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2024年09月17日07:14

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ストロング小林さん追悼最終章(805)

81年10月22日付(21日発行)の「東京スポーツ」記事の本文から抜粋引用してみたいと思います。

今度はストロング小林が行方不明になってしまった。小林は(81年10月)16日の大分大会終了後、西独で行われているハノーバー・トーナメントに出場する為に帰京。18日には渡独しているはずだった。

しかし20日になって先にハノーバー・トーナメントに参加している木村健吾から新日プロ事務所に"小林、いまだ現れず"の連絡が入ったのだ。

てっきり渡独していたものと思っていた新日プロフロントはビックリ仰天。もしや不慮の事故に遭ったのではと調査を重ねたが、異常なし。さらに小林の実家(東京都青梅市)に連絡をとったものの、こちらにも帰っておらず消息はプッツリと断たれてしまった。

(ラッシャー)木村ら、新国プロ軍団に加担宣言はしたものの、小林はレッキとした新日プロの人気レスラーだけに新日プロでも懸命の捜索を続けているが、現時点では全くのお手上げ状態である。サラリーマンなら自分の勤めている会社の指示に叛く重大事。

小林はいったい何の為に西独遠征をボイコット、蒸発してしまったのか?この裏側にはよほどのことがあったと思われる。

小林はさる(81年10月)9日、新国プロ軍団結成宣言してから表面だった行動はとっていなかった。だが木村、浜口、寺西、剛が相次いで謎の蒸発事件を起こしてから態度が険悪に変わっていったのは事実だ。

そして木村と小林が間違いなく接触したのが16日の大分。すなわち、小林が消息を絶つ前日である。ここで二人の間で何が話し合われたのか?

奄美諸島での2試合が台風の為中止となり(※10月20日鹿児島県名瀬市体育館、21日鹿児島県徳之島町亀津闘牛場特設リングの2大会が台風24号の影響で中止された)、急拠鹿児島待機中の木村ら新国プロ軍団をとらえ問いただしたが、木村は「俺達は何も知らん、くだらんことを聞きに来るな」とケンもホロロに追い払われてしまった。

しかし、木村と小林の間で確かな情報交換があったのは事実。小林は木村と並ぶ新国プロ軍団の大将格である。23日の沖縄大会(那覇市奥武山体育館)で何かを企む彼らだけに、そろそろもう一人の大将・小林が現れてもいい時期ではある。

小林の11月5日蔵前国技館での対戦カードはまだ決まっていない(※ディノ・ブラボー戦が発表済)。何を狙っているのか全く予測がつかないが相次ぐ新国プロ軍団の謎の行動。小林はいったいどこへ消えてしまったのか。

この記事を読むと元々S小林は10月16日の大分県立総合体育館大会が終わると西ドイツで開催されているハノーバー・トーナメント参戦の為に遠征に出ることになっていた。おそらく凱旋帰国する木村健と入れ代わりだと思われますが、ハノーバー・トーナメントに出るという話は事前に報道されておらず、これはいささか怪しい。

S小林とヨーロッパと言えば68〜69年の国際プロレス時代以来12年ぶりの遠征であり、もっと大きく採り上げられて然るべき。それに11月5日蔵前国技館ではブラボーとの対戦が発表されており、本来ならそれまでに帰国しなければならず、発表通りなら2週間強しか滞在期間がない。これも不思議な話で、40日間ぶっ通しで行われるのが通例のハノーバー・トーナメントに2週間位参戦してもあまり意味はなさそうです。 

この記事から類推すると、S小林は大分大会終了後、腰痛の治療の為帰京したが、雲隠れということにしておいて、回復の具合を見ながら、11月5日の蔵前国技館大会での猪木vsR木村の再戦の試合後に乱入、もしくはどっちつかずのセコンドとしてリングに上がり乱闘を止めるフリをして猪木に近づき、握手を求める、これに不用意に応じた猪木を持ち上げて決別のアトミック・ドロップを浴びせるなどして「S小林、沈黙を破る!」という感じで国際軍団に正式に合流する計画ではなかったかと思われます。

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