話を95年に一旦戻したいと思います。95年最終シリーズとなった「バトル・ファイナル95」第2戦、11月24日後楽園ホールで小林邦昭さんは小原道由とタッグを組み、野上彰(AKIRA)&飯塚孝之(高史)組のJJジャックスと対戦、試合前に小林邦さんは野上に強烈な張り手を見舞いました。
これで試合は殺気溢れる喧嘩マッチとなりましたが、15分33秒、野上がスリーパーホールドで小林邦さんからレフェリーストップ勝ち。試合後、リング上で野上は「小林、何だこのザマは!バカヤロー!」と毒づいてリングを降りました。
12月24日後楽園ホールでの選手会主催興行「BATTLE CHRISTMAS 夢☆勝ちます95」は基本的には若手対ベテランのカードが多いですが、第6試合で野上と小林邦さんの因縁のシングルマッチが実現。
試合はゴング前から小林邦さんが仕掛けて、野上に対してフィッシャーマンズ・スープレックスを7連発、常軌を逸した小林邦さんの攻撃を止めに入った柴田勝久レフェリーにもフィッシャーマンズ・スープレックスを見舞い、僅か2分28秒、小林邦さんの反則負けが取られました。
小林邦昭さんは失神したの野上の髪を持参したハサミで切ってしまいました。試合後、「これはプロレスの枠を超えた喧嘩。グレイシーでもパンクラスでも沸かせるような試合はしないだろ。パンクラスも超えてるよ。お客さんは不満かもしれないけど、ケンカだから。」とコメント。
この時期、93年11月12日コロラド州デンバーで行われた第1回UFCで無名のホイス・グレイシーがパンクラスのレギュラー外国人だったケン・シャムロック、リングスで前田日明に敗れましたが喧嘩屋として怖れられたジェラルド・ゴルドーを連破して優勝。グレイシー柔術が一躍脚光を浴びまていました。
翌94年にはホイスをして「俺より10倍強い」と言わしめた兄のヒクソン・グレイシーが来日。7月29日東京ベイNKホールで行われた「VALE TUDO JAPAN OPEN 1994」で決勝でバド・スミスを破り優勝。これに噛みついたのがUWFインターナショナルで、高田延彦とヒクソンを対決させるべく渡米した安生洋二が道場破りで袋叩きにされています。
ヒクソンは95年にも再来日、4月20日日本武道館で解散された「VALE TUDO JAPAN OPEN 1995」に出場、日本人格闘家である山本宜久、木村浩一郎、中井祐樹をの3人を一夜にして3タテにして2連覇をしてみせました。
そこから日本のマスコミもグレイシーを持ち上げ、またパンクラスは「無駄な脂肪を削ぎ落とした肉体」と「秒殺」を売りにしておりプロレスでは反則となるチョークスリーパーをフィニッシュに用いたことで「最強団体」と言われていました。
新生UWFから派生した各団体、前田日明のリングスは前田は膝の負傷と体重増加で満足な動きが出来なくなり、山本宜はヒクソンに惨敗、「最強」を謳ったUインターは95年10月9日東京ドームでの新日本プロレスとの「全面戦争」で高田が新日本プロレスのエース、武藤敬司に敗れて新日本プロレスの軍門に降り、最強神話が崩れました。
もう一派の藤原組は93年に船木誠勝、鈴木みのる、高橋義生、外国人エースのKシャムロックらほぼ全員が離脱してパンクラスを結成、デビューしたばかりの石川雄規と2人だけになりました。それでも池田大輔、田中稔、臼田勝美らがデビューして団体としての体を成して来ましたが、95年11月19日横浜文化体育館で石川らが離脱していました。
U系ではパンクラスが最後の砦だった訳です。小林邦さんが「グレイシーとパンクラス」の名前を出したのはちゃんとした理由があり、「キングオブ・スポーツ」を掲げる新日本プロレスのレスラーとして、強さの原点は野毛の新日本プロレス道場にある、というプライドから出たものでした。
メインイベントは橋本真也&飯塚組vs木村健悟&彰俊組でしたが急拠、野上と小林邦さんを加えた6人タッグマッチに変更。9分55秒、橋本が彰俊を垂直落下式ブレーンバスターからの体固めで破り、橋本&野上&飯塚組が勝利を飾りました。
試合後、リング上で小林邦さんは「野上っ!もう1回ここでシングルだ!」と挑発、選手会長である橋本は「やるなら正々堂々とやれ!」と一喝して収束させました。
野上は「僕が甘かった。ま、僕が勝った時には小林に眉毛まで剃ってもらう。決着はつけますよ。お客さんだって待っててはくれないだろうし。」とバックステージでコメント。
橋本は「野上と小林は感情が入りすぎてるから、試合をして結果を出せというのは無理かもしれない。あんなに汚い試合になるんだったらお客さんに見せない方がいい。お互いにプロである以上、メインを張るくらいの気持ちでやってほしい。」と両者の抗争には否定的な見解を示しています。
「プロレスは総合格闘技に負けてはいけない。人間同士の怒りの感情をリングでぶつけ合うのがプロレス、グレイシー柔術やパンクラスは競技であって『闘い』はない。お客様が一緒に感情を揺さぶられるのがプロレスなんだ!」という、昭和新日本プロレスで猪木と共に歩んできたベテランレスラーは、JJジャックスで精彩を欠いていた野上に噛みつくことで、野上のポテンシャルを引き出そうとしました。(この項続く)
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