85年全日本プロレス「激烈!スーパー・パワー・ウォーズ」は3月29日、後楽園ホールで開幕。
参加外国人選手はスタン・ハンセン、ロン・バス、ボブ・ブラウンがシリーズ全戦参加。中盤戦から特別参加がディック・スレーター、テッド・デビアス。そして終盤戦にはNWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーが特別参加。
ジャパンプロレス勢の来襲でリング上が飽和状態となっていた全日本プロレスは外国人選手の人数を見直し。興行増収と言ってもジャパン勢に支払うコストは大きく、数を絞り、参加期間を短くして経費削減に出ました。シリーズフル参戦はハンセン、バス、Bブラウンの3人だけ。後は特別参加。その代わり先のシリーズのクラウス・バラス、T・G・ストーンのような員数合わせのような選手は呼んでおらず、外国人も「少数精鋭」となりました。
本来であればこの時期春の祭典、「チャンピオン・カーニバル」の開催時期に当たりますが、この年はジャパンプロレスとの軍団抗争もあり戦慄ムード。
開幕戦は3月29日後楽園ホール(テレビ収録、観衆3,000人超満員発表)大会。私はこの興行は観に行きました。
マイティ井上は渕正伸(正信)組と組んでジャパンプロレスのアニマル浜口&栗栖正伸組と対戦、10分27秒、両チームリングアウトの引き分けとなりましたがこの一戦での場外乱闘で栗栖のイス攻撃を頭部に食らった渕は裂傷を負って翌日から欠場しています。
開幕戦のメインイベントでは4月3日山形県体育館で行われるインターナショナル・タッグ選手権試合の前哨戦、鶴田&石川敬士組がハンセン&バス組の「テキサス・ロングライダーズ」と対戦。
試合は好連携を見せたハンセン&バス組が絶妙なチームワークを発揮、8分8秒、ハンセンが石川をウエスタン・ラリアットからの体固めでフォールしハンセン&バス組が開幕戦を白星で飾りました。
長州はセミファイナルでBブラウンとのシングルマッチ。ジャパンプロレスに移籍してからの長州は軍団抗争中心で連日タッグ、6人タッグばかりでシングルマッチは旗揚げ戦の前84年12月4日高松市民文化センターでの怪覆面X戦と同12月13日後楽園ホールでのデービーボーイ・スミス戦、そして2月21日大阪城ホールでの天龍源一郎戦のみ。いづれもジャパンプロレス主催で全日本プロレスの興行ではこれが初シングル。
カード発表を聞いた時のファンの反応は「えっ!Bブラウン大丈夫か!?」という感じでした。Bブラウンは全日本プロレスの常連でしたが、技はなく、パンチ、キックしか出来ない悪役だけど人のいいオジサンのイメージがあり、年齢も馬場と同じ1938年生まれの46歳と当時としてはロートルと言えました。
リングで対峙した時は正直、長州よりもBブラウンの方が身体が大きく、長州は思ったよりも攻めあぐねています。しかし強引バックドロップで投げると、自らロープに飛んでのリキラリアット1発。そのまま押さえ込んで4分25秒に体固めで勝利を収めています。
セミ前は全日本対ジャパン、天龍&大熊元司組vsキラー・カーン&谷津嘉章組。ジャパン軍相手だと普段のナマクラぶりから一気にスイッチが入る大熊が奮闘を見せましたが、谷津がワンダー・スープレックス(フロント・スープレックス)で重い大熊を投げたところにKカーンがコーナーポスト最上段からのダイビング・ダブルニードロップ、11分48秒、Kカーンが大熊を体固めに決めました。
第6戦は4月3日、山形県体育館(テレビ収録、観衆5,100人超満員発表)大会。
井上はセミ前に登場、馬場&佐藤昭雄組と組んでKカーン&谷津&浜口組と対戦。11分20秒、Kカーンが佐藤をペンデュラム・バックブリーカーで倒し、コーナーポスト最上段からの「アルバトロス殺法」ダイビング・ダブルニードロップからの体固めでフォールしジャパン軍の勝利。
山形大会メインイベントは鶴田&天龍組が保持するインターナショナル・タッグ王座にハンセン&バス組が挑戦。ちょうど1年前の84年4月4日岡山武道館で当時の王者チームである馬場&鶴田組にハンセン&バス組が挑戦し、馬場&鶴田組が勝利しているだけに鶴龍コンビ、特に天龍は内容でも結果でも負けたくないところです。
試合は鶴田がバスを追いかけて敵側コーナーに突っ込んでいったところ、エプロンにいたハンセンがコーナーにぶら下げていたブルロープを持ち出して鶴田の首を絞めて場外ヘ落としました。ハンセンはリング下でなおも鶴田の首を絞め続けた為、レフェリーが反則負けを宣告、11分53秒、鶴田の反則勝ちで鶴龍コンビが3度目のタイトル防衛に成功しましたが、内容的には不本意な防衛戦となってしまいました。
