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2025年04月21日07:17

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【特別編】前田日明のYouTubeにおける問題提起について(8)

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猪木引退、馬場の死、前田日明引退、鶴田引退のこの4つの大きな出来事は98年4月〜99年3月までの1年間に立て続けに起きており、改めて日本プロレス界が大きな転換点に来ていた時期でもありました。

色々なことがあり過ぎた世紀末99年の日本プロレス界前半、5月2日東京ドーム大会で馬場『引退』興行を終えた全日本プロレスは5月3日に記者会見を行い、三沢光晴の新代表取締役社長就任を発表。三沢は社長ではありましたが株主は馬場元子未亡人であり、オーナー社長ではなく現場とオーナー側との板挟みに遭い、経営者としての苦悩を味わうことになります。

新日本プロレスでは1月4日東京ドームで小川直也に実質KO負けし、その後欠場していた橋本真也が6月8日日本武道館に118Kgに減量した姿で登場、天龍源一郎を相手に復帰戦を行いましたが、敗れています。

前97年秋に老舗全日本女子プロレスが二度の不渡りを出し事実上倒産した女子プロレス界は98年にネオ・レディース、アルシオンが旗揚げしさらに団体が増えました。

98年12月26日Jd有明コロシアム大会で団体を牽引してきたジャガー横田が2度目の引退(その後復帰)、翌12月27日JWP後楽園ホールではアイドルレスラーとして男性ファンの人気が高かったキューティー鈴木が引退、99年3月28日JWP後楽園ホールでは福岡晶が引退しています。

各団体とも集客が伸び悩む中、長与千種のGAEA JAPANは勢いづきます。99年4月4日横浜文化体育館でJdにヒールとしてフリー参戦していたライオネス飛鳥と長与が禁断の一騎討ち。6,500人超満員札止めの大観衆を動員、飛鳥は89年に全日本女子プロレスで一度引退していましたがフリーとして復帰、この時35歳で体力的には全盛期に近いものがありました。

試合はヒールファイトを駆使した飛鳥が火焔攻撃からのタワーハッカーボムで長与からフォール勝ちしています。

9月15日同じ横浜文化体育館での再戦では長与が飛鳥にビッグファイヤーを浴びせ、デスバレーボムからの体固めで雪辱しています。

女子プロレスはGAEA JAPANの一人勝ちとなったと言えます。ギャラがよかったからか多くの著名女子プロレスラーがGAEAに参戦、北斗晶、山田敏代は96年に入団し正規軍となり、外敵として飛鳥、尾崎魔弓、下田美馬&三田英津子組のラス・カチョーラス・オリエンタレスらが集結していました。

「頭から落とすボム系、もしくはドライバー系」の大技は女子プロレスでも大流行。北斗のノーザンライトボム、堀田祐美子のピラミッド・ドライバー、山田のリバース・ゴリースペシャル・ボム(工藤めぐみのスピニング・クドウ・ドライバーはこれと同じ技)、三田のデスバレーボム、井上京子のナイアガラ・ドライバー、前述の飛鳥のタワーハッカーボム、ダイナマイト関西のスプラッシュマウンテン、ダイハード関西、長与のランニングスリー、スーパーフリークなど挙げればキリがありません。

またスープレックスでも豊田真奈美のジャパニーズオーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールドを初め、尾崎のテキーラ・サンライズなど相手の腕をロックして腕で受け身を取らせないスープレックスが流行、ドラゴン・スープレックス、タイガー・スープレックスはもはや痛め技になっていた感があります。

それでもこの時期プラム麻里子以外にボム系、ドライバー系の大技によるリング禍が起きておらず、引退後に高度障害になった人もいないのは各団体に全日本女子プロレス出身者がおり、受け身の練習を徹底してやっていたからでしょう。

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