前田日明の新日本プロレス解雇問題について簡単に触れておきたいと思います。前87年11月19日、後楽園ホールでの6人タッグマッチ、マサ齋藤&長州力&ヒロ斉藤組vs前田&木戸修&高田延彦組で、木戸にサソリ固めをかけようとしていた長州の右顔面を背後から右足によるハイキックで蹴り、蹴られた長州が顔が腫れ上がり誰の目にもわかる異常事態になりました。
試合は10分51秒、長州が高田をリキラリアットからの体固めで降し終わりましたが、前田は試合後も長州を挑発し明らかに故意による確信犯でした。長州は右眼窩底骨折の重傷を負い翌日より欠場、猪木は前田を「プロレス道にもとる」と激しく非難し新日本プロレスは前田を無期限出場停止処分としました。
前田が出場停止処分を受けるとUWFの代表だった神新二は新日本プロレスからUWFを独立させることを考え始めていました。神は元は新日本プロレスの営業マンでしたが、新日本プロレスからの指示でUWFへ移籍、旗揚げ後は浦田昇社長の右腕的存在としてフロント兼リングアナウンサーを務めていました。
85年9月、UWFは資金難から興行活動を停止。スーパー・タイガーの佐山聡はメンバーとは袂を分かちました。残された前田、藤原喜明、木戸、高田、山崎一夫、それに若手で残った中野龍雄(翼耀)、安生洋二、宮戸成夫(優光)のメンバーはリングに上がって試合をしなければ生活が出来ません。(広松智、星名治らは退団)
前田は当初はUWF誕生の経緯から新日本プロレスへの復帰を拒み、全日本プロレスへの参戦を馬場に打診、馬場は「うちは今ジャパンプロレスだ何だと大変だから前田君と高田君だけしか取れない」と言われ、あくまでも全員参戦を前提として交渉していた前田は山本小鉄の「全員で戻って来い」という言葉もあり新日本プロレスへの復帰を決意、85年12月6日、両国国技館へ前田、藤原、木戸、高田、山崎の5戦士が来場、リングに上がり「業務提携」という形で翌86年1月より新日本プロレスへ参戦することとなりました。
神は興行活動が停止になった際、前田らに追随して留まり、UWFをプロダクション化にするに伴って代表に就任していました。神はもし選手達が新日本プロレスとの個人契約に応じたとしたら、自分達フロントは新日本プロレスには入れてもらえず切り捨てられる可能性があり、それだったらUWFは新日本から離れて独立した方がいいと考えていました。
87年12月27日、両国国技館では、長州とIWGPヘビー級王座を賭けて対戦するはずだった猪木が、一方的にカードを変更して長州と初来日のビックバン・ベイダーとのダブルヘッダーを敢行、長州戦とのシングル戦を望んでいたファンの怒りを買いました。
長州に反則勝ち、ベイダーには惨敗を喫したことでファンが怒り暴動騒ぎへと発展、国技館の設備を毀損に走るという暴挙に出て、新日本プロレスは日本相撲協会から国技館を1年以上の長きに亘り使用禁止通告を受けたのは前に書いた通りです。猪木もファンをなだめようとリングに上がりましたがファンから物を投げつけれた挙句に、観客からは出場停止処分中の「前田コール」が発生しました。
これを見た神は「新日本プロレスで主役を張っている猪木は体力の衰えもあってかつてのカリスマ性はない、現在の前田だったら猪木を凌ぐカリスマ性を持っている、現在独立すれば間違いなく成功する」と確信を強く持ちました。
そういう状況の中、マザーエンタープライズ代表の福田信が神代表に接触、マザーエンタープライズはロックバンドであるハウンドドッグが所属している音楽事務所であり、福田社長はハウンドドッグをメジャーアーティストに引き上げた辣腕プロデューサーでした。
プロレスファンだった福田代表は「前田が追放されるかもしれないって?それなら独立して異種格闘技戦をやればいい。前田ならファンは呼べるよ」などと雑誌でコメントしていたことから、神代表も独立への支援を受けられると考えて会談を持ちました。
福田代表は以前からこれまでのプロレスの演出方法や巡業形態は古いと考えており、従来通りの演出や地方巡業はやめて、ロックコンサートのような演出をすればいい、神代表には音楽や照明も洗練されたものを使い、試合数を月1回に減らし、大都市の比較的大会場で興行を開催することをアドバイスをするなど、ノウハウの伝授だけでなく全面協力の約束も取り付けましたが、肝心の前田が旧UWFの失敗のこともあって慎重になっており、この時点で前田は独立には乗り気ではありませんでした。
新日本プロレスは88年の「新春黄金シリーズ」が終わると神の予想通りUWFの選手達に対して改めて個人契約を求めて来ました。毎週月曜日午後8時のゴールデンタイムで放送されていたテレビ朝日「ワールドプロレスリング」は視聴率不振を理由に4月の番組改編期からゴールデンタイムからの降格決定を通告され、テレ朝から支払われる放映権料が引き下げられることになったことで経費削減を迫られ、UWFとの契約を見直さざるを得なくなったからでした。
個人契約はUWFだけでなく長州のリキプロダクション側にも求めており、藤原と木戸は応じて新日本プロレスと契約、前田、高田、山崎達も藤原らに倣って個人契約を結びましたが中野、安生、宮戸は若手として扱われた為、支払われるギャラも前田らと比べると微々たるものでした。
こうして前田はUWFから新日本プロレスの所属になり、新日本プロレスは前田に事件を起こした落とし前として年俸15%ダウンの減俸処分と無期限メキシコ遠征を命じました。
無期限メキシコ行きは冷却期間を与えるためのもので、新日本プロレスのフロントはほとぼりが冷める4〜5月頃には前田を戻して「リングの上で起きたことは、最終的にはリングの上で決着をつけさせる」として長州とのシングルマッチを組むつもりでいました。
しかし前田はこの処分に納得せず拒否するだけでなく、出場停止を受けているにもかかわらず週刊プロレスのインタビューに答えて自身の見解を述べたことで新日本プロレスの態度は硬化して、3月1日、前田に対して解雇を通告しました。
新日本プロレスから解雇通告を受けたことで、前田もこれまで慎重だった独立に向けて舵を切らざる得なくなり、新生UWFの旗揚げへ動きました。神代表も旗揚げ興行のスポンサー集めに奔走、前田は高田と山崎に声をかけました。高田、山崎も新日本プロレスと個人契約をしてこのまま新日本プロレスに留まるつもりでいましたが、前田からの誘いは断ることが出来ず新生UWFへの参加を決めました。それが前回書きました3月19日、後楽園ホールでの高田&山崎組vs小林邦昭&保永昇男組の喧嘩マッチに繋がることになる訳です。
高田は中野、安生、宮戸の若手を勧誘して3人も新生UWFに追随、6人の選手を確保しどうにか試合が組める状況になりました。
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