全日本プロレスの「オープン選手権」に主力選手が出場、対抗戦などはありましたが自団体での話題に乏しかった国際プロレスにとって「まだら狼」上田馬之助の来襲は刺激的なトピックスでした。
上田のフリー日本逆上陸第1戦は76年5月23日「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」開幕戦の後楽園ホールで、開幕戦では上田の気心の知れたエディ・サリバンとのシングルマッチで、こちらはラフファイトは見せたもののクリーンに闘い、コブラツイストでギブアップ勝ちしました。
しかし、第2戦の5月24日福生市民体育館大会のメインイベントでリップ・タイラーと組んでラッシャー木村&マイティ井上組と対戦して悪の本性を剥き出しにし、R木村と上田が双方流血する凄まじいケンカファイトを展開しました。
井上はその中でも自分の役割をキッチリこなして試合を成立させました。1本目は井上がRIタイラーを回転エビ固め、2本目はRIタイラーが井上を体固め、決勝の3本目はノーコンテストになっていますが、R木村と上田が流血の乱闘に終始する中井上はゲームメーカーとしての巧さを見せています。
6月7日広島県福山市体育館でグレート草津&井上組のIWA世界タッグ王座にRIタイラー&サリバン組の「引き裂きコンビ」が挑戦。アラバマ、ミシシッピ、アーカンソーといったNWAガルフコースト地区でタッグ屋として活躍していたRIタイラー&サリバン組。
72年6月には旗揚げ間もない新日本プロレスにも参戦、その職人的仕事ぶりには定評がありました。3本勝負主流時代に何故か61分1本勝負で行われたタイトル戦は19分47秒、RIタイラーが井上をドリルアホール・パイルドライバーからの体固めで破り、RIタイラー&サリバン組が王座獲得、第14代王者チームとなりました。草津&井上組は6度目の防衛に失敗しています。
4日後の6月11日茨城県古河市立体育館でリターンマッチが行われ、今度は61分3本勝負。1本目はサリバンが草津を体固め、2本目は草津がサリバンを回転エビ固め、決勝の3本目は井上がRIタイラーをバックドロップからの体固めで破り2−1で草津&井上組が王座奪回を果たし第15代王者に返り咲き。RIタイラー&サリバン組は4日天下に終わりました。
古河大会ではR木村に上田が挑戦したIWA世界ヘビー級選手権試合(時間無制限1本勝負)も行われ、16分35秒、上田がカウンターの凶器攻撃からの体固めでR木村から3カウントを奪い、初挑戦で団体の看板ベルトであるIWA世界ヘビー級王座を奪いました。
上田がR木村に勝ってIWA世界ヘビー級王座を獲得したのに目をつけた新日本プロレスの新間寿営業本部長は早速上田獲得に動きました。
上田は日本プロレスが崩壊した後、大木金太郎、松岡巌鉄、グレート小鹿、ミツ・ヒライ、高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)、桜田一男(ケンドー・ナガサキ)、羽田光男(ロッキー)、伊藤正男の「9人の残党」として馬場の全日本プロレスのリングに上がっており、その際、全日本プロレスだけではなく日本テレビとも3年契約を結んでいました。
上田は73年10月に松岡と共にアメリカに遠征しましたが松岡はいつの間にかフェードアウト、単身フロリダ州ペンサコーラに居住し各地を転戦。日本テレビとの契約が切れたこの年の4月に上田はアメリカから全日本プロレスの馬場、新日本プロレスの猪木、国際プロレスのR木村に対し「日本選手権をやろう」と挑戦状を送りつけていました。
これに真っ先に反応したのが国際プロレスの吉原功代表だった訳ですが、新日本プロレスはモハメド・アリvs猪木の一戦に全社を挙げて取り組んでおり、それどころではありませんでしたが、上田がIWA世界ヘビー級王座を奪ったのを聞きアリ戦以降のネタが不足していたこともあり上田を国際プロレスから「横取り」にかかりました。
上田はシリーズオフ中に新日本プロレスとコンタクトを取り次期「ビッグ・サマー・シリーズ」終了後には新日本プロレスへジャンプすることを明らかにしています。
7月4日後楽園ホールで開幕の「ビッグ・サマー・シリーズ」に上田はIWA世界ヘビー級王者として出場、同シリーズには3年に及ぶ海外武者修行から凱旋帰国した八木宏改め剛竜馬も参戦しています。
7月7日大阪府立体育会館で草津&井上組は上田とこの年の2月21日後楽園ホールの控室で馬場と口論となり、全日本プロレスを離脱し古巣国際プロレスにフリー参戦したサンダー杉山組の挑戦を受けてIWA世界タッグ王座防衛戦を行いました。日本人選手同士の同タイトル戦は史上初。
