新日本プロレス77年「ゴールデン・ファイト・シリーズ」最終戦、6月1日、愛知県体育館(テレビ収録、観衆8,300人超満員発表)大会。
メインイベントは猪木にアンドレ・ザ・ジャイアントが挑戦したNWFヘビー級選手権試合、時間無制限1本勝負。アンドレの同王座への挑戦は74年12月15日、ブラジル・サンパウロ・コリンチャン・スタジアム(19分31秒、両者リングアウト)以来2度目。
さらに前76年10月7日、蔵前国技館での「格闘技世界一決定戦」でのアンドレの額からの出血多量によるレフェリーストップ負けも、実際にはアンドレが戦闘不能になるほどの流血でもなく、余力を残しての不本意な負けだけに、4度目のシングル対決での決着戦の意味合いもありました。
この試合は04年3月にビデオパック・ニッポン&東北新社から発売されたDVD−BOX「アントニオ猪木全集」を初め複数の映像ソフトに収録、発売されている他、テレ朝チャンネル「ワールドプロレスリングクラシックス」で繰り返し再放送されているので現在でも視聴可能です。
猪木はアンドレの左腕にキーロック、アンドレがそれをヒョイと肩の上に担ぎあげる定番ムーブや、猪木がアンドレの223cm、230kgの巨体を強引に弓矢固め(ボーアンドアロー・バックブリーカー)に決めようとしますが持ち上げ切れず。
アンドレがスタンディングの状態で猪木の両腕をリバースのチキンウィングに捉え、首を足で挟んでジャンプして叩きつける、後にHHHがフィニッシュとして多用した「ペディグリー」の原型のような危険な技を使っています。猪木は首に強いダメージを受けました。
31歳と肉体的にはピークにあったアンドレはこの試合でコーナーポスト最上段からのダイビング・ジャイアント・プレスを見せて観客を驚かせていますが、これは猪木にかわされて自爆。
最後は場外乱闘となりましたが、場外でもアンドレは優勢。アンドレは猪木を抱えて本部席の机に叩きつけてリングに生還しましたが、既にレフェリーのミスター高橋は場外カウント20を数え、23分14秒、両者リングアウトのドロー裁定が下され、猪木が9度目の王座防衛に成功しましたが、勝敗が決した時には猪木は本部席の机の上でダウンしたままで動けず。
猪木マニアの間では蔵前での格闘技世界一決定戦とこの試合が猪木vsアンドレ戦のベストバウトとして1、2位を争う高い評価を得ています。一番アンドレが身体のバランスもよく、動けている時期であり、猪木が全盛期のアンドレの凄味を引き出したという意味では甲乙つけがたい面はありますが、私はこの名古屋大会の一戦は最後は猪木の実質的な負け試合であり、僅差で蔵前の試合を猪木vsアンドレ戦の1位に推します。
テレビ中継はメインイベントのみ放送されました。セミファイナルは坂口征二&ストロング小林組とキラー・カール・クラップ&ビクター・リベラ組と対戦したタッグマッチ45分1本勝負。13分21秒、S小林がリベラを体固めでフォールし、復帰シリーズの最後を白星で飾りました。
長州力はテリー・ルージを7分28秒、体固めで破り、星野勘太郎はリック・フェララを9分4秒、体固めに決めてのフォール勝ち、小沢正志(キラー・カーン)はブラックジャック・モースと対戦し10分3秒、片エビ固めでフォール負けを喫しています。
前回、76年8〜10月の「闘魂シリーズ」ではアンドレのパートナーを務め、その活躍ぶりが猪木にも認められて短い半年スパンでの来日となったモースはこのシリーズでも猪木とのシングルマッチの対戦相手に抜擢されましたが、長身のプロレスラーにありがちな「もっさり感」が出てしまった感じです。終盤ではアンドレはリベラ,試合巧者のルージ、ベテランのフェララとのタッグチームが多くなりました。これが最後の来日となりました。
ルージも新日本プロレスへの参加はこの時が最後でしたが、7年半後の85年1月UWF「サンライズ・ウィークス」にテリー・ロッヂ名義で再来日。フェララもこれが最後の来日となっています。
ログインしてコメントを確認・投稿する