83年5月19日、赤穂市総合体育館(観衆2200人発表テレビ収録)で、鶴田はニコリ・ボルコフの挑戦を受けてUNヘビー級王座防衛戦を行っています。
ボルコフがUN王座に挑戦するのはこれが初めてではなく、72年7月30日、日本プロレスにジートとベポのザ・モンゴルズの片割れ、ベポ・モンゴルとして来日した時に福岡スポーツセンターで当時の王者、坂口征二に挑戦。
1本目は反則、2本目は体固めで2-0でストレート負けを喫しています。
ちなみにこの前日の7月29日、馬場が日本プロレスを退団、独立する旨の記者会見を行っています。
馬場は「興行を買っているプロモーターに迷惑はかけられない」と福岡大会は勿論、シリーズ最終戦の8月18日、石巻市総合グラウンド特設リング大会まで試合に出場しております。
ベポはその後モンゴルズを離れ、ロシア人ギミックのニコリ(ニコライと表記する文献も多数有)・ボルコフに変身。WWWFでフレッド・ブラッシーをマネージャーにシングルプレイヤーとなりました。
WWWFと新日本プロレスの関係から74年8月の闘魂シリーズにエース格として来日、この時はタッグマッチながら猪木からフォールを奪っています。(9月3日田園コロシアム2本目)
その後は3番手位のポジションで新日本のレギュラーとなりましたが81年にWWFを離れフロリダへ転戦。5月の第4回MSGシリーズに参加が予定されていましたがキャンセル。
ここで勃発した全日本と新日本の引き抜き抗争の影響もありスタン・ハンセンの陰に隠れた面はありましたが、82年1月の新春ジャイアント・シリーズより全日本へ移籍。
ハンセンとタイガー・ジェット・シン、チャボ・ゲレロ等一部の選手以外は大概使い捨てにされていましたがボルコフは2月3日、横浜文化体育館(ニック・ボックウィンクル)、10月9日、高知県民体育館(ブルーザー・ブロディ)とパートナーを代えて馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦。
いずれもボルコフがフォールを取られて敗退しましたが内容的には悪くなく、スケールの大きなパワーファイトは馬場の好みに合っていたかと思われました。
しかし、この日のUN戦は鶴田の防衛戦では過去最短(3本勝負時代の1本は除外)の僅か7分6秒、ジャンピング・ニーパット、バックドロップから体固めで鶴田のフォール勝ちで4度目の防衛。
大型パワー・ファイターのボルコフは試合が長いタイプではなく、切り札バックドロップを出した点は考慮してもタイトルマッチ7分ではやはり翌週に控えるブロディのインターナショナル・ヘビー級王座挑戦に向けてボルコフは「噛ませ犬」にさせられてしまった感が大でした。
セミファイナルは天龍とブロディの一騎討ち。先シリーズの4月16日、愛知県体育館ではインターナショナルのベルトを賭けて対戦、ブロディが勝利。
今回はノンタイトルでしたが、ブロディはカウンターのビッグブートの連発から最後はレフェリーの死角をついて、ロープを