81年全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」第11戦、12月8日秋田県立体育館(観衆3,700人発表)大会。(公式戦は45分1本勝負、夢のシングルマッチは30分1本勝負)
メインイベントは前80年大会の最終公式戦、馬場&鶴田組とドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスの公式戦が行われ、45分時間切れ引き分け。
セミファイナルはハーリー・レイス&ラリー・ヘニング組がバロン・フォン・ラシク&キラー・カール・クラップ組と公式戦で対戦しましたがレイスがクラップをブレーンバスター(バーティカル・スープレックス)から体固めでレイス&Lヘニング組の勝利に終わりました。
夢のシングルマッチ、ブルーザー・ブロディとザ・シーク初の一騎討ちはイスを持ち出して攻撃を加えたシークの反則負け。
第12戦は12月9日札幌中島体育センター(テレビ収録、観衆8,800人超満員発表)大会。メインイベントは優勝の行方がかかった大一番、馬場&鶴田組とブロディ&ジミー・スヌーカ組の一戦。ブロディが馬場を場外に投げ落とし、そのまま4人入り乱れての乱闘となり両チームリングアウトの無得点試合。
馬場&鶴田組は6戦4勝1時間切れ引き分け1両リン、失点3の9点、ブロディ&スヌーカ組は5戦4勝1両リン、失点2で8点。
セミファイナルのドリー&テリー組のザ・ファンクスとレイス&Lヘニング組の公式戦はテリーがダイビング・ボディアタックからの体固めでLヘニングを破り、ファンクスは6戦4勝1時間切れ引き分け1敗、失点3で9点、レイス&Lヘニング組は7戦3勝4敗、失点8の6点。
札幌大会終了時点で優勝の可能性が残されているのは馬場&鶴田組、ザ・ファンクス、ブロディ&スヌーカ組に、5戦4勝1両軍反則、失点2で10点のタイガー・ジェット・シン&上田馬之助組の4チームとなりました。
夢のシングルマッチ、シンとシークの一戦、カナダのトロント、ミシガン州デトロイトでは何度となく対戦している両者ですが、国内では初のシングルマッチ。
両者凶器を使っての大乱戦、場外で本部席の机を鉄柱に立てかけたシンがシークを机に叩きつけてリングに素早く上がり、僅か2分21秒にリングアウト勝ちを拾いました。
第13戦、12月10日旭川市総合体育館常盤分館(観衆5,200人超満員発表)大会ではブロディ&スヌーカ組とシン&上田組が公式戦で対戦、2分26秒に両チーム反則の無得点試合となり、ブロディ&スヌーカ組は6戦4勝1両リン1両軍反則、失点4で8点、シン&上田組は6戦4勝2両軍反則、失点4の8点。
第14戦は12月11日帯広市総合体育館(観衆4,500人満員発表)大会、公式戦はドリー&テリー組のザ・ファンクスがラシク&クラップ組と対戦、テリーがクラップを首固めで破り、7戦5勝1敗1時間切れ引き分け、失点3の11点。
シン&上田組と天龍&原組の一戦はシンが原の喉元を凶器で一撃、コブラクローからの体固めでフォールし7戦5勝2両軍反則、失点4で10点。
第15戦は12月12日横須賀市総合体育会館(観衆4,600人満員発表)大会。
この日、12月10日大阪府立体育会館まで新日本プロレスの興行に参加していたスタン・ハンセンが百田義浩の運転する車で来場、百田義に先導されて体育館の敷地に入りました。
この時マスコミに見つかっていますが、ハンセンは「親友ブロディに会いに来ただけだ。頼むから騒がないで欲しい」と言い残し、外国人側の控室に入りました。
この日は土曜日で、最終戦の蔵前国技館大会が行われるのは日曜日で「東京スポーツ」は休刊日。この出来事を私は翌日、メインイベントが始まるまで知りませんでした。翌日の「デイリースポーツ」 に書いてあったかどうかは不明です。
今なら、誰か入待ちしてるファンがSNSに投稿したりするでしょうが、馬場はこれをサプライズでやらなければ意味はなく、おそらくマスコミには「書くな」と箝口令が敷かれていたのではないでしょうか?
ハンセンは外国人側控室でブロディ、スヌーカと蔵前国技館大会での綿密な打ち合わせを行ったに違いありません。
横須賀大会メインイベントは馬場&鶴田組とシーク&マーク・ルーイン組の公式戦で馬場&鶴田組の反則勝ち。馬場&鶴田組は7戦5勝1時間切れ引き分け1両リン、失点3の11点。
ブロディ&スヌーカ組はグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビとの公式戦、ブロディがキングコング・ニードロップから大熊を体固めで破り、ブロディ&スヌーカ組は7戦5勝1両リン1両軍反則、失点4で10点となりました。
ドリーvsレイスの夢のシングルマッチは30分時間切れ引き分けとなりました。
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