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2023年02月26日22:38

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週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(49)

第215戦、12月8日発売号○【予想、正解】猪木vsグレート・アントニオ※(コラムタイトル)猪木が観客動員を無視してまで興行を強行した真相(77年新日本プロレス蔵前国技館)

【解説】77年新日本プロレス掉尾を飾る「闘魂シリーズ第2弾」は10月28日、福生市民体育館からのテレビ生中継。

セミ前の坂口征二とゴールデン・ファルコンのシングルマッチ30分1本勝負。試合途中に1階観客席後方から大きなどよめきが起きると、61年5〜6月の日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」に1度だけ来日し、大きな話題を集めた「密林王」グレート・アントニオが突如登場しリングサイドに現れました。

観客の視線はアントニオにいってしまい、試合に集中出来ない状況、坂口は7分21秒、Gファルコンをジャンピング・ニーアタックからの逆片エビ固めでギブアップさせるとリング下のアントニオに掴みかかり揉み合いになりました。アントニオは怪力で坂口を場外に叩きつけて去っていきました。

一時は消息不明となり死亡説も流れていたアントニオですが1925年クロアチア出身の当時52歳。初来日したのが35歳の時で神宮外苑でのバス引きデモンストレーションは社会現象クラスの騒ぎとなり、アントニオ人気で「第3回ワールド・リーグ戦」はどの会場も満員、超満員の連続。

自分の人気を鼻にかけたアントニオはブッカーのグレート東郷にギャラアップとシリーズ参加期間の延長を要求(全戦参加予定ではなかった)、しかし、同時来日していた外国人レスラーがヤバ過ぎました。

ミスターX(ビル・ミラー)、カール・クラウザー(ゴッチ)、アイク・アーキンスらに苛められ、天狗の鼻をへし折られています。

6月2日、蔵前国技館で力道山のインターナショナル王座に挑戦、この試合は制裁マッチとなり1本目は4分、力道山のリングアウト勝ち、2本目は1分58秒、アントニオが戦意喪失して試合放棄となり2−0で力道山のストレート勝ち防衛。

6月9日、香川県高松市体育館でのミスターXとの公式戦でリンチに遭いリングアウト負けを喫したアントニオは1人帰国の途についています。

以来16年ぶりに日本にやってきたアントニオですが、これには以下のような伏線がありました。

この年の夏、カナダのカルガリー郊外に姿を現したアントニオが国際プロレスの外国人ブッカーをしていた大剛鉄之助、短期間のカナダ遠征に来ていたマイティ井上と一緒に上半身裸で写真撮影。さらにマネージャー役と目されるクライベイビー・ジョージ・カノン(マンマウンテン・カノン)とストリートファイトを展開している写真が「月刊プロレス」77年9月号のモノクログラビアに掲載されています。

本文には「消息不明だったアントニオがフラリと姿を現し、デモンストレーションを見せた」とボカして書いてありましたが、誰が見ても大剛がアントニオと契約し国際プロレスに来日が決まったようにしか見えないです。

アントニオが何の用事もなく大剛や井上と会って、腕試しにカノンとストリートファイトをし、それが雑誌に掲載される訳もなく、このあたりが国際プロレスの脇の甘いところです。

これを見た新日本プロレスのフロントがアントニオにコンタクトを取り、国際プロレス以上のギャラを呈示してあっさり横取りしてしまったということでしょう。おそらくモントリオールのジョニー・ルージョーあたりが仲介役かと。

この件は私の仮説でしたが、友人が関係者に裏を取ってくれてその通りだったということが判明しています。アントニオを新日本プロレスに取られた腹いせか、カナダの巨漢の若手レスラーにオーバーオールを履かせ、「アンドレ・ザ・ジャイアントより重く、ヘイスタック・カルホーンより高い」という触れ込みでブルドーザー・ビッグ・ベンとして招聘しましたが、しょっぱくて日本では全然評価されませんでした。

11月9日、室蘭市体育館でのテレビ収録マッチの行われた昼間に室蘭市内の広場で61年4月28日、東京・神宮外苑絵画館前広場以来となったグレート・アントニオによる16年半ぶりのバス引きデモンストレーションが行われました。

マネージャーのディッパー・ゴードに先導されて子供達を満員に乗せたバスをチェーンで引っ張って見せました。(安全の為運転手も同乗)この模様は11月11日の「ワールドプロレスリング」で放送されています。

アントニオは11月18日、松阪市総合体育館から試合に出場、星野勘太郎&永源遙&木村健吾組と1対3ハンディキャップマッチで対戦し2分43秒で快勝。以後、連日、若手・中堅とのハンディキャップマッチが続きました。

シリーズ最終戦、12月8日、蔵前国技館、観客発表は9,000人でしたが1階桝席後方と2階席には空席が目立ち、7分位の入り。

メインイベントは猪木とアントニオのシングルマッチ時間無制限1本勝負。この試合、最初から勝負が見えていたこともあってか、当日来場した観客に「アントニオ猪木はGアントニオを○分で倒すか?」という予想投票用紙が配布されています。

試合はショルダータックルのぶつかり合いでアントニオが「効いてない」と言わんばかりに「ホッホッ」的な笑い声を上げたのを見て猪木がブチ切れたか、アントニオのバックを取って倒しうつ伏せにして顔面蹴りを連打。

アントニオは鼻骨骨折したか鼻血を出してうずくまりダウン、3分49秒、猪木のKO勝ちが宣せられています。

45年経った現在でも様々な角度から語り継がれている一戦ですが、私は以下のように考えます。

同時期には馬場の全日本プロレスが豪華メンバーを集結し「世界オープン・タッグ選手権」を開催、1週間後の12月15日には、同じ蔵前国技館で興行戦争が行われますが、どう見ても勝ち目はないだろう、ならば、全日本プロレスの世界観とは真逆の試合をやって、その陰惨さをアピールしたかと思われます。

※対戦成績は215戦40勝175敗、勝率186。
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