大塚直樹が代表を務めるジャパンプロレスは前84年11月16日後楽園ホールでのチャリティー興行、12月4日高松市民文化センターでの旗揚げ興行、同12月13日後楽園ホールでの創立1周年記念興行、そして85年に入っての2月21日大阪城ホールでの「ジャパンvs全日本全面対抗戦」と4大会の自主興行を経て5月10日後楽園ホール(観衆3,000人超満員発表)から初のミニシリーズ「ビッグ・ラリアート・フェスティバル」(全6戦)を開催しました。
このシリーズは日本テレビによる収録はなく、ノーテレビ。私は開幕戦と5月13日大阪城ホールの2大会を観に行きました。
スタン・ハンセン、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、カナディアン・ルイスの外国人レスラーが参加、馬場以下全日本プロレス勢と国際血盟軍が参戦し、全日本プロレスのシリーズと何ら見劣りしないメンバーが集結。
マイティ井上はマジック・ドラゴンとタッグを組み、ジャパンプロレスの小林邦昭&仲野信市組と対戦、12分35秒、仲野と井上が両者リングアウトの引分けに終わっています。
メインイベントは長州&谷津嘉章組vsハンセン&キッド組の60分1本勝負で、試合は荒れ模様、長州がキッドにリキラリアットを見舞い場外へ落とすと、ハンセンは背中を向けていた長州に135kgの巨体で何とドロップキック、たまらず長州もリング下に転落、4選手入り乱れての場外乱闘となり、13分20秒、長州とキッドが両者リングアウトの引き分けとなりました。
セミファイナルはマサ齋藤&キラー・カーン組と鶴田&天龍源一郎組の45分1本勝負。場外乱闘から戻った天龍は後から戻ってきたKカーンに延髄斬り、リングに戻ったKカーンに延髄斬りを2発放つと、11分47秒、天龍がやや強引な逆さ押さえ込みでKカーンから3カウントを奪い、全日本、ジャパン両陣営主力の闘いで初のピンフォール決着となっています。
長州とM齋藤はともかくとして、それ以外の選手は「フォール決着解禁」となった訳です。それもジャパンのリングの話なので、ここは大塚直樹代表と馬場による話合いによるものでしょう。
試合後、4月24日全日本プロレス、横浜文化体育館で天龍と組んで長州&アニマル浜口組と対戦するカードが組まれていながら、パートナーの天龍にもイス攻撃を見舞い、試合をせずに控室ヘ戻った「ヒットマン」阿修羅・原が乱入し、天龍に突っかかり、今後は長州と天龍の両方をターゲットにしていくことを表明しています。
セミ前は馬場&大熊元司&渕正伸(正信)組とラッシャー木村&鶴見五郎&剛竜馬組の6人タッグマッチ。鶴見がチェーンを持ち出して馬場を攻撃、さらに静止に入ったレフェリーにも暴行を加えて9分52秒、国際血盟軍の反則負け。
アニマル浜口&栗栖正伸組vsスミス&ルイス組は8分13秒、スミスが雪崩式オクラホマ・スタンピートから栗栖を体固めに決めてスミス&ルイス組の勝利。
左膝の負傷で先のシリーズ、中盤と終盤を欠場していたタイガーマスクが戦列復帰、石川敬士とのコンビで保永昇男&新倉史裕組と対戦、9分8秒、タイガーマスクが新倉をダイビング・ボディアタックから体固めに決めてタイガーマスクが復帰戦を白星で飾りました。
第2戦は5月11日静岡産業館(ツインメッセ静岡、観衆3,500人満員発表)大会。
井上はタイガーマスク&Mドラゴンとトリオを結成、小林邦&保永昇男&仲野組と6人タッグで激突、11分27秒、タイガーマスクが仲野を鮮やかなジャーマン・スープレックスホールドでフォールし、タイガーマスク&井上&Mドラゴン組の勝利。6選手はジュニア・ヘビー級のカテゴリーに入りますが体格面では全日本プロレスの方が優っており、基礎体力で勝った感じです
メインイベントは長州力&Kカーン組と鶴田&天龍組の鶴龍コンビが対戦。開幕戦では天龍の奇襲とも言える逆さ押さえ込みにピンフォール負けを許したKカーンは絶対に借りは返したいところ。
