、同日に大阪府立体育会館第二競技場で行われていたZERO-ONEの興行に出場するために移動すると、セミを終えた蝶野が獣神サンダー・ライガー、中西学、邪道、外道らブラックニュージャパンと共に移動バスで長州を追いかけ、府立に乗り込み、そのままZERO-ONEのリングに上がり、ZERO-ONE勢と乱闘を起こしました。

蝶野が長州に対して「どうしてこんなところで試合をしてやがるんだ」と挑発して去っていくと、長州は「これは俺と新日本の問題、でもあいつらがここに土足で上がってきたことは許されないだろ、大谷」と大谷晋二郎に共闘を持ちかけ、新日本との対抗戦に持ち込もうとしましたが大谷は「個人的な闘いなら他所でやってくれ」と拒絶、ファンもZERO-ONE支持。バックステージに戻った長州は大谷に「申し訳ない。お前の言うとおりだ。悪かった。俺のせいだ。ごめん」と頭を下げました。  

この時にのZERO-ONEは橋本による放漫経営によって莫大な負債を抱えて崩壊に危機に晒されており、橋本自身も左肩の負傷だけでなく、経営を中村祥之氏らフロントに任せきりにして、現実逃避するかのようにプライベートにのめり込んでしまっていた。 

のめり込んでいった相手は冬木弘道未亡人、冬木薫でした。

03年5月5日川崎球場で行なわれたWEW旗揚げ1周年記念興行で冬木は橋本に電流爆破マッチを要求、1試合だけ限定復帰することを橋本が受諾していましたが思い叶わず、冬木は3月19日に死亡。

川崎球場大会メインイベントは冬木の変わりに金村キンタローが橋本と電流爆破マッチで対戦、その時に橋本はリングサイドに冬木の遺骨を持って座っていた薫未亡人に向かって、「奥さん、遺骨貸して下さい!」と呼びかけ、遺骨を抱えた橋本は背中から有刺鉄線に突っ込み被爆、冬木の思いを叶えました。

プロレスの演出としては「感動的シーン」だったかも知れませんが、何か違和感がありました。「あざといなぁ」と。思えばこの時から橋本は薫未亡人に好意を抱いていたことでしょう。

橋本はZERO-ONEを一旦倒産させ、中村専務を外して新しい側近らと共にアパッチプロレス軍と合併して新会社を設立し、蝶野とのルートで新日本プロレスとの対抗戦に持ち込もうと画策していた。 橋本は選手らに計画を明かして自身に追随するかを迫り、橋本はみんな追随すると思っていましたが、選手達は誰も橋本に追随しませんでした。

大谷らがなぜ橋本に追随しなかったのかは明らかにしていませんが、この計画は中村を追い出して、橋本を中心とした人物、おそらく薫未亡人を入れる計画だったことから「橋本は慕っているが、薫さんにはついていけない」だったのではないだろうかという話ではなかっでしょうか?

大阪大会2日前の11日の後楽園大会では大谷が「オレたちは橋本真也に捨てられたんじゃねえ。旅立ったんだよ。」と橋本と袂を分かったことを観客にアピールし、選手らが橋本と決別していたことが明らかになっていました。  

11月13日の出来事は新日本プロレスでのポジション確立の為、対抗戦の話を進めたい蝶野は試合を出来ない橋本に代わって長州を旗頭にして、新日本vsZERO-ONEを推し進めようとして、ZERO-ONEの会場に乗り込だ。だが大谷はファンの前で蝶野らを拒絶しました。大谷らにしても蝶野と長州の敷いたレールに乗るということは、決別した橋本と一緒にやっていくことになることから、新日本プロレスとの対抗戦はプロとしては美味しい話でやりたくても、できなかった。

結局蝶野の殴りこみは空振りという結果となり、長州もあくまで新日本プロレスでもZERO-ONEの人間でもないためこれ以上話を前に進めることは出来ず。  

04年11月25日、橋本真也は記者会見を行って活動停止を発表。この時点で有限会社ゼロ・ワンが抱えていた負債は約1億円といわれていました。

同日、ZERO-ONE後楽園ホール大会があり、大谷は中村をリングに上げて新スタートを切ることをファンに発表。

橋本を除く元所属選手はを設立してプロレスリングZERO1-MAX(現プロレスリングZERO1)の団体名で再出発を図ることとなりました。

大阪大会からしばらくして橋本が弁護士立会いの元でZERO-ONEの活動停止を発表、大谷は中村祥之氏らと共に新団体ZERO1MAX設立へと動き、2005年1月に再スタートを切った。

大谷らと袂を分かった橋本は翌057月11日に横浜の冬木薫宅で脳幹出血に倒れ、そのまま急死、享年40歳。橋本の葬儀には大谷らZERO1−MAX勢も駆けつけましたが、新しい側近たちによって焼香も許されず、棺は古巣の新日本プロレス勢に独占されすら担ぐことさえ許されなかったが、前夫人のかすみさんの手引きで遺体には対面することが出来ました。
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