mixiユーザー(id:21258650)

2023年04月04日21:46

252 view

週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(35)

第252戦、8月31日発売号●【予想】大木金太郎、深夜のソウル市内で交通事故に遭い重傷(76年)【正解】テリー・ファンク引退試合、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組vsスタン・ハンセン&テリー・ゴディ組(83年全日本プロレス蔵前国技館)【参考】2016年8月31日発売号は正解に同じ。

【予想解説】前75年、新日本プロレスから全日本プロレスに闘いの場を移した大木はこの年、3月にはザ・デストロイヤー、グレート小鹿、大熊元司らを招いて前年10月に韓国での活躍を評価されて建立されたソウル市金一文化体育館で2連戦を行い、初日の3月25日には小鹿を2−1で破り、73年4月の日本プロレス崩壊から封印されていたアジア・ヘビー級王座を獲得。

翌26日にはデストロイヤーと激しい流血戦の末1−1から両者リングアウトの引き分けでインターナショナル王座を防衛。誰よりも敬愛していた師匠・力道山の遺産である2冠を獲得、防衛しました。

4月2日、後楽園ホールで開幕した「第4回チャンピオン・カーニバル」に初エントリー、同大会は全日本プロレスとしては初の総当たりリーグ戦として行われ、17点をあげ、優勝のアブドーラ・ザ・ブッチャー、準優勝の馬場に次いで鶴田と並んでの第3位という好成績を残しました。

シリーズ終了後は5月18、19日の2日間でソウル市金一文化体育館大会開催、初日はザ・バラクーダ(マリオ・ミラノ)、2日目はサムソン・クツワダを下してインターナショナル王座を連続防衛。

6月にはクツワダが変身したタイガーマスクらを招聘して韓国ツアーを開催、タイガーマスクとインターナショナル王座防衛戦の3連戦を行い連続防衛。

8月6日にネバダ州レークタホーで行われたNWA総会では馬場の推薦でNWAへの加盟が「満場一致」で可決されました。新日本プロレスと商売していれば先ず不可能な話で、プロモーターとしても大きなブランドを手に入れることが出来た訳です。

順風満帆に来た大木でしたが、「好事魔多し」。8月31日深夜、ソウル市内のレストランで関係者と食事をした大木は運転手の運転する車で帰宅の途につこうとしていました。しかし、観光道路3号線に差し掛かったところで向かい側から走ってきたタクシーと正面衝突、大木の運転手とタクシー運転手に怪我はなかったですが、大木だけは全身打撲と頭部裂傷で全治20日間という重傷を負い、ソウル市内の順天郷病院に入院して、整形外科と形成外科の手術を受けたとのこと。

しかし、力道山に鍛えられた大木の精神力は生半可ではなく、9月8〜11日に行われた韓国での「NWA加盟記念ツアー」、9月24日、大宮スケートセンターで開幕の全日本プロレス「ジャイアント・シリーズ」には頭部を包帯でグルグル巻きにして強行出場しています。

【正解解説】80年10月の全日本プロレス「ジャイアント・シリーズ」中盤戦に特別参加する為にディック・マードックと共に来日したテリーは記者会見で「両膝の状態が限界に来ている。3年後の自分の39歳の誕生日である6月30日に、愛する日本のファンの前で引退する」と3年後の引退を発表。

77年の「世界オープン・タッグ選手権」12月15日、蔵前国技館でのドリーと組んでのブッチャー&ザ・シーク組との対戦でブッチャーのフォーク攻撃で左上腕部を刺され、それを耐え抜いて反則勝ちながら優勝を飾り、日本でのベビーフェイス人気が爆発したテリー。

以来、テリーvsブッチャー、ザ・ファンクスvsブッチャー&シーク組の遺恨試合は全日本プロレスのドル箱カードとなり、この時期全日本プロレスの真のエースはファンクスであり、ブッチャーでした。

しかし翌81年5月のブッチャー新日本プロレス移籍に端を発した新日本プロレスと全日本プロレスの引き抜き抗争で全日本プロレスのリングの風景は一変しました。

全日本プロレス「第3の男」タイガー戸口、マードックが新日本プロレスへ。タイガー・ジェット・シン、チャボ・ゲレロが新日本プロレスから全日本プロレスへ。

興行戦争では圧倒的優勢だった新日本プロレスでしたが12月13日、蔵前国技館での「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦、公式戦最終試合、ファンクスvsブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組の一戦に3日前まで新日本プロレスのリングに上がっていたハンセンが現れ、試合に介入、試合後馬場、鶴田と乱闘となり、全日本プロレスへの登場が決定。

新日本プロレス外国人の「強さの象徴」だったハンセンが全日本プロレスに動いたことで引き抜き抗争に関しては全日本プロレスの逆転勝ちとなりました。

ハンセン移籍でブロディとの「超獣コンビ」あるいは「ミラクルパワーコンビ」が日本で実現、ウエストテキサス大学の先輩・後輩となるファンクスとの世代闘争が全日本プロレスの闘いの軸となりました。

そして迎えた83年、これまで73年の第1回大会から10回に亘り開催してきた春の祭典「チャンピオン・カーニバル」を優勝争い形式(第1〜3回がトーナメント、4〜10回がリーグ戦)を一旦休止し「グランド・チャンピオン・カーニバル」にシフトチェンジ。

「グラチャン」はPART�靴泙燃�催され、残念ながらテリーの誕生日当日の6月30日(1944年インディアナ州ハモンド出身)はシリーズオフで引退試合は行われませんでしたが、7月8日、熊谷市民体育館で開幕した「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�掘廚蓮屮謄蝓次Ε侫.鵐�さよならシリーズ」として開催されています。

次の「スーパー・パワー・シリーズ」8月31日、蔵前国技館でテリー引退記念試合が13,600人(超満員発表)の大観衆を集めて行われました。

テリーはドリーとのファンクスでハンセン&初来日のテリー・ゴディ組と対戦。12分35秒、ドリーとハンセンが場外戦となる間に、ゴディのダイビング・ボディプレスをかわしたテリーが、コーナーポスト最上段からゴディへダイビング・ローリング・クラッチホールドでテリーがゴディからフォール勝ち。
 
試合後、涙の引退セレモニーが行われ「フォーエバー、フォーエバー!」と絶叫し感動を呼びましたが、同年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」を初めとして翌84年にかけて馬場&ドリー組のマネージャーとして度々来日、ハンセン、ブロディの襲撃を受けて「日本のファンが許してくれるならカムバックしたい」

とあっさりと84年の「世界最強タッグ決定リーグ戦」で復帰してしまいました。

※対戦戦績は252戦45勝207敗、勝率178。 
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年04月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30