1本目は11分50秒、上田が井上を体固め、2本目は3分44秒、草津&&井上組の反則勝ち、決勝の3本目は4分54秒、井上が上田から回転エビ固めでフォールを奪い2−1で草津&井上組がタイトル初防衛。3本目の公式決まり手は逆さ押さえ込みですが写真で見る限りは前方回転エビ固めです。
結果的に79年の上田の再参戦の時も含めて国際プロレスで上田がフォール負けを喫したのはこの時の井上の1回だけです。R木村は上田からはフォール、ギブアップは1度も奪えませんでした。
上田とR木村のリターンマッチは7月28日千葉県銚子市体育館で日本人同士としては異例とも言える金網デスマッチ時間無制限1本勝負で行われました。このまま上田に勝ち逃げされて団体の看板ベルトを持って新日本プロレスのリングに上がられたら国際プロレスの面子は丸潰れ、74年前のストロング小林の離脱、猪木への挑戦からの敗戦に次ぐダメージを負いかねません。
「金網デスマッチの鬼」R木村は金網デスマッチでは無敗を誇っていましたが、上田も反日感情の強いテネシー州でヒールとして揉まれ、日本プロレス時代からセメントの強さには定評があり、喧嘩マッチでの度胸と腕っぷしの強さで負けていません。
試合中、エキサイトした両者の乱戦に巻き込まれた阿部脩レフェリーが暴行されてダウン。金網で囲われたリング上はレフェリーなき無法地帯。サブレフェリーの前溝隆男がリングに入ろうと金網のドアを開けた瞬間、上田とR木村が金網から場外に出て乱闘。前溝レフェリーは金網に戻るよう再三呼び掛けましたが上田のセコンド、スーパー・アサシン(ロジャー・スミス)とR木村のセコンド、井上も加わっての乱闘が続き、17分48秒、没収試合となり、上田のタイトルも没収となりました。
国際プロレスではシリーズ最終戦の7月31日、埼玉県越谷市体育館で改めて上田とR木村の間で金網デスマッチによる王座決定戦を行うと発表。越谷大会はテレビ収録、TBSでは放送出来なかった金網デスマッチですが、東京12チャンネルではカメラアングルを工夫して放送していました。
国際プロレス「ビッグ・サマー・シリーズ」最終戦、7月31日、越谷市体育館の試合前に上田は左腕を三角巾で吊って現れ「銚子のR木村との試合で腕を痛めた。その後も我慢して悪化した。残念だが今日の王座決定戦は棄権したい、代わりにスーパー・アサシン(ロジャー・スミス)を指名する。頑張ってSアサシンにベルト取ってもらいたい」と王座決定戦の棄権を申出。
上田の棄権で王座決定戦はR木村とSアサシンの金網デスマッチにカード変更され、12分32秒、逆エビ固めでR木村が王座返り咲きを果たしていますが、R木村にとっては不本意な勝利だったと言えます。
上田は銚子大会の後、7月29日、群馬県藤岡市民体育館、7月30日、栃木県黒磯市公会堂と2試合普通に出ており、「我慢して悪化した」とは言っていますが、さすがに唐突すぎるキャンセルには違いありません。
IWA世界ヘビー級王座は国際プロレスの看板タイトル、団体を移る時は負けてベルトを置いていくのが業界のルールです。しかしR木村に負けたら、新日本プロレスヘジャンプ出来なくなってしまう。新日本プロレスは本気で上田にIWA世界ヘビー級のベルトを持ってくるように確信犯的に仕掛けた可能性は大きく、ベルト没収→負傷棄権というのがギリギリのラインだったかと思います。
上田はこの後、8月5日の新日本プロレス蔵前国技館に来場し猪木に挑戦状を叩きつけ、年内は乱入を繰り返し猪木に対戦をアピール、翌77年1月の「新春黄金シリーズ」から新日本プロレスに参戦、タイガー・ジェット・シンとの凶悪コンビで大ブレイクを果たしました。
井上は越谷大会ではセミファイナルで草津と組んでマスクマンチームのザ・UFO(ボブ・ダラセーラ、カール・スタイナー)&ブラック・ロッキード(レン・シェリー)組を反則含みながら2−0のストレート勝ちでIWA世界タッグ王座2度目の防衛に成功しています。
9月27日千葉県松戸市サニーランドでワイルド・アンガス&ギル・ヘイズ組を2−1で撃破、11月14日栃木県足利市月見ケ丘学園体育館では前75年にタイトルを一度は奪われたフレンチ(ピエール)・マーチン&マイク・マーテルのザ・コンバット・フレンチ・ブラザーズには1−1の引き分けとなりましたが翌11月15日愛知県体育館では金網デスマッチでコンバットに勝利。
年度最終戦12月4日神奈川県大和市車体工業体育館ではジプシー・ジョー&Gヘイズ組の強力コンビを2−1で破り下半期だけで6度の防衛を果たしました。
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