セミファイナルは石川vs長州のシングルマッチ45分1本勝負。全日本プロレスでは天龍に次ぐジャパンプロレス迎撃部隊の切り込み隊長的存在の石川は地元山形での長州との一騎討ちに大張り切り。
しかし、長州に捕まりサソリ固めにリング中央でガッチリと決められてしまいました。そこへ、何と前84年10月18日、高砂市鹿嶋神社大駐車場特設リング大会での試合を最後に失踪していた阿修羅・原が突然姿を現しました。
原は濃青のダンガリーシャツにジーンズ、ブーツという私服姿で試合に乱入、履いていたブーツで長州の頭部を殴りつける暴挙に出ました。長州も応戦して乱闘となり、6分10秒、ノーコンテストの裁定がくだりました。原はそのままリングを去っていますが、この半年間、原がどこに潜伏していたのか、次にどのような行動を起こすかは謎のままでした。
第12戦、佐賀県鳥栖市民体育館(テレビ収録、観衆2,400人発表)大会。
井上はタイガーマスクとのタッグでジャパンプロレスの保永昇男&仲野信市組と対戦、11分25秒、タイガーマスクが仲野をジャーマン・スープレックスホールドで破りました。
メインイベントは天龍の保持するUNヘビー級王座にジャパンプロレスのKカーンが挑戦。全日本対ジャパンの軍団抗争で、タイトルが賭けられるのは2月3日、北海道立北見体育センターでの石川敬士&渕正伸組vsアニマル浜口&寺西勇組のアジア・タッグ王座決定戦(両チームリングアウトで王座は空位のまま)以来で、両団体の主力級がタイトル戦で激突するのはこれが初。
天龍は前84年10月22日長崎国際体育館でマイケル・ヘイズを降し7度目の防衛に成功して以来、約半年ぶり、6か月の防衛期限切れギリギリでタイトルマッチが組まれました。
挑戦者のKカーンは天龍が2、3回目のアメリカ修行でくすぶっていた頃、ジョージア、フロリダでは既にトップヒールとしての地位を確保、80年暮れにWWF入りしてからはアンドレ・ザ・ジャイアントの足を骨折させたとして全米の憎悪を買い、復帰後のアンドレとの抗争はWWFのドル箱カードとなり、天龍より遥かに稼いでいました。
新日本プロレス、ジャパンプロレスでは軍団抗争の一員でしたが、元来がシングルプレーヤーであり、身体のサイズが他のメンバーとは異なり大きく、チョコマカしたジャパン軍の動きには不向きであり、また、しっかり技を受けるので、対ベビーフェイスの外国人や、全日本プロレス勢との試合の方が水に合っていたと思います。
試合は場外乱闘から、先にリングにカムバックした天龍が、遅れてリングに入って来たKカーンにエプロン越しにロープに飛んでのジャンピング・ニーアタック、ラリアット。Kカーンは2度に亘り場外へ再び転落。
怒ったKカーンはエプロンに上がると近づいてきた天龍の首を絞め上げる反則、静止に入ったレフェリーに暴行を加え、17分37秒、Kカーンの反則負け。天龍が悔しい8度目のタイトル防衛に成功しています。
セミファイナルは長州力&谷津嘉章組とハンセン&バス組の「テキサス・ロングライダーズ」との一戦、鶴田&天龍組がインターナショナル・タッグ王座防衛戦で1本勝ち出来なかったハンセン&バス組だけに長州&谷津組は結果を出したいところでしたが10分11秒、両チームリングアウトで6人タッグも含めてハンセン&バスから勝ちが収められません。
馬場&鶴田組はセミ前に出場、全日本プロレスのトップ2がセミ前にしかも日本テレビ収録のテレビマッチで試合をするのはジャパンにマッチメイク面で譲歩しているからで、新日本プロレスで猪木、坂口がセミ前に出るということは普通に考えてあり得ず、この時期は異例と言えました。
馬場&鶴田組はラッシャー木村&鶴見五郎組の国際血盟軍と対戦、6分24秒、馬場が16文キックからの体固めで鶴見をフォールしています。
中盤戦特別参加のディック・スレーター&テッド・デビアス組は浜口&栗栖組と対戦、11分35秒、スレーターが栗栖をブレーンバスターからの体固めでフォールしでいますがこちらは後の試合とのカードを入れ換えて、馬場&鶴田組vsスレーター&デビアス組、浜口&栗栖組vsR木村&鶴見組、とすべきでした。こうして見ると大所帯になって人材を活かしきれていないのがハッキリわかります。
ログインしてコメントを確認・投稿する