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2024年02月25日07:29

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(48)

第317戦、11月29日発売号●【予想】「馬場さん、お先にどうぞ」発言に見る草津のプロレス人生観、馬場&グレート草津組vsレッド・バスチェン&マリオ・ミラノ組(72年国際プロレス東京体育館)【正解】一流外国人呼びすぎによる共倒れ寸前の年末、新日本「第2回MSGタッグ・リーグ戦」vs全日本「世界最強タッグ決定リーグ戦」、山梨興行戦争(81年新日本プロレス富士急ハイランド大ホール&全日本プロレス石和町小松パブリックホール)

【参考】2017年11月29日発売号はラグビー界の超・大物スターがプロレス入団記者会見!原進(阿修羅・原)入団記者会見(77年国際プロレス高田馬場BIG−BOX)

2017年11月29日発売号、第12戦の予想●今回の予想に同じ※対戦成績は12戦3勝9敗、勝率250。

【予想解説】72年11月29日、国際プロレス東京体育館大会。メインイベントはディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組「ブル・クラ」のWWA世界タッグ王座にストロング小林&マイティ井上組の同期コンビが挑戦。1本目は1分23秒、リソワスキーが小林を体固め、2本目は15分43秒、井上がブルーザーをフライング・ショルダーアタックから体固め、決勝の3本目は1分1秒、ブルーザーが井上をアトミック・ボムズアウェイから体固めで破り、2−1でブル・クラが王座防衛に成功しています。

この日と翌日の水戸市茨城県スポーツセンター大会に、全日本プロレスの「旗揚げジャイアント・シリーズ」を終えた馬場がサンダー杉山をトレードしてもらったのと旗揚げシリーズに鶴見、デビル紫を貸し出してもらった「恩義に報いる為」としてゲスト参戦。草津と組んでレッド・バスチェン&マリオ・ミラノ組と対戦。

この試合前、草津が入場に関して「馬場さん、お先にどうぞ」と先に入場するよう促したという有名なエピソードがあり、馬場がこれにカチンと来たという話ですが、草津曰く「アメリカでは格上の選手が前を歩く」という言い訳をしたとのことですが、日本は格上の選手が後ろを歩くのが定石です。が、結果は馬場が先に入場したそうです。

日本プロレス時代、草津は馬場の付き人をしていた時期もありましたが、国際プロレス設立の為に吉原社長に誘われて移籍、アメリカでの武者修行を終え、TBS体制に移行する際に日本側のエース候補として凱旋帰国が決定した67年の終わり頃、ロサンゼルスで偶然にも馬場と遭遇。

その際、「僕はTBSのエース、馬場さんは日本テレビのエース、エース同士御互い頑張りましょう」と言って馬場を大いに呆れさせたという逸話もあることから、草津が「馬場を従えて後ろを歩いて入場したかった為に『お先にどうぞ』という無礼を働いた」というのは納得いく話です。馬場はよそのリングでかつ吉原社長への報恩目的の参戦であり、大人の対応をしたのでしょう。

1本目は16分22秒、バスチェンが草津を体固め、2本目は8分2秒、馬場がミラノを体固め、決勝の3本目は4分55秒、草津がエビ固めでバスチェンを破り、2−1で馬場&草津組が勝利を収めています。

そのあたりが、75年全日本プロレス「オープン選手権」での草津のマッチメイクにおける冷遇(2点で終了、同じく国際プロレスから参加のラッシャー木村は6点で敢闘賞、M井上も同じく6点)に繋がったのではないかと思われます。

【正解解説】前80年に新日本プロレスが暮れのシリーズを「MSGタッグ・リーグ戦」に変更し、全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」にぶつけて来たことで年末は両団体によるタッグ・リーグ戦興行戦争となっていました。

加えて本稿の81年は5月のアブドーラ・ザ・ブッチャー新日本プロレス移籍に端を発した新日本プロレスと全日本プロレスの「仁義なき引き抜き抗争」と相俟って、年末の両団体のタッグ・リーグ戦は豪華メンバーが集結。

先行して開幕した新日本プロレスの「第2回MSGタッグ・リーグ戦」(11月20日志木市民体育館〜12月10日大阪府立体育会館)はアンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ組、スタン・ハンセン&ディック・マードック組のテキサス・ロングホーンズ、アファ&シカ・アノアイのザ・サモアンズ1&2号、カネック&スペル・マキナ組、パット・パターソン&バッドニュース・アレン組がリーグ戦にエントリーで全戦参加(パターソンは負傷の為途中帰国)。

他に中盤戦特別参加がハルク・ホーガン、終盤戦特別参加がダスティ・ローデス、ローラン・ボック。

後攻の全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」(11月27日後楽園ホール〜12月13日蔵前国技館)ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクス、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組、ハーリー・レイス&ラリー・ヘニング組、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助組、ザ・シーク&マーク・ルーイン組、バロン・フォン・ラシク&キラー・カール・クラップ組が全戦参加。(上田は外国人陣営)

全日本プロレスはブッチャーの転出、シンの転入でメンバーが入れ換わりました。

本稿では、2大タッグ・リーグ戦のとある1日、11月29日、日曜日の山梨県下での興行戦争(新日本プロレス富士吉田市・富士急ハイランド大ホール、全日本プロレス東八代郡、現笛吹市石和町小松パブリックホール)を題材にし、当日の試合内容には触れず(陰陽した東京スポーツは28日土曜日の結果も併せて掲載されていた)豪華外国人を呼びすぎたが故に両団体が共倒れ寸前、

最強タッグ最終戦12月13日、蔵前国技館に新日本プロレスのトップ外国人だったハンセンが乱入して全日本プロレスへの移籍が確定。慌てた猪木、新間寿営業本部長が馬場に休戦を申し入れ「外国人選手引き抜き防止協定」が締結され、翌82年以後は正常な状態に戻ったとあります。

しかし、少なくとも年末の時点で全日本プロレスは興行不振で日本テレビから松根光雄社長(82年1月1日付で就任)が出向してきてテコ入れで「倒れそう」でしたが新日本プロレスはタイガーマスクブームもあり上昇機運にあった、と私は見ています。


※対戦成績は317戦55勝262敗、勝率174。
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