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2025年01月14日07:19

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週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(8)

第329戦、2月28日発売号●【予想】馬場、「鉄人超え」を果たす、インターナショナル選手権試合、馬場vsルー・テーズ(66年日本プロレス東京体育館)【正解】新日本と極真会館の名誉を懸けた蔵前決戦の殺気、格闘技世界一決定戦(WWF格闘技世界ヘビー級選手権試合)猪木vsウィリー・ウィリアムス(80年2月27日新日本プロレス蔵前国技館)

※参考 2018年2月28日発売号は●【予想】今回予想に同じ【正解】ショック! 鶴龍コンビがアメリカで屈辱の準決勝敗退!25,000ドル争奪世界タッグ王座決定トーナメント準決勝、鶴田&天龍源一郎組vsスタン・ハンセン&オレイ・アンダーソン(82年ジョージア州アトランタ・オムニセンター)この時点での対戦成績は25戦8勝17敗、勝率320。

【予想解説】自他共に認める「テーズ博士」の流さんが連載開始以来12年に亘ってこの一戦に触れていないのはいささか不思議な感はあります。

63年12月15日、暴漢に刺された傷が元で腸閉塞を起こし39歳(年齢については諸説あり)の若さで力道山が急死。保持していたインターナショナル王座は力道山一代限りとされ、ベルトは百田家に返還されました。

力道山死後、日本プロレスはアジア・タッグ王座を唯一の公認タイトルとして興行を行って来ました.ロサンゼルスのWWA世界ヘビー級王座を巡る豊登、ザ・デストロイヤー、ルーク・グラハムの攻防もありましたが、こちらは所詮メイドインUSAの王座で、日本プロレスに定着するわけにはいかず。やはり興行の根幹となるシングルのベルトは必要でした。

65年、日本プロレスでは日本プロレスリング・コミッショナー(川島正次郎衆議院議員)の認定の元。インターナショナル王座を復活させることに決定。ベルトも新調されました。

インターナショナル王座決定戦の日本代表に選ばれたのは27歳の馬場でしたが、すんなり王座決定戦進出という訳にはいかず、デストロイヤー、アルバート・トーレス、ザ・ブッチャー(スーパー・デストロイヤー、ザ・スポイラーの正体であるドン・ジャーデン、アブドーラとは別人)、ジ・アサシンズA(トーマス・リネストウ)ら世界の強豪を破って王座決定戦への出場切符を手に入れました。

この「世界の強豪を破って勝ち上がる」モデルは後に馬場が72年に全日本プロレスを旗揚げしてからのPWF(世界)ヘビー級王座争覇戦やデストロイヤーの覆面世界一決定戦十番勝負、鶴田試練の十番勝負等に継承されています。

日本代表となった馬場は65年11月24日、大阪府立体育会館でアメリカ代表、初来日の生傷男、ディック・ザ・ブルーザーと王座決定戦を行い、2本共反則勝ちによる2−0のストレート勝ちで新王者となりました。

11月27日、蔵前国技館での再戦は馬場の初防衛戦となりましたが1−1から両者リングアウトの引き分け。

若くて昇り調子の馬場を持ってしても全米を震え上がらせた大ヒール、ブルーザーの勢いは止められず。

明けて66年、馬場の前に挑戦者として立ちはだかったのが鉄人ルー・テーズ。テーズはこの年の1月7日にミズーリ州セントルイス・キール・オーデトリアムでジン・キニスキーに敗れNWA世界ヘビー級王座から転落したばかり、年齢も49歳とピークは超えていましたがそこはやはり「20世紀最強」と言われた不滅の鉄人。馬場は絶対不利と言われていました。 

試合は1本目、「テーズ相手にヘッドロックにいってはいけない、バックドロップの餌食となる」という鉄則を逆手に取り、テーズをヘッドロックに捉えて揺さぶる「テキサス・ブルドーザー」を見せ、グラウンドヘッドロックで執拗に攻撃、21分13秒、グラウンドヘッドロックの体勢からフォールに入って体固めで1本目を先取。

