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2022年11月08日23:49

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ストロング小林さん追悼(306)

77年新日本プロレス「アジア・チャンピオン・シリーズ」7月31日、異例の地方を跨いでのダブルヘッダー興行。昼間、愛知県津島市での興行を終えた選手達は漸次新幹線で移動。

夜は第35戦、午後7時より神奈川新横浜駅前広場特設リング(観衆3,500人超満員発表)大会。

メインイベントはストロング小林と上田馬之助のシングルマッチ60分1本勝負。6月29日、大阪大会に次いでの一騎討ちとなりましたが、11分18秒、S小林の反則勝ちとなりました。

セミファイナルは坂口征二&長州力組とタイガー・ジェット・シン&ガマ・シン組が対戦したタッグマッチ45分3本勝負。1本目は9分58秒、坂口がTJシンに反則勝ち、2本目は3分38秒、長州がガマを体固めで破り、反則含みながら坂口&長州組が2−0のストレート勝ちを果たしています。

星野勘太郎とブラック・ゴールドマンのシングルマッチは10分7秒、体固めでゴールドマンの勝利。マサ齋藤はエル・ゴリアスを12分6秒、体固めで破り、木戸修はモハン・シンに4分14秒、逆エビ固めでギブアップ勝ち。木村健吾はタルバー・シンと対戦しましたが、8分12秒に体固めで敗れています。

シリーズ最終戦、8月1日、埼玉県越谷市体育館(テレビ収録、観衆2,300人満員発表)大会。

この日、02年10月12日、新日本プロレスの後楽園ホール大会でデビュー、現在は全日本プロレスに所属、元WWEスーパースター、ヨシタツこと山本尚史が岐阜県岐阜市にてこの世に生を受けております。

メインイベントは坂口&M齋藤組の明大同期の桜コンビがTJシン&上田組と対戦。1本目は10分1秒、M齋藤が上田を体固め、2本目は4分35秒、上田がM齋藤を片エビ固め、決勝の3本目は1分28秒、上田がM齋藤から反則勝ちを拾い、2−1でTJシン&上田組が最終戦を白星で飾っています。

なお、前回書きましたがM齋藤が次回、新日本プロレスのリングに参戦するのが、翌78年11月の「プレ日本選手権」にヒロ・マツダ、この日対戦した上田、翌78年に国際プロレスを離れてフリーとなる剛竜馬、同じ明大の先輩にあたるサンダー杉山とフリーのヒールユニット狼軍団として新日本プロレス本隊と敵対関係となります。

以後は外国人ヒールサイドから参戦、80年1〜2月の「新春黄金シリーズ」を最後に一旦は新日本プロレスを離れ、フロリダ、AWA、WWFをサーキット。

82年10月藤波辰巳に牙を剥いた長州が「心の師」としてM齋藤を慕っておりシリーズオフに滞在先のニューヨークに出向き、共闘を呼びかけて翌83年1月に革命軍として3年ぶりに新日本プロレスに参戦、以後維新軍、ジャパンプロレスと長州と行動を共にすることで坂口とM齋藤の明大同期の桜コンビはしばし見納めとなりました。

S小林はこの間の84年8月26日、地元の東京・福生市民体育館で腰痛の悪化から引退試合を行うことなく引退式を行っていますので、前日7月31日の昼興行、津島大会での試合がM齋藤との最後のタッグチームとなりましたが、坂口とM齋藤のコンビは10年後の87年にナウリーダー軍vsニューリーダー軍の世代闘争で復活します。

90年3月23日、後楽園ホール大会、3月15日、地元・久留米市福岡県立体育館での引退試合(木村健悟=健吾と組んでスコット・ホール&コーポラル・マイク・カーシュナー組に勝利)の後、東京での引退お披露目的なエキシビションマッチでM齋藤と最後にタッグを組み、木村健&木戸組と10分時間切れ引き分けとなりました。

