71年国際プロレス「第3回IWAワールド・シリーズ」、後半戦4月30日、品川公会堂(観衆1,200人発表)大会でカール・ゴッチとモンスター・ロシモフの公式戦(30分1本勝負)が実現しました。
ゴッチがロシモフの巨体をジャーマン・スープレックスホールドで投げ、固めていましたが、直前にロシモフのタックルがレフェリーの阿部脩に誤爆、阿部レフェリーはダウン、リング下にいたサブレフェリーの前溝隆男が入って代わりに3カウント叩きました。「俺の勝ちだ」とアピールするゴッチ、そこへロシモフが背後からゴッチの後頭部にパンチ一撃。倒れたゴッチをロシモフがフォール。息を吹き返した阿部レフェリーは3カウント。
抗議したゴッチでしたが判定は覆らず11分5秒、体固めでロシモフのフォール勝ち。ゴッチ相手に貴重な白星をモノにしました。
このシリーズはタイトルマッチは1回だけ行われています。5月9日、石川県金沢市卯辰山相撲場(観衆4,600人満員発表)で王者チームサンダー杉山&グレート草津組にドクター・デス&バスター・マシューズ組が挑戦したIWA世界タッグ選手権試合で2−1で杉山&草津組が勝ち4度目の王座防衛に成功しました。
この日のセミファイナルではビル・ロビンソンとロシモフが公式戦で対戦し30分時間切れ引き分け。
決勝トーナメントに出場したのは1位通過が7戦5勝1時間切れ引き分け、1両リン、失点2.5で4.5点のロシモフ、やはりゴッチからの白星が大きかったか。
同点2位が6戦2勝4時間切れ引き分け、失点4で3点のロビンソンと6戦3勝1敗1時間切れ引き分け、失点4で3点のゴッチが並び、決勝リーグ戦はこの3人による争いになりました。
日本勢は前回書いたようにラッシャー木村が棄権、杉山は失格にはなりませんでしたが持ち点1.5で予選落ち、草津は失格という不甲斐なさ…。
決勝リーグ戦(45分3本勝負)初戦は5月15日、埼玉県越谷市体育館(テレビ収録、観衆2,500人発表)ではロシモフとロビンソンが対戦。1本目は22分10秒、ロシモフが体固め、2本目は10分41秒、ロビンソンが片足固め、決勝の3本目は45分時間切れとなり、1−1の引き分け。共に失点1でロシモフが3.5点、ロビンソンが2点。
決勝リーグ戦第2戦は5月16日、茨城県鹿島郡鹿島町役場前広場特設リング(観衆3,000人発表)でロシモフとゴッチが対戦、1本目は20分31秒、ロシモフが体固め、2本目は9分32秒、ゴッチが逆エビ固め、3本目は45分時間切れとなり、1−1の引き分け。共に失点1でロシモフが2.5点、ゴッチが2点。
つまり、残る1つの組合せ、ロビンソンvsゴッチ戦はどちらが勝っても2点となり、2.5点で決勝リーグ戦を終えたロシモフの優勝が決まったのですが、国際プロレスではこの事実をこの時点で明らかにしていません。
5月18日、大田区体育館(テレビ収録、観衆1,500人発表)でロビンソンとゴッチの最終公式戦が行われ、試合前にロシモフが巨体をゆっくりと動かして登場。リングサイドに陣取り、最前列で試合を観戦しています。1本目は20分11秒、ゴッチがジャーマン・スープレックスホールドで先制、2本目は4分12秒、ロビンソンがエビ固めで返し、3本目は45分時間切れで1−1の引き分け、共に失点1で1点で決勝リーグ戦を終了。
ここで、2.5点のロシモフ優勝が発表されていますが、実際はこの試合の結果如何に関わらず、ロシモフが5月16日の鹿島大会終了時点で優勝が確定しており、この時のロシモフがリングサイドに座り、ロビンソンvsゴッチ戦を観戦するというのはテレビ的に作られた「絵作り」「演出」でした。
やはり国際プロレスのマッチメイクの杜撰さ、いい加減さが出てしまっており、また、決勝リーグ戦の全てが1−1から45分時間切れ引き分けというのもあまりに芸がないかと思います。結局は予選の持ち差1.5点がそのままロシモフの優勝に繋がっており、決勝リーグ戦はやる意味がなかったでしょう。
ロビンソン、ゴッチは簡単に負けを飲むレスラーではなく、扱いには苦慮したと思いますがこれはお粗末でした。決勝リーグ戦は廃止し、リーグ戦の持ち点をふやして0.5点差位でロシモフを優勝させた方が最後まで盛り上がったのではないでしょうか?これはバッドマークシステムが生んだ弊害であり、失格者が増えると番狂わせや伏兵に足を掬われるなどのリーグ戦本来の醍醐味が失われてしまいます。
折角、脇役にシン・リーガン、デス、マシューズ、ジャック・クレイボーンなど曲者が揃っており、日本側にも杉山、草津が意地を見せつけてロシモフ、ロビンソン、ゴッチの足を引っ張る活躍をさせても良かったと思います。最初からロシモフ、ロビンソン、ゴッチの3者ありきのリーグ戦でありいいメンバーを集めておきながら素材を十分に活かし切れなかったジレンマを感じます。
この年の「第3回IWAワールド・シリーズ」は一般的には「ロシモフ、ロビンソン、ゴッチの3人による決勝リーグ戦は全て引き分け。この結果、予選での持ち点が一番多かったロシモフが、2人の先輩の強豪を押さえて『漁夫の利』で優勝を飾った」というのが日本プロレスの「正史」となっていますが、よく紐解いていくと必ずしもそうではないことがわかります。
優勝が決した後もシリーズは続けられ、終盤は北海道ツアー。5月23日摩損湯スポーツセンター(観衆3,500人発表)と最終戦の5月25日、旭川市体育館(観衆3,500人発表)でロビンソンvsゴッチの45分3本勝負が組まれ、いずれも1−1からの時間切れ引き分け。結局、このシリーズ、ロビンソンとゴッチのシングルマッチは全部で5回組まれて5回全部時間切れ引き分けでした。見る人によっては退屈な試合だったという意見もあります。
特筆すべきはやはり1年2か月ぶりに再来日したロシモフで、世界の強豪達を相手に成長ぶりを見せつけて見事優勝、初来日の時に「試合がしょっぱい」とマネージャーのエンリケ・エドに控室で平手打ちを食らわされ、泣いて謝っていたというエピソードが嘘のように物凄く強くなっていました。来日中に25歳(46年5月19日生まれ)の誕生日を迎え、レスラーとしては伸び盛りでした。
ロシモフ、ロビンソン、ゴッチに本日記の主役である小林を加え、この4選手に「対猪木」というキーワードを入れるといずれも日本プロレス史上に残る名勝負をやっており、改めて猪木のプロレスラーとしての力量がいかに凄かったかをうかがい知ることが出来ます。
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