mixiユーザー(id:21258650)

2023年01月15日16:02

386 view

週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(7)

第173戦、2月17日発売号●【予想】海外武者修行中の馬場、檜舞台MSGでブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に初挑戦、「カーフューストップ」で敗れる(64年ニューヨークMSG)【正解】初来日から50年、ミル・マスカラス来日第1戦vs星野勘太郎(71年2月19日、日本プロレス後楽園ホール)【参考】2016年2月17日発売号はプロレスのメッカ、ニューヨークMSGが現在地に移転、こけら落とし。(63年) 

【予想解説】馬場(1938〜1999)とサンマルチノ(1935〜2018)の生涯に亘る友情のエピソードは多数の文献に紹介されておりますが、その友情が育まれたのは61〜63年、63〜64年にの2度に亘る馬場のアメリカ武者修行時代であることは間違いのないところです。

61年7月、マンモス鈴木と共にアメリカマット修行に出発した馬場は、最初の日本プロレスと親密関係にあったロサンゼルス地区を経て10月にニューヨーク入り、浴衣に下駄、化粧まわしのオリエンタルギミックで「ババ・ザ・ジャイアント」としてトップヒールへの道を歩んでいきます。

サンマルチノもまだ新鋭で、イタリア出身の大型パワーファイターとしてアメリカ東部地区で人気急上昇中のホープでした。

見かけとは裏腹に気が弱かった鈴木は耐えきれず力道山に無断で途中帰国しています。

馬場とサンマルチノが初めてタッグながら対戦したのが61年12月7日、カナダ・ケベック州モントリオールで、馬場は日本から短期遠征に来ていた芳の里と組んで、アントニオ・ロッカ&サンマルチノ組と対戦してロッカ&サンマルチノ組が勝利を収めています。

初のシングル戦は62年2月1日、ワシントンDCのキャピタルアリーナで実現、30分1本勝負で5分4秒、馬場の反則勝ちという結果に終わりました。

翌63年3月、馬場は日本に帰国し「第5回ワールド・リーグ戦」に参加、サンマルチノは5月17日、ニューヨークMSGで、この年の2月に設立された新団体WWWFの初代世界ヘビー級王者に認定されたバディ・ロジャースに挑戦、僅か48秒、カナディアン・バックブリーカーでギブアップを奪い、第2代王者となり、ニューヨークにサンマルチノ時代を築き上げることになります。

馬場は日本プロレスの真のメインイベンターとなるべく、63年10月に2度目の海外武者修行に出ました。同年12月15日の力道山急死のニュースは滞在先のカナダで聞かされました。

力道山死去を受けて、日本プロレスは馬場を日本に呼び戻すべく動きましたが、帰国前の64年2月17日、MSGで馬場はサンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦。1本目は13分38秒、サンマルチノが馬場をカナディアン・バックブリーカーで破り先制。

2本目、馬場が反撃に出たところで時計の針は午後11時を周り、試合終了を告げるゴングが鳴らされました。ニューヨークの市条例「カーフュー」では午後11時以降の興行を禁止しており(当時の米マットの夜興行は午後8時30分試合開始)、カーフューストップによりサンマルチノの防衛に終わりました。

この試合、サンマルチノは2−0で自分のストレート勝ちと主張し、馬場は試合自体が途中で終わったのだから引き分けだと主張、双方の主張が食い違っているのは面白いです。

馬場は同年4月の「第6回ワールド・リーグ戦」に2度目の凱旋帰国を果たし、以後はインターナショナル王者として日本プロレスのエースとなり、次に両雄がリング上で相対するのは3年後の67年3月、日本のリングということになります。

【正解解説】「あの日あの時」も2018年から2巡目に入り、「前回既出のネタをソースをスポーツ紙にしてポイントを変えて書く」というのが珍しくなくなっていましたが今回のネタに関しては1年前の2020年2月19日発売号で採り上げたばかりのネタであり、これは少々びっくりさせられました。

2021年は来日50年ということで特別だったのでしょう。

マスカラスは本名アラン・ロドリゲス、1942年7月15日メキシコ出身(38年生まれ説もあり)、65年にプロレス入りし、68年にアメリカ西海岸ロサンゼルスに出現、伝説となった「ドロップキック22連発」で話題を集め、同年6月にはアメリカス・ヘビー級王座を獲得。東スポの桜井康雄記者がロサンゼルスから送られて来たマスカラスの連続写真を見て衝撃を受け、弟分にあたるゴング編集長、竹内宏介にその存在を教えました。 

マスカラスの写真に魅了された竹内氏はゴング誌上でマスカラスを大特集、「マスカラスのゴングか、ゴングのマスカラスか」と言われた程その編集方針は徹底していました。

69年8月15日には後に全日本プロレスのリングで宿命のライバルとなるザ・デストロイヤーとアメリカス・ヘビー級王座を賭けて対戦し1−1から両者リングアウトの引き分けでタイトル防衛。同年11月21日、日本プロレスヘの初来日を控えたドリー・ファンク・ジュニアがロスに登場、マスカラスの挑戦を受け、1−1から60分時間切れ引き分け、日本でも力道山、豊登、馬場のライバルとして知られるデストロイヤーとNWA世界王者ドリーの互角の闘いをしたことで実力的にもトップクラスであることを証明しました。

ゴングではこれらのマスカラスの海外でのビッグマッチをカラーグラビアで特集する増刊号「プロレス写真画報」を発売してフォローしこの増刊が69年12月15日に創刊された「別冊ゴング」となった訳です。

翌70年にはテキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリックが主宰する「エリック王国」ビッグタイム・レスリング(後のワールドクラス・レスリング)で試合をし、71年2月の日本プロレス「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」に初来日。

来日第1戦はメキシコ遠征経験のある星野勘太郎とのシングルマッチが組まれ、13分35秒、ダイビング・ボディアタックからの体固めで快勝。星野はマスカラスの良さを全て引き出す名ジョバーぶりを見せ、マスカラスの初来日第1戦が強いインパクトを観客に与え後世に語り継がれる試合となりました。

このシリーズ、マスカラスは2月20日、大阪府立体育会館でダグ・ギルバート(ザ・プロフェッショナル、後にW☆INGに来日した選手とは別人)と組んで猪木&吉村道明組の保持するアジア・タッグ王座に挑戦、(2−1で負け)3月2日、蔵前国技館ではスパイロス・アリオンと組んで馬場&猪木組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦(2−1で負け)、3月6日、前橋・群馬県スポーツセンターでは猪木とノンタイトル60分3本勝負で対戦、1−1からリングアウト負け。 

馬場とのシングルマッチは実現しないまま終わりましたがエース格の扱いでした。

マスカラスは長年のプロレス活動を通じて日墨親善に貢献したとしてこの年旭日双光章を受賞しております。

※対戦成績は173戦34勝139敗、勝率197。
8 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年01月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031