馬場の奇策に観客席からは大きな溜め息が起きています。

2本目、馬場が1本目と同じようにヘッドロックを取りに来たところ、これを読んでいたテーズは必殺のバックドロップ。2分45秒、体固めで2本目を取り返しました。

3本目、またもヘッドロックを取りにいく馬場。観客席からは「駄目だっ!またヘッドロックにいくなんて」という野次が飛びました。テーズは待ってましたとばかりバックドロップ!しかし馬場は投げられながらもイチかバチかの勝負に出ました。

担ぎ上げられた馬場は長い足でロープをキック、テーズは馬場の145kgの巨体を抱えたまま体勢を崩して両者ダウン。後頭部を打ってダウンしているテーズに馬場がすかさず覆い被さってフォール。51秒体固めの速攻勝利で馬場が逆転勝ち。2−1で馬場がテーズから2フォールを奪い2度目の防衛に成功、テーズ超えを果たしています。

【正解解説】猪木vsウィリー戦は既出ネタかと思いきや初出で、私も2月27日の出来事であれば迷わず予想したところですが…。しかし2024年はパリ五輪開催の閏年、3月から週回りが代わり、2025年の2月最終水曜日は26日となりしばし遠のくからか…?

80年2月27日、蔵前国技館で行われた猪木とウィリー・の「格闘技世界一決定戦」は猪木にウィリーが挑戦するWWF格闘技世界ヘビー級選手権試合として行われました。

当日は午後7時30分からの「水曜スペシャル」で生中継。

大会当日を迎え、会場となった蔵前国技館は新日本プロレスと極真会館だけでなくプロレスファン、空手ファンの乱闘を警戒してか厳戒態勢となり、「猪木が勝ったら袋叩きにしてやる。」と新日本プロレスに脅迫状まがいの脅しがあったとして、観客や空手関係者が金属探知機でチェックを受け、中には猟銃を持ち込もうとする者もいたため銃刀法違反で検挙された者も現れ、かつてない殺伐とした雰囲気となっていました。

メイン開始直前に黒いジャンバーを着た200名の空手家が現れる、この事態に新日本プロレス営業部長の大塚直樹は極真会館の添野義二に問い詰めると、万が一ウイリーが負けるような状況になったら、試合を壊すために門下生に召集をかけており、集団でいると物騒な雰囲気となるため、四方へと散っていたと言います。

これには新日本プロレスのレスラー達も流石に身構えたか、空手家たちの行動に注意し、猪木のセコンドには万が一の事態に備えて藤波辰巳まで着くことになりました。他には長州力、星野勘太郎、永源遙。

試合形式は3分1ラウンドの15回戦、しかし猪木の関節技は15秒と制限され、場外カウントも15となっていました。レフェリーは73年まで新日本プロレスのレフェリーをしており、梶原プロモーションに在籍ていたユセフ・トルコ。
 
第1ラウンド、猪木はロープワークを見せて牽制、猪木がドロップキックを放ちましたが、ウィリーはこれをかわして後ろ廻し蹴り、ミドルキック、ローキックを浴びせていきます。ウィリーの蹴りはスピードはさほどでもありませんが重たいです。

猪木は組みつくもロープブレークとなり、ウィリーは後ろへ下がった猪木にパンチ、猪木はスライディングからアリキックを仕掛けたところで第1ラウンド終了。

第2ラウンド、ウィリーのキック、ジャブのコンビネーションは猪木はバックステップでよけ、組みついたところでウィリーは膝蹴り、猪木がレフトフック・デイトン戦で見せたをヘッドバットを見舞えばウィリーも頭突きで応戦、やはり黒人は頭の硬さは共通なのだろうか…。

