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2024年11月29日07:19

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【特別編】マイティ井上さん追悼(1)

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昨日2024年11月28日、国際プロレス、全日本プロレスのリングで活躍したマイティ井上(本名・井上末雄)さんが11月27日午前9時59分、心室細動の為神戸市の病院で亡くなられたとの訃報が入ってきました。享年75歳。ご冥福をお祈り申し上げます。

井上さんは1949年4月12日大阪市福島区生まれ、小学生から力道山のプロレスを観てプロレスラーに憧れ、高校では柔道に熱中。大阪のナニワ・ボディビルジムで身体を鍛え67年に国際プロレスに入門。

私の前作である「ストロング小林さん追悼」にも書きましたが、国際プロレス生え抜き一期生として小林省三(覆面太郎)、藤井康行(ヤス・フジイ)と共にヒロ・マツダ、マティ鈴木のコーチを受け67年7月27日名古屋市金山体育館での「パイオニア・サマー・シリーズ」開幕戦の仙台強(大剛鉄之助)戦でデビューしています。

若手時代は豊登の命名でリングネームを「井上円蔵」にしていた時期がありました。70年8月、ヨーロッパに遠征。この時期にフランスでこの年の1月国際プロレスの「新春パイオニア・シリーズ」に初来日した後のアンドレ・ザ・ジャイアントことモンスター・ロシモフとの友情が生まれています。

71年3月2日東京体育館でのビッグマッチが集客に苦戦した為、吉原功社長からワンマッチ帰国命令が出てビル・ミラーと対戦も敗戦。その後再び海外遠征に出発しヨーロッパ、カナダなどを転戦、72年10月の「ビッグ・ウィンター・シリーズ」に凱旋帰国。

10月28日、栃木県佐野市民会館で凱旋マッチを行った井上は試合巧者レッド・バスチェンと45分3本勝負で対戦。1本目は井上が体固め、2本目はバスチェンが体固め。決勝の3本目は45分時間切れとなり1−1の引き分けに終わりました。今までの国際プロレスにはいなかったテクニックでファンを唸らせることが出来るタイプのいいレスラーに成長していました。

11月29日東京体育館ではメインイベントに起用され、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組「ブル・クラ」のインディアナポリス版WWA世界タッグ王座にS小林と組んで挑戦。1本目はリソワスキーが小林を体固め、2本目は井上がブルーザーをフライング・ショルダーアタックから体固め、決勝の3本目はブルーザーが井上をアトミック・ボムズアウェイから体固めで破り、2−1でブル・クラが王座防衛に成功しました。

やはりブル・クラは国際勢とは格が違いました。

この2日前の11月27日愛知県体育館ではブルーザー&リソワスキー組のWWA世界タッグ王座にS小林&グレート草津組が金網デスマッチで挑戦していますが、小林&草津はメッタ打ちにされてダウン、これを見たブル・クラは勝利を確信したか金網のドアを開けて場外に脱出。ようやくダメージから回復した小林&草津はこれを追って場外のブル・クラを追い掛けて乱闘、エキサイトした観客が選手を取り囲む。小林&草津を殴り倒したブル・クラは控室へ引き揚げ、試合終了のゴングが鳴らされノーコンテストの裁定が下されました。

完全決着のはずの金網デスマッチが不透明決着となり、怒った観客が「詐欺だ!」「金返せ!」とリング廻りを占拠。国際プロレスでは初の暴動騒ぎに発展。納得しない観客は帰ろうとせず、吉原功社長がメガホンで「来年、無料興行をやります」と観客に詫びましたが2,000人近い客は深夜近くまで帰らず。夜11時を廻ってようやく事態収拾となりました。