「Kカーンは大型だけに丸め込みには弱い」と思った天龍は二匹目のドジョウを狙ってKカーンに首固め。しかしこれを読んでいたKカーンは身体を一回転させて上になり3カウントが入り9分41秒、Kカーンが首固めで逆転のフォール勝ち。長州&Kカーン組が勝利を収めました。
セミファイナルは馬場&石川組がハンセン&スミス組と対戦、8分4秒、ハンセンが石川をウエスタン・ラリアットからの体固めで外国人組が豪快な勝利。
セミ前はM齋藤&谷津組vsキッド&ルイス組の一戦、8分21秒、谷津がルイスをワンダー・スープレックス(フロント・スープレックス)からの体固めで撃破しています。
第3戦は5月13日大阪城ホール(観衆9,200人発表)大会。月曜日の平日ということもあってか満員マークはつかず。
前回の大阪城ホール大会が2月21日であり、いくら勢いのあるジャパンプロレスと言えど3か月に満たないスパンで大阪城ホールを満員にするのは至難の技でした。ただ、大阪府立体育会館が建て替え工事中であり、やむを得かった面はあります。
井上はタイガーマスク&渕正伸組とのトリオでキッド&スミス&ルイス組と6人タッグで対戦、外国人側のキッド・ファミリーは初めて日本でトリオを結成、11分24秒、キッドが渕をダイビング・ヘッドバットからの体固めでマットに沈めています。
メインイベントは今シリーズ天王山、ジャパンの総帥、長州とハンセンの4年ぶりのシングルマッチ60分1本勝負。長州とハンセンの因縁について少しだけ書いておきます。
長州とハンセンはハンセンが新日本プロレスに2度目の参戦を果たした77年8月の「闘魂シリーズ」で初対戦。初顔合わせは8月31日、三重県鈴鹿市体育館で長州は坂口征二と組んでハンセン&ロディ・パイパー組と対戦。(45分3本勝負)1本目は8分20秒、ハンセンが長州を体固め。2本目は4分6秒、ハンセンと長州が両者リングアウトとなり、2−1でハンセン&パイパー組の勝利。
初のシングルマッチは9月28日、千葉県市原市臨海体育館、(30分1本勝負)6分2秒、ハンセンが長州を体固めに降し、力の差を見せつけました。ハンセンはこのシリーズ、9月2日、愛知県体育館で猪木のNWFヘビー級王座初挑戦に抜擢され(25分13秒、バックドロップからの体固めで敗退)、翌78年はジョージア州でのスケジュールが一杯で来日出来なかったものの、79年4月の「第2回MSGシリーズ」でアンドレ・ザ・ジャイアントと互角の試合をして、以後は新日本プロレスのトップ外国人レスラーの座に昇り詰めました。
一方で長州はこの年3月にアメリカ、カナダ、ヨーロッパにおける海外修行から凱旋帰国したものの、猪木、坂口、ストロング小林に次ぐ4番手であり、翌78年にWWWFジュニア・ヘビー級王座のベルトを引っ提げて凱旋帰国した藤波辰巳の後塵を拝するようになっていきます。
79年6月15日ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで坂口と組んでヒロ・マツダ&マサ齋藤組を破り北米タッグ王座を獲得、S小林を脱いて4番手に再浮上、同王座は一度も転落することなく13回の連続防衛を果たし81年4月23日IWGP参加の為返上していますが、藤波とのMSGシリーズ、プレ日本選手権などのシングルマッチは全て負け。
81年5月17日、山形県寒河江市体育館での「第4回MSGシリーズ」公式戦で2分24秒にハンセンが体固めで勝利、最後のシングルマッチは同年「ブラディ・ファイト・シリーズ」第3戦の8月23日、熊本県阿蘇内牧大観宮特設リングでのセミファイナルでハンセンが1分44秒、体固めで勝っておりもはや長州はジョバーでした。おそらく長州はハンセンとはやる気も起きなかったことでしょう。
それから4年、団体の長となった長州はハンセンを相手に自団体のリングで雪辱を晴らすことが出来るか、それともハンセンが全日本プロレスナンバーワン外国人の意地に賭けて返り討ちにするか?
