新日本プロレスとの興行戦争ですが、88年の新日本プロレスはシリーズ名を86、87年の2年間使った「ニューイヤー・ダッシュ」から3年ぶりに「新春黄金シリーズ」に戻しました。
前87年は全日本プロレスの「新春ジャイアント・シリーズ」1月2、3日昼興行の後楽園ホール大会の夜に連戦をぶつけて来ましたが、88年は日程をずらして1月4日月曜日、5日火曜日の2連戦を開催。開幕戦の4日はテレビ生中継で2,200人(超満員札止め発表)。
前87年12月27日、両国国技館での「イヤーエンド・イン国技館」で観客が暴動騒ぎを起こし、国技館の設備を毀損するという騒ぎになり、ファンの信用を失墜させただけに上々のスタートと言えます。「何度裏切られても会場に足を運び応援する」という打たれ強い新日本プロレスファン、というのを証明しました。
猪木とビッグバン・ベイダーのシングルマッチ、前年の国技館での初対決では2試合目の猪木に疲れが出たか、僅か2分49秒でベイダーのパワースラムに惨敗しており暴動のトリガとなりましたが、今回も猪木はベイダーを持て余して10分12秒、マサ齋藤の乱入により反則勝ち。
この日から始まったジュニアの祭典「トップオブ・ザ・スーパージュニア」では馳浩が初来日カルガリーの天才児オーエン・ハートを破り、藤波辰巳はM齋藤にフォール勝ち。
2日目1月5日は2,100人(超満員発表)メインイベントは猪木&越中詩郎組が長州力&馳組に反則勝ち。全日本プロレスは1月2日開幕戦が2,450人、3日が2,300人(いずれも超満員発表)。立見席の数に両団体で差があるかも知れず、多少の水増しを勘案してこの88年の新春シリーズ開幕2連戦は互角と言っていいでしょう。4日が月曜仕事始めであり新日本プロレスの頑張りが目立った感じです。
ジャパンプロレスの解散によって興行日程にも変化が出て勢力分布図が大きく変わってきました。新日本プロレスは1月13日、高松市民文化センター大会を開催、高松のプロモーター、瀬戸内プロ企画はジャパン設立により新日本プロレスから全日本プロレスに鞍替えし、全日本プロレスもテレビ中継のある大会も開催して好カードを提供してきました。
しかし、87年は5月30日に1度開催(ノーテレビ)されたのみで11〜12月のの「創立満15周年世界最強タッグ決定リーグ戦」は開催されず、ジャパン解散、長州軍団のUターンに基づき新日本プロレスに「出戻り」。
1月13日の大会は通常のノーテレビ興行であり、メインイベントは猪木&藤波&ジョージ高野組とベイダー&M齋藤&スーパー・ストロング・マシン組(13分14秒、ベイダーが高野をビックバン・クラッシュから体固め)観客動員も1,880人発表と満員にはなりませんでした。
もう一つ、前87年1月17日、「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」で長州がカート・ヘニングを相手にPWFヘビー級王座を防衛、試合後の勝利者インタビューで「鶴田、天龍、藤波と闘いたい」と日本テレビの生中継で確信犯的に藤波の名前を出した会場である長州の地元、山口県徳山市(現在の周南市)体育館も、長州の新日本プロレス復帰で1年後の1月18日に新日本プロレスが興行を開催。
当日はテレビ生中継でしたが、長州は1月14日、香川県三豊体育館での馳と組んでの藤波&越中組との試合で試合開始早々、藤波のドラゴンスクリューで左足のふくらはぎを損傷、全治1週間の診断を受けて地元徳山大会を欠場しています。
それでも3,530人(超満員発表)の観客を集め、藤波&木村健吾組が藤原喜明&山崎一夫組を破ってIWGPタッグ王座に1年ぶりに返り咲きを果たしました。
また、87年12月27日、両国国技館でたけしプロレス軍団TPGの介入により、カード変更で猪木は長州、ベイダーと2試合連続で対戦しましたが、変更前のカードである猪木vs長州のIWGPヘビー級選手権試合がシリーズ終盤の2月4日、大阪府立体育会館で実現、府立は6,820人(超満員札止め)の大観衆で埋まり、13分58秒、猪木が卍固めによるレフェリーストップ勝ちで王座防衛。
新日本プロレスも全日本プロレスの新春ジャイアント・シリーズ同様、このシリーズは後楽園ホール大会を3回開催。両国国技館が使用禁止になっていたのは事実ですが、年末の時点で新春黄金シリーズの日程は全て決まっており、最初から両国は予定には入っていませんでした。
3回目は2月5日金曜日でテレビ収録、2,200人(超満員札止め発表)。メインイベントは84年5月24日、旧大阪府立体育会館以来3年9か月ぶりの対戦となる猪木&藤波組vsM齋藤&長州組が実現、8分53秒にノーコンテスト。ベイダーはセミファイナルで坂口征二&星野勘太郎組と1対2ハンディキャップマッチを行い、星野をアバランシュホールド(雪崩固め)で圧殺。
他にトップオブ・ザ・スーパージュニアでも注目のカードを持って来ました。馳と高田延彦が両者フェンスアウト、越中は小林邦昭にフォール勝ち。
全日本プロレスの1月29日、新春ジャイアント・シリーズ最終戦とは7日違いの開催でしたが、先攻の全日本は1,850人(満員発表)で札止めにはなっておらず、3回目の後楽園ホールは新日本の勝利となりました。
新春黄金シリーズ最終戦は2月7日、札幌中島体育センター、85〜87年の3年間、全日本&ジャパン連合軍に奪われていた恒例の「札幌雪まつり興行」を4年ぶりに奪い返しました。前回の2月の札幌中島は藤波vs長州のWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合が藤原の長州襲撃により試合不成立となって以来でした。
メインイベントは藤波&木村健組に長州&マシン組が挑戦したIWGPタッグ選手権試合で、14分49秒、藤波が初披露となるドラゴンスリーパー(飛龍裸絞め)でマシンからギブアップを奪い、藤波&木村健組が初防衛。
猪木とベイダーのシングルマッチは海賊男の乱入で両者リングアウト、トップオブザ・スーパージュニア決勝は越中が馳を13分46秒、ドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で破り優勝。
観客は6,150人(超満員札止め)と盛況でしたが、猪木は最終戦でまた不評の海賊男を出し、前87年11月19日、後楽園ホールで長州の顔面を蹴って無期限出場停止処分を受けた前田日明はこのシリーズ姿を現さずなど課題は残りました。
しかし、全日本プロレスは東京以外でも大会場での興行開催はなく、興行的には後楽園ホールで勝ち越し、大阪府立体育会館、札幌中島体育センターという大会場を超満員にした新日本プロレスの圧勝でした。
大塚直樹という興行面での参謀がいなくなり、大塚の営業力で全日本プロレスについていたプロモーターも新日本プロレスに戻り、全日本プロレスはこの年、地方での営業面の補強が必要になってしまったことになります。
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