78年3月3日、高崎市体育館大会セミファイナルは長州力、木戸修組vsイワン・コロフと藤波のメキシコ時代のライバル、カネック組の45分3本勝負。
カネックはこれが初来日第1戦となり、前77年辺りから、メキシコ修行中であった藤波のライバルとして、藤波との抗争がプロレス誌、ゴング、週刊ファイト等日本の専門誌(紙)でグラビアで紹介され、その存在が日本のファンに知られるようになりました。
それまでメキシコからのグラビアと言うと、ゴングのミル・マスカラス特集が中心でしたが、アレナ・トルーカでの藤波との対戦は藤波が額から流血する壮絶なラフバウトであり、カネックはラフにも強い新しいタイプのマスクマンとして来日が嘱望されていました。
リングに上がったコロフを見て私はあっ!と思わずビックリしました。体型が2回り位小さくなっていたのです。
1本目はコロフが長州から取りましたが、2本目は僅か41秒、長州がコロフから回転エビ固めでフォールを奪ってしまいました。
しかもCMの間に決着がついてしまい、放送が再開された時にはもう2本目は終了していてフィニッシュシーンは見る事が出来ず。
3本目はカネックがダイビング・ボディアタックで木戸を体固めに決め、2-1でコロフ、カネック組の勝利。
驚くべきはコロフの変貌ぶりで、前回の来日が76年11月の闘魂シリーズ第2弾。12月2日、大阪府立体育会館で猪木のNWFヘビー級王座に挑戦。
猪木をパワーで圧倒しアルゼンチン・バックブリーカーで猪木は完全に動けなくなりました。アルゼンチンに担ぎ上げた時に猪木の足がレフェリーのミスター高橋に当たり、レフェリーがダウン。
コロフの肩の上で動かなくなった猪木を見て、セコンドにいたパット・パターソンがリングに上がり、「お前の勝ちだ!」とコロフを祝福。
猪木がギブアップしたと誤認したコロフが猪木の身体を離しましたが、レフェリーダウンにより試合はまだ終わってはおらず。
慌てたコロフは今度はカナディアン・バックブリーカーに猪木を担ぎ上げようとしたところ、猪木はコロフの背中を滑り降りてバックを取っての逆さ押さえ込み。クイックであったものの3カウント入り、22分36秒、猪木が九死に『一勝』、薄氷の王座防衛となりました。
この試合の印象が強いだけに痩せたコロフの姿は衝撃的でした。
桜井さんは「コロフは減量に成功してスピードアップしましたねぇ!」
とコメントしていましたが、スピードアップよりもパワーダウンの方が目立ち、急激に萎んだ感がありありでした。
後から聞いた話ではコロフは「ダイナボウル」と言われたステロイドを使用し、身体を大きく見せていたとのことで、副作用に苦しみ薬を抜いた為に体型がスリムになったとのことでした。
日本ではトップではなくなりましたがアメリカでは仕事に恵まれ、フロリダ、ジョージア、ニューヨークのWWWFでも活躍。動きもスピーディーになり長く現役を続けることが出来ました。
コロフは今年17年2月に74歳で亡くなりましたが、この時ステロイドを抜く決断をしたので、この年齢まで生きることが出来たかと思います。
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