ワールドプロレスリングが、古舘アナ、桜井さん、山本小鉄という布陣になったことで、古舘アナは独特の古舘節と言われる比喩を用いた「闘いのワンダーランド」を始めとする名台詞でファンを魅了しました。
また、山本小鉄はテレビ解説者としての職責を全うすべく、「話し方教室」に通い、従来のプロレスラー、元プロレスラーの解説に見られがちなテンポの遅い放送の流に乗れていない解説とは異なり、滑らかでかつ熱の入った解説で視聴者を楽しませました。
山本は翌80年4月4日、川崎市体育館で引退試合を行い、星野勘太郎とのヤマハ・ブラザーズで国際プロレスの独立愚連隊、鶴見五郎、大位山勝三組と対戦。12分26秒、山本がダイビング・ボディプレスからの体固めで快勝。
その後行われた引退セレモニーでは鬼軍曹が涙を浮かべておりました。
38歳という若すぎる引退でしたが、76年2月のビッグ・ファイト・シリーズから出場試合数が激減。リーグ戦形式の大会も開幕戦で負傷させられて棄権とか出ると負けのパターンが多く、山本の小気味良いスピーディーなファイトを楽しみにしていたファンを落胆させていました。
この頃から、従来からやっていたマッチメーカーの仕事に加え、フロント業務が多忙となり、さらに当時はどこに行ってもお客が沢山入っており、まだ地方では当日券が大半を占めており、暴力団や窃盗犯対策として山本が現金を詰め込んだ段ボール箱を、若手と共に東京の事務所に持って帰る役割も果たしていて、山本に付いていた若手時代の佐山聡が段ボール箱を紛失したエピソードも聞いたことがあります。
また、マッチメークの方針で猪木、坂口と確執が生じたとも言われ、猪木が現役としての山本を冷遇して早期に引退させた、という説が有力です。
80年6月には審判部長に就任。厳格なレフェリングでファンの支持を得ており、毎週ゴールデンタイムにテレビに出ていたこともあり、現役時代より人気も知名度もアップしています。
ワールドプロレスリングでは桜井さんの存在感は薄くなり、古舘アナ、山本の影に隠れるようになりファンタジー溢れる解説は露出が少なくなりました。
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