03年3月1日土曜日横浜アリーナで長州力の新団体WJが「MAGMA01」開幕戦で旗揚げ興行を開催しています。
観客は13,200人満員発表でしたが実際は七分の入りでした。当日の関東地方は大雨で、他にノアの日本武道館大会(三沢光晴vs小橋建太のGHCヘビー級選手権試合がメイン)で16,700人超満員札止め発表、K-1 WORLD MAXが有明コロシアムで行われ、こちらも9,420人超満員発表の観客を動員していた為苦戦は免れませんでした。
旗揚げシリーズ全6戦全てのメインイベントで行われると発表された長州vs天龍源一郎のシングルマッチ6連戦第1戦は僅か7分53秒、長州がリキラリアットからの体固めでフォール勝ちし長州が先勝。
セミファイナルは佐々木健介&馳浩の「ハセケン」がWJで結成されドン・フライ&ダン・ボビッシュ組と対戦、健介がボビッシュをラリアットからの体固めで降しました。
アニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズがとして登場、IPWハードコア・タッグ王者で双子のタッグチームであるトッド・シェーン&マイク・シェーン組のザ・クラッシャーズに挑戦、アニマルがダブルインパクトでトッドを破り、王座獲得しています。
第2戦は3月15日後楽園ホール大会で行われ観衆は1,850人超満員札止め発表。3月1日にノア他を観戦していて来られなかった観衆も集まりました。
メインイベントは長州と天龍の第2戦で10分27秒、天龍が53歳(変型ノーザンライトボム)からの体固めでフォール勝ちし1勝1敗。
第3戦、3月16日仙台・宮城県スポーツセンター(観衆3,950人満員発表)での長州vs天龍の第3戦は8分8秒、天龍が53歳からの体固めで勝ち、天龍が2連勝。
3月18日群馬県太田市民体育館での第4戦(観衆2,450人満員発表)の当日午後、各マスコミにFAXが送信され、天龍が頭部に異常を訴えて病院へ行き、医師の診断の結果、数週間の療養が必要とされたとのことで以後の試合を欠場。
この為太田大会、第5戦の3月19日埼玉県草加市スポーツ健康都市記念体育館、最終戦の3月20日千葉県流山市総合体育館での長州vs天龍残り3試合は中止されました。
天龍の欠場を受けてWJではカード変更を発表、長州は越中詩郎&谷津嘉章とのトリオで大仁田厚&リッキー・フジ&矢口壹琅組とノーロープ有刺鉄線トルネード6人タッグマッチで対戦し谷津が矢口を首決め式監獄固めでギブアップさせ、長州&越中&谷津組が快勝しています。
やはり、当時51歳の長州と53歳の天龍の連日のシングルマッチは無理があったか?
翌3月19日草加大会の試合前に今度は長州がシリーズ欠場となる旨WJからリリースがありました。長州は顎、アキレス腱など数カ所に負傷を負い、会見した永島勝司専務は「長州については会社からストップをかけた。」とコメントしていますが、後に、実は長州の方が先に故障した為、天龍が自分が怪我を負ったことにしたらしいです。
いずれにしても旗揚げシリーズの目玉だった長州vs天龍6連戦が頓挫したことでWJは早くも苦境に追い込まれました。
3月19日WEW代表である「理不尽大王」冬木弘道(ふゆき こうどう、本名読み仮名ひろみち)が大腸癌の為、入院先の横浜市内の病院で死去、享年42歳。
冬木は大腸癌の手術をした後の02年5月5日川崎球場で倒産したFMWの後継団体としてWEWを旗揚げ。以後はFMWの時と同じキャラクターでヒールコミッショナーとしてWEW、ZERO-ONEのリングに登場。
02年12月29日ZERO-ONE後楽園ホール、メインイベントの橋本真也vs金村キンタローのシングルマッチで橋本にキックでボコボコにされた冬木がリングに上がり、金村を庇った時に「癌が転移している」ことをマイクで発言、最初は普段のキャラクターから客席からは笑い声が起きましたがすぐにシーンと静寂に包まれました。
冬木は03年5月5日川崎球場で行われる予定のWEW旗揚げ1周年記念興行で一夜限りの復帰をし、電流爆破マッチをやりたいとアピール、3月11日WEW後楽園ホールに来場、自分の足でリングに上がり橋本との電流爆破マッチを改めてアピール、これを橋本が受諾していましたが、その矢先で不帰の人となってしまいました。
話をWJに戻しますと、7月には自前のタイトルが登場、初代WMG王座決定トーナメントが7月20日両国国技館(観衆8,500人発表)でワンデートーナメントして行われ、健介が鈴木健想をラリアットからの体固めで破り初代WMG王者となりましたが、海外に発注していたベルトの到着が間に合わないという失態を見せています。
なお、7月のシリーズで福田力、和田城功の2人の生え抜きの新人がデビューしています
シリーズオフの8月2日WJ道場に出稽古に来ていた佐竹雅昭が代表を務める「怪獣王国」のジャイアント落合(本名 岡田貴幸)がロープワークの練習中に倒れて意識不明の重体になり、昭和大学病院に緊急入院。開頭手術を受けるも、8月8日午後4時30分、急性硬膜下血腫により亡くなりました。享年30歳。
落合はプロレスに関してはまだまだ新人でしたが、果たしてロープワークの練習だけて急性硬膜下血腫になるかどうか?と言えば一般的に考えればこれはならないと考えるのが妥当でしょう。密閉された空間でのスパーリングで何かあったのか?受身が未熟な落合に対して受身を強制してやらせてなかったか?
証拠がないので何とも言えませんが後味の悪さが残りますが疑いは残ります。ただ、出稽古の先がWJのような寄せ集めの「中途採用者」ばかりの団体ではなく、新日本プロレス、全日本プロレス、ノアといったコーチがいて、練習環境が整っている団体であれば、落合の力量に応じた練習のプログラムを組んでもらえたはず。最悪の事態は防げていたように思います。
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