金網でのタッグデスマッチを一目観ようと、会場の愛知県体育館は8,000人という大観衆が詰めかけましたが結果的には観客からの信用は失墜しました。

吉原社長は翌73年2月28日に同所で無料興行を開催。井上はメインイベントでホセ・クインテロと金網デスマッチを行いKO勝ちしています。

無料興行の前になりますが、井上は国際プロレスと友好関係にあった全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ結集戦」開幕戦の2月10日新宿区体育館大会に1日だけ出場、「ウチの試合はどこに出しても恥ずかしくない」が口癖の吉原社長のリクエストにより、寺西勇との提供試合が組まれ、20分時間切れ引き分け。

3月8日、ホームの国際プロレスのリング長野市民体育館で対戦し30分時間切れ引き分け。

3月16日町田市体育館で3度目の対戦が45分3本勝負で実現。この日のメインイベントはS小林のIWA世界ヘビー級王座にマッドドッグ・バションが挑戦した金網デスマッチでしたが金網はテレビ放送されない為、テレビ的にはメインイベントとなりました。

1本目は34分52秒、寺西がエビ固め、2本目は3分22秒、井上が体固め、決勝の3本目は45分時間切れ。10分間の延長戦を行い、引き分け。さらに10分再延長戦となり、7分7秒、井上がエビ固めに丸め込んでカウント3。合計62分7秒、井上が熱戦を制しました。

73年9月8日日大講堂で開幕した「第5回IWAワールド・シリーズ」にBブロックから出場。先輩の草津には優勢勝ち、アニマル浜口、大磯武、ウィリアム・ホール、グレッグ・ガニアに勝ち、ブラックジャック・マリガンに負け、デール・ルイスと両者リングアウトで5点となり、6点で同点首位となったか草津とマリガンに1点及ばず予選落ちとなっています。

74年、国際プロレスを激震が襲いました。2月13日西早稲田の喫茶店「ルナ」で国際プロレスのエースであり、現IWA世界ヘビー級王者だったS小林が団体を離脱・フリー宣言し全日本プロレスの馬場と新日本プロレスの猪木に挑戦状を叩きつけ、猪木がこれを受諾、3月19日新日本プロレス蔵前国技館で猪木vsS小林の「昭和巌流島の決闘」NWF世界ヘビー級選手権試合が行なわれ、29分30秒、猪木が「小林の全体重を首で支えるジャーマン」でフォール勝ちしました。

68年1月3日から6年3か月続いたTBSの「TWWAプロレス中継」が3月一杯で終了。

カナダのモントリオールに武者修行に出て凱旋帰国予定だった大剛が帰国直前にカナダ・カルガリー郊外のフリーウェイで交通事故に遭い右足首を切断、プロレスラー生命を絶たれています。

国際プロレスの看板タイトルであったIWA世界ヘビー級王座は東京12チャンネルの単発放送された6月3日後楽園ホールで日本代表ラッシャー木村とAWA代表のビル・ロビンソンとの間で王座決定戦が行われ、2−1でロビンソンが勝ち王座獲得。

ロビンソンは8月16日(現地時間)コロラド州デンバーでスーパースター・ビリー・グラハムに2−1で敗れ王座転落してしますが実際にこの試合は行われてはおらず架空のベルト移動と言われています。

王者となったグラハムは9月15日後楽園ホールで開幕の「スーパー・ワイド・シリーズ」に初来日を果たしますが、吉原社長が挑戦者として指名したのは当時弱冠25歳の井上でした。 

2回のプロット放送を経て、9月23日の日大講堂より東京12チャンネルによる「国際プロレスアワー」が毎週月曜日午後8時からのレギュラー放送が開始されました。

新王者グラハムはリニューアルされた新しいベルトを巻いての来日、井上はグラハムのIWA世界ヘビー級王座に3連続挑戦、10月1日、大分県営体育館では2−1で負け、10月5日、愛知県体育館では1-1から両者リングアウトの引き分け、10月7日、埼玉県越谷市体育館で1−1から逆さ押さえ込みでグラハムをフォール。第9代IWA世界ヘビー級王者となっています。(この項続く)
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