猪木は距離を図ってからの廻し蹴り、これをかわされるとウィリーは猪木の顔面にキック、膝蹴り。猪木は蹴られながらもウィリーに密着し、スライディング・レッグシザースからグラウンドヘ移行、両者もつれてリング下に転落。

上になったウィリーがはパンチ攻撃を浴びせたところで、リング下にいた黒いジャンパーを着用した極真会館勢が一斉に動きました。猪木側のセコンドも入って小競り合いとなり、ウィリーのセコンドが慌て止めに入ったところ、レフェリーのトルコは場外15カウントを数えて両者リングアウトを宣言、猪木はウィリーのセコンドの誰かに危害を加えられたか、額が切れて流血してしまいました。

両者はリングに戻ると試合続行をアピール、立会人の梶原一騎がリングに上がりマイクを持つと「この試合は皆さんが楽しみにしていた試合であります。立会人の権限で第3ラウンドから試合を再開致します!」と宣言、観客席からは大歓声。

第3ラウンドから続行が決まりましたが、レフェリーがのトルコは新間寿営業本部長の抗議を受け、ウィリーのセコンドが多すぎるとしてリングサイドからの退去を命じました。セコンドは双方4人とされていましたが、ウィリー側はドサクサに紛れ、それ以上の数がセコンドにいたのでした。

試合再開、第3ラウンド、勝負を賭けたウィリーがパンチの連打、猪木は場外にエスケープ、リングに戻ると猪木は張り手、ウィリーも瞬時にパンチを出して相討ち。まさに梶原漫画の「あしたのジョー」のクロスカウンターを彷彿とさせるシーンだ。

猪木はウィリーのボディにタックルしてからテイクダウンを奪い上になりましたがもつれて場外へ転落、リングに戻ると、ウイリーのエルボーに対して猪木は背負い投げから腕ひしぎ逆十字固めにいこうとしましたが、下になったウィリーが猪木の顔面に膝蹴り、「アーッ!」割れた額を押さえて苦しむ猪木、再びタックルを狙うが、ウィリーが防御して第3ラウンド終了。

第4ラウンド、またもやゴングと同時にウィリーがパンチの連打、猪木は下からタックル狙い、ウイリーのトラースキック、猪木のドロップキック共に空振り。ウィリーの廻し蹴りを外した猪木はもつれ合ったまま、またもや両者場外へ落ちて、猪木は場外でウィリーを腕ひしぎ逆十字固めに捕らえました。場外だと寝技15秒制限がないという猪木の読みだったか。レフェリーのトルコがカウントを数え、再び両者リングアウト、試合終了のゴング。再び双方のセコンド陣同士が小競り合いとなり、一触即発ムード。

猪木は脇腹、ウィリーは肘を負傷したため、4ラウンド1分24秒、両者ドクターストップの痛み分けとなりました。

プロレスと空手の威信を掛けたまさに果たし合い。死闘でしたが、ウィリーのセコンドについていたのはプロではなくアマチュアの空手家達であり、猪木が勝ったら興奮した観客と喧嘩になっていた可能性大であり、この結果しかなかったのではないかと思います。

その後ウィリーはK−1にも参戦して佐竹雅昭と対戦、92年にはリングスにも参戦して前田日明と7月16日、大阪府立体育会館で対戦、この頃は既に、かなり腹回りも太くなり、動きも鈍く、前田の膝十字固めにギブアップ負けしています。

猪木とウィリーは97年1月4日新日本プロレス、東京ドーム大会で猪木の引退に向けて「INOKI FINAL COUNT DOWN6th」で対戦し、猪木がコブラツイスト、ウィリーが正拳突きという「決め技限定マッチ」として行われました。4分13秒、猪木がグラウンドコブラツイストで勝利し、17年前の決着をつけましたが、お互いに全盛期を過ぎていたこともあり、盆戦に終わりました。何なら、この決着戦はやらなくても良かったと思います。

※対戦成績は329戦56勝273敗、勝率170。
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