カナダの荒熊ジョー・ルダック(4月6日北九州市西日本総合展示場〜26日大宮スケートセンターまで特別参加、ジョー・レダック表記の文献もあり)は全日本プロレスには「ブッキングされて呼ばれる」のは初めて。
初来日は71年4月の日本プロレス第13回ワールド・リーグ戦、翌72年3月の第14回大会にはカナディアン・ランバージャックのリングネームで再来日(前回書いたバグジー・マグローのマイティ・ブルータスと一緒)。大物選手の壁に阻まれ、下位に終わっています。
79年9月、国際プロレスのダイナマイト・シリーズにマエース格として参戦、10月3日、青森県黒石市中央スポーツ会館でラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦。R木村の裸絞めの前に敗れましたが迫力ある試合ぶりで存在感を発揮。
10月5日、国際プロレスは後楽園ホールで「世界3大タイトルマッチ」を開催。(ニック・ボックウィンクルvsR木村のAWA、IWA両世界ヘビー級選手権試合、マイティ井上、アニマル浜口組vs大木金太郎、上田馬之助組のIWA世界タッグ選手権試合、ネルソン・ロイヤルvs阿修羅・原のNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合)。
大木は当時全日本プロレスにレギュラー参戦しており、この日全日本プロレスは横浜文化体育館でジャイアント・シリーズの開幕戦。
国際プロレスの吉原功社長は大木を借り受ける代わりにルダックを全日本に1日だけバーター参戦させています。
当時国際プロレスは新日本プロレスとの提携路線を走っており、全日本とは交流がなくなっていましたが吉原社長は馬場に仁義を切り、エース外国人のルダックを見返りに送りました。この日、ルダックはグレート小鹿と6分44秒、両者リングアウトの引き分け。
国際ではエースでも全日本では中堅の小鹿に勝つことも出来ませんでした。全日本プロレスのリングにはこの日以来4年半ぶりの登場となった訳です。
ルダックは翌80年4月のビッグ・チャレンジ・シリーズにも再来日。この時はマイク・ジョージと並んでの複数エースでしたが、ジョージが予想以上の大活躍をした為前回程は目立つことが出来ず。
それでも4月30日、弘前市体育館でR木村のIWA世界ヘビー級王座、5月15日、大宮スケートセンターで大木金太郎のインターナショナル王座に挑戦(いずれも2−1で敗退)しています。大木戦での額から流血したルダックが大木の新兵器X固めをかけられている写真は昭和プロレスの名場面でもあります。
今回は初の全日本プロレスシリーズ参戦となり、同じ国際プロレスからの転籍組であるロン・バスには負けたくないところでした。
シリーズ全戦参加はスタン・ハンセンの他2人。
大ベテラン、カンサスの猛犬ボブ・ブラウンは81年2月のエキサイト・シリーズ以来3年ぶりの来日。全日本プロレスでは常連でした。
人間発電所二世デビッド・サンマルチノは80年7月のサマー・アクション・シリーズに初来日して以来3年7か月ぶりの再来日。
偉大なる父親ブルーノの推薦で来日、82年にブルーノが東部地区出旗揚げしたIWFで活躍していましたがIWF活動休止によりWWFに出場。しかしビンス・マクマホンが実権を握るようになってからはリリースされていました。
小型ブルーノのようなパワーファイターでしたが日本ではあまり印象に残らなかったと思われます。
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