83年ジャイアント・シリーズ最終戦は11月3日、後楽園ホール大会(観衆3000人満員発表、テレビ収録)。
私はこの日初の「ハシゴ観戦」をしました。この日は文化の日、木曜日祝日で午後2時から新日本プロレスの蔵前国技館大会、午後6時30分より、全日本プロレスの後楽園ホール大会を観戦しています。
ハシゴ観戦は団体増加に伴い、最近は普通にプロレスファンの誰もがやっていて特に珍しくも凄くもなく、ダブルどころかトリプル(1日3大会観戦)も当たり前のようにあります。東京にいないと難しいですが、最近は大阪でも可能かと思います。
ですが34年前、団体が全日本、新日本、全日本女子しかなかった時代のハシゴ観戦というのは機会そのものも少なく、貴重でした。
隅田川決戦と言われた68年1月3日の日本プロレス蔵前国技館(馬場vsクラッシャー・リソワスキーのインターナショナル選手権試合)と国際プロレス日大講堂(ルー・テーズvsグレート草津のTWWA世界ヘビー級選手権試合)は実は時間差開催で日本プロレスが午後1時試合開始、国際が午後5時30分開始なのでハシゴは可能でしたが4歳なのでこれは論外。
最もこれは日本プロレスを放送していた日本テレビが当日午後5時より特番にてディレイ放送を行い、家庭用ビデオデッキが発売される遥か前の話ですから、国際プロレスを見に行こうとする浮游層の人々の出鼻をくじくのには成功しています。
この日がTBSによるレギュラー放送開始だった国際プロレスは午後7時からの生中継であり、テレビ放送は両方観ることか出来た訳です。
では実際観に行ける環境になってからは全日本女子の興行は除外したとして2回ほど後楽園ホールにおける昼夜興行がありました。
隅田川決戦から9年後の77年1月3日、昼は全日本(バトルロイヤル、馬場、鶴田組vsマーク・ルーイン、カリプス・ハリケーン『このシリーズに来ていたサイクロン・ニグロ』組、サムソン・クツワダvsキング・イヤウケア)、夜は国際(ラッシャー木村、寺西勇組vsリップ・タイラー、エディ・サリバン組、草津、マイティ井上組vsリッパー・コリンズ、ラリー・シャープ組)。こちらは昼の全日本のみ観戦。
さらに6年後のこの年83年1月2日には昼が全日本(バトルロイヤル、馬場、鶴田組vsキラー・トーア・カマタ、ヘラクレス・ヘルナンデス組、大仁田vsロッキー・ジョーンズNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級選手権試合)夜が新日本(猪木vsジェシー・ベンチュラ、藤波、キラー・カーン組vsマサ齋藤、長州組)で、こちらは全日本、新日本共に欠場し、行かなかったことに対して大変後悔が残りました。
この時は小中学生ギミックが通用しなくなった為、一般立見、もしくは指定席のチケットと増加するプロレス雑誌を購入する為に必死で(?)アルバイトをしておりました。
社員が休みを取りたがる正月はシフトを入れられることが多く、82、83年は全日本の正月後楽園大会「初詣のお帰りにみんな揃ってプロレス観戦」(当時の広告より)はお休みしています。
実際、ビデオデッキはバイトを頑張ったおかげで82年4月21日、新日本の蔵前国技館大会前に購入、(この時も猪木vsベンチュラ)この日の水曜スペシャル生中継を最初に予約録画して当日同大会を観戦に行けました。
ですがビデオソフトやビデオテープも高額でこれも費用がかさみました。ビデオパック・ニッポンから発売された猪木血戦十番勝負シリーズは20分で7000円、猪木最強タッグ戦シリーズ、海外雄飛編は30分9800円しました。全日本もVAPよりテリー・ファンク、スタン・ハンセンの試合がリリースされましたが、そこまでは金が回りません。
運転免許も取らねばと教習所にも行きたかったですし、プロレステーマ曲を聞くためのレコードやオーディオも欲しく、バイトは相当やりました。
ですから、ようやく巡って来たハシゴ観戦のチャンスだった訳です。
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