68年国際プロレス「ワールド・タッグ・シリーズ」テレビ生中継の2月7日、岡山県営体育館(観衆2,500人発表)大会では、サンダー杉山がパートナーをグレート草津からベテラン豊登に代えてアル・コステロ&ドン・ケント組のザ・ファビュラス・カンガルーズのTWWA世界タッグ王座に挑戦。
力道山、吉村道明、馬場とアジア・タッグ王座を防衛してきた豊登は動きが違いました。1本目は10分51秒、ケントが杉山を体固め、2本目は5分8秒、杉山がジャーマン・スープレックスホールドでケントから1本を取り返しました。杉山は中アンコ型のずんぐりした体型でしたが、アマレスの下地があり、日本では猪木より先に器用にジャーマンを使いこなしていました。
決勝の3本目は8分49秒、日本組が反則勝ち。ルールによりベルト移動はありませんでしたが、「カンガルーズ恐れるに非ず」と自信を深めた豊登&杉山組は翌週のテレビ生中継、2月14日、大阪府立体育会館でカンガルーズの王座に再挑戦が決定。
この日小林省三は先輩格にあたる木村政雄(ラッシャー)と初のシングルマッチを行いました。後にIWA世界ヘビー級選手権試合や、プロレス夢のオールスター戦で対戦することとなる両者の記念すべき初シングル戦20分時間切れ引き分けに終わっています。
2月14日、大阪府立体育会館でのテレビ生中継(観衆3,000人発表)で豊登&杉山組がカンガルーズのTWWA世界タッグ王座に再挑戦。1本目は8分41秒、豊登がベアハッグでケントをギブアップさせて先制、2本目は6分48秒、コステロがオースイ・スープレックスホールド(豪州式原爆固め)で杉山を倒して1−1。ちなみにオースイは相手のバックを取ってからリバースフルネルソンに取り、そこから「転がる」丸め込み技です。
固めた形の見た目は初代タイガーマスクのタイガー・スープレックスホールド(猛虎原爆固め)と同じなので、誤解を生じやすいですが、コステロは相手は投げてないです。初代タイガーマスクはオースイを投げ技に「昇華させた」というべきでしょう。
決勝の3本目は9分32秒、杉山がコステロをエビ固めに決めて2−1で豊登&杉山組が勝利、ベルト移動でTWWA世界のベルトが初めて国際プロレス勢の手に収まりました。
小林はブルドッグ・ブラワーとシングルマッチで対戦し13分25秒に反則負けを喫しました。
翌2月15日、滋賀県大津市皇子が丘体育館(観衆1,800人発表)でダニー・ホッジにフレッド・カリーが挑戦したTWWA世界ヘビー級選手権試合が「予告なし」に行われています。
挑戦者のFカリーは64年4月の日本プロレス「第6回ワールド・リーグ戦」に初来日したゲジゲジ眉毛に全身剛毛の怪奇派、「猿男」ブル・カリーの息子で父親とはタイプの違うノーマルな正統派でした。
1本目はホッジが11分5秒、回転エビ固め、2本目はFカリーが3分10秒体固め。3本目は4分40秒、ホッジが体固めで取り、2−1でホッジがタイトル初防衛に成功しています。この試合、ホッジはTシャツを着用したまま試合をし、観客からは不満の声が起きていますが、ホッジは「急にタイトルマッチをやってくれと言われた」と不服そうにコメント。
国際プロレスは団体崩壊する81年8月まで、予定にないタイトルマッチや金網デスマッチ(70年代以降)を急遽やって(非公式のものが多かった)いますが、前売券の売行きが悪く、プロモーターから押し切られて開催していたというのが実情でした。
この日小林は木村と2月7日の岡山大会に次いでシングルマッチを行い、再び20分時間切れ引き分けとなりました。
ホッジがTシャツ姿で試合をしたのはもう一つの大きな理由がありました。それはブッカーのグレート東郷との間で約束したギャラが額面通り支払われなかったことに対する抗議の意味がありました。さしもの「民法の雄」TBSも東郷の銭ゲバぶりは見抜けなかったか、「外国人レスラーのギャラが高過ぎるのではないか」と吉原社長にギャラを引き下げるよう東郷と交渉するように要求。
これに対して百戦錬磨の東郷は2月19日、浜松市体育館(観客未発表)「約束通りのギャラを払わねば、選手を即刻引き揚げさせる」と外国人レスラーを足止めして会場入りをさせず試合をボイコット。吉原社長はこの日の前売りチケットの払戻に応じ、浜松大会を日本人選手だけの無料大会に変更しました。
メインイベントは草津&田中忠治&小林組と杉山&木村&大磯武組の6人タッグマッチ60分3本勝負。1本目は、14分51秒、草津が大磯をエビ固め。2本目は4分32秒、杉山が田中をジャーマン・スープレックスホールド。3本目は23分40秒、木村が小林に反則勝ちで2−1で杉山&木村&大磯組が勝っています。
2月21日の埼玉県浦和市小松原男子高校体育館はテレビ生中継が予定されていました、東郷が試合前に外国人レスラーを引き連れてリングジャック、吉原社長と口論となり、東郷は外国人レスラーを引き上げさせて帰国してしまいました。国際プロレスは浜松に続いて無料大会を開催しました。
メインイベントは草津&田中忠治組vs木村&杉山組で30分時間切れ引き分け、両チームの強い申出により、3分間の延長戦が行われましたが、こちらも時間切れ。小林はデビュー戦の相手だった大磯とシングルマッチを行い、15分35秒、体固めで勝利を収めました。
しかし、外国人選手が出なかったことでテレビ生中継は中止に。この日は録り溜めしておいた先の「オープニング・ワールド・シリーズ」1月12日、福岡九電記念体育館(観衆4,800人満員発表)大会の録画素材を放送(豊登vsルー・テーズのノンタイトル戦、1−1から顔面パンチを出したテーズの反則負け、草津&杉山組vsワルドー・フォン・エリック&Bブラワー組)しています。
外国人レスラーが帰国したことで11大会予定されていた「ワールド・タッグ・シリーズ」は6大会で打ち切り、結果的に浦和大会が最終戦となりました。
当時は外国人レスラーなしには興行が成り立たない時代でしたので吉原社長は新しい外国人レスラールートを開拓しなければなりませんでした。
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