74年は猪木と新日本プロレスにとっては常に話題を提供し、試合内容も充実した躍進の1年でした。
外国人招聘ルートも旗揚げ時はカール・ゴッチを窓口としたヨーロッパ勢が中心でしたが、先に書いたように2年目の73年にはタイガー・ジェット・シンが来日、元日本プロレス取締役、遠藤幸吉がワールドプロレスリング解説者復帰のバーターで仲介したロサンゼルスのマイク・ラーベルのルートから日本プロレスにも来日していた外国人レスラーも多数来日。
カナダのモントリオール等のマリタイム地区のジョニー・ルージョーも新日本に協力。
ルージョーのルートで74年1月には「2人合わせて600kg」と言われた双子のデブレスラー、ベニーとビリーのマクガイヤー・ブラザーズが来日しています。
ポンチョみたいな(毛布にしか見えない)コスチュームにミニバイクを器用に運転して入場。リングインもロープは跨げないから下段から身体を転がしてリングに入る。
その動作一つ一つが、何ともユーモラスで微笑ましく、プロレス以外のマスコミにも大きく取り上げられて話題沸騰しました。
2月にはニューヨークWWWFからアンドレ・ザ・ジャイアント(モンスター・ロシモフ)が新日本に初登場。超大物プロモーター、ビンス・マクマホン・シニアとの取引を開始。
3月19日、蔵前国技館では猪木と国際プロレスを退団したストロング小林が対戦。
4月には旗揚げ3年目にして春の本場所、ワールド・リーグ戦を開催、決勝リーグ戦では日本人、外国人問わず総当たりリーグ戦が行われ、4月26日、広島県立体育館では猪木vs坂口の同門対決が実現。(30分時間切れ引き分け)。
5月8日、東京体育館で優勝決定戦が行われ、猪木がキラー・カール・クラップを降し初優勝、この大会にビンス・シニアが来賓として来日しました。
6月26日、大阪府立体育会館で行われた猪木とシンのNWF世界ヘビー級選手権試合は猪木がシンの左腕を骨折(亜脱臼)させるという衝撃的な結末。
8月1日、大阪府立体育会館、8日、日大講堂では猪木とゴッチによる実力世界一決定戦二番勝負が行われ1勝1敗に終わりました。8日の日大講堂ではミュンヘン五輪アマレス韓国代表だった吉田光雄(長州力)がデビュー。エル・グレコ(メキシコのオカマレスラーとは別人)をサソリ固めで撃破。
8月16日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで猪木、坂口組はカール・フォン・ショッツ、クルト・フォン・ヘス組に勝ち北米タッグ王座を獲得。新日本にもタッグのベルトがやって来ました。
8月30日、後楽園ホールにおける闘魂シリーズ開幕戦に元日本プロレスでインターナショナル王者の大木金太郎が姿を現し猪木に対戦を表明。9月10日、愛知県体育館のリング上から挑戦状を叩き付けました。
10月10日、蔵前国技館で猪木と大木が対戦(NWF世界ヘビー級選手権試合)し猪木がバックドロップからの体固めで勝利。
10月25日、後楽園ホールで開幕した闘魂シリーズ第2弾にはジョン・トロス、アーニー・ラッド、ザ・シーク、アンドレと大物外国人が時間差で特別参加。
国内最終戦の12月12日、蔵前国技館では3月の猪木戦に敗れた後、ニューヨークのWWWF地区でヒール修行をしていたS小林が再度、猪木に挑戦。
猪木が卍固めで返り討ちにして見せました。S小林、大木を破った猪木はこの年再三に亘ってマスコミを通じて挑戦表明をしていた馬場に「実力日本一を賭けて闘おう」とアピール。
暮れの12月15日には猪木が少年時代を過ごしたブラジルでの興行を開催、15日サンパウロでは猪木がアンドレとNWF世界ヘビー級王座を賭けて対戦し両者リングアウト。
12月19日、北伯のロンドリーナでは猪木、坂口組がアンドレ、トニー・チャールス組を降し北米タッグ王座を防衛とまさに躍進の1年でした。
この陰には、東スポ井上博社長、解説の桜井康雄さん(当時の肩書きは第二運動部長、ちなみに第一運動部長は山田隆氏)の功績があったことは見逃せません。
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