話を越谷大会に戻します。セミファイナルはS小林とゴールドマンのシングルマッチ45分1本勝負。9分51秒、体固めでフォール勝ちしています。

S小林にとっては、7月21日、仙台大会でTJシンのアジア・ヘビー級王座に挑戦。1本目両リン、2本目反則負けとベルトは奪えませんでしたが、日頃5、6分でコロコロとフォール負けしているTJシンに対し、日頃の鬱憤を晴らすような大暴れで優勢に試合を進めてS小林ファンの溜飲を下げました。

また、7月28日、福岡大会での坂口と組んでのTJシン&上田組との北米タッグ選手権試合では1本目に国際プロレス時代、IWA世界ヘビー級王者だった時フィニッシュホールドであるバックドロップでカウント3を奪ったのも特筆モノでした。

75年5月30日、新日本プロレスに正式入団してからは最も出来の良かったシリーズではなかったかと思われます。

セミ前の長州とゴリアスのシングルマッチ30分1本勝負は11分13秒、サソリ固めで長州がギブアップ勝ち。

越谷大会は8月19日の「ワールドプロレスリング」で録画中継されていますが、長州vsゴリアス戦をこの年77年に立教大学を卒業してテレビ朝日に入社、4月の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」から舟橋慶一アナウンサーの鞄持ちをして現場に来ていた古舘伊知郎アナウンサー(当時22歳)が初実況を務めました。

テレビ中継はメインの坂口&M齋藤組vsTJシン&上田組とセミのS小林vsゴールドマン、セミ前の長州vsゴリアスの3試合が放送されました。

星野はタルバー・シンを8分13秒、体固めで破り、永源遙はモハン・シンを3分4秒、エビ固めで降し、木村健吾はガマ・シンに8分50秒、回転エビ固めでフォール負けを喫しています。

外国人勢ですがTJシンは猪木との抗争がありませんでしたが、上田との凶悪コンビでアジア・タッグ王座を坂口&S小林組から奪取、北米タッグ王座は奪われましたが、アジア・ヘビー級王者として坂口、S小林を相手に防衛し、その存在感を存分に発揮。上田という悪のパートナーを得て、ややマンネリと化していたところを息を吹き替えしたと思います。

新日本プロレスシリーズ初参戦の上田は、6月29日の大阪大会からシリーズ参戦。毎試合出ていた訳ではありませんが巡業にも参加、悪の本領発揮となった訳です。他の外国人選手が弱体だった為、上田の存在感は光りました。 

ゴリアス&ゴールドマン組は独特の動きから1シリーズマスクマンチームで通すのは無理があったか?前回76年2月の来日ではシリーズ通してタッグのメインイベンターの扱いで坂口&S小林組の北米タッグ王座に挑戦した実績を持ちますが今シリーズは元気なく、2−0のストレート負けが多く、精彩を欠いてしまいました。これが最後の来日になりましたが、ゴリアスは翌78年4月8日にロサンゼルスで藤波のWWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦しています。

TJシンの子分、3人のシンはいずれも力量不足。唯一再来日となったガマは何度かTJシンのパートナーでメインイベントに出場、カナダで試合した実績はありましたが、前年からほとんど進歩はありませんでした。もう呼ばれることはないかと思いましたが78年1〜2月の「新春黄金シリーズ」にエントリーされて怪我の為キャンセル、79年8〜10月の「ブラディ・ファイト・シリーズ」に3度目の来日を果たしますがWWFとの連係強化で豪華外国人メンバーが集まるようになった80年代以降はお呼びが掛からず。

初来日のタルバーはマスクも良く身体も大きかったのですがキャリア不足。南アフリカ共和国のメインイベンターになるのは先の話。7年後の83年3月、「ビッグ・ファイト・シリーズ」に再来日した後は85年4月のUWF「フロンティア・ロード」に来日しました。

モハン・シンが一番弱かったです。本物の「プロ」レスラーとして試合で生計を立てているのか疑問でした。唯一、このシリーズ参加外国人の中で試合を見ていない選手、あるいは別の仕事をしていて、TJシンに声をかけられただけかも知れないです。
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