長州は序盤からハンセンのウエスタン・ラリアット封じとばかりグラウンドに引き込んで腕ひしぎ逆十字固めで攻勢にでました。ハンセンはこれを嫌い、外しにかかりますが長州は投げを打ってからの再び逆十字固め。
場外でハンセンがウエスタン・ラリアット、しかしこれは鉄柱に誤爆、そこへ長州が突進してリキラリアットにいきましたがこれはハンセンも読んでいて長州も鉄柱に誤爆、リングに戻ろうとした長州の腰を抱えたハンセンは場外でのバックドロップ。
両者後頭部を場外マットに強打してダウン。レフェリーのカウントが進み、17分7秒に両者リングアウトの引き分け。
長州は勝てませんでしたが、初対決から8年、ようやくハンセンに並びました。長州にとっては長年の鬱積した気持ちが晴れた試合だったかも知れません。
セミファイナルはKカーンvs鶴田の初シングルマッチ60分1本勝負。この試合前に81年5月に全日本プロレスを離脱して新日本プロレスに参戦していたタイガー戸口が来場して、リングに上がり、マイクでこの試合の勝者に対戦表明をアピールしています。
戸口は新日本プロレス移籍後は正規軍で闘っていた他、同じアメリカを拠点としていたKカーンとタッグを組み、81〜83年の第2〜第4回の「MSGタッグ・リーグ戦」に3年連続エントリーし82年の第3回大会は準優勝。
83年にKカーンがマサ齋藤、長州力の革命軍と行動を共にすると反体制派に加わり、その流れで維新軍に参戦していましたがベースがアメリカン・プロレスの為、Kカーン同様、というより全日本プロレススタイルであり、さらに維新軍とは試合のテンポが噛み合わず、本領発揮出来ずにいました。
84年の選手大量離脱の時は手薄になった正規軍に再度加わりましたが、暮れの「第5回MSGタッグ・リーグ戦」ではケリー・ブラウンと組まされるなど扱いは悪く85年1月の「新春黄金シリーズ」に参戦した後は新日本プロレスには上がっていませんでした。
戸口はジャパンプロレスの大塚直樹社長と合い、ジャパンプロレスへの参戦を打診、ジャパンプロレス側も戸口を戦力として迎え入れたい意向はありましたが、馬場が戸口をジャパン所属であっても全日本プロレスのリングに参戦してくることに反対し、戸口のジャパン入団は見送り、単なるアピールのみに終わっています。
Kカーンはジャパンの中ではいち早く馬場、鶴田、天龍の全日本プロレストップ3とシングルで対戦となり、試合はスケールの大きなぶつかり合いになりました。鶴田がKカーンにコブラツイスト、Kカーンも身体を入れ換えて切り返し、両者ロープ際でもつれて場外へ転落。
Kカーンはリングサイドにあったイスを持ち出して鶴田をメッタ打ちにし、15分25秒、Kカーンの反則負けとなっています。鶴田は手痛い勝利となりました。
セミ前は全日本対国際血盟軍、馬場&天龍組がR木村&鶴見組と対戦、11分4秒、天龍がパワーボムからのエビ固めで鶴見をフォールし馬場&天龍組の完勝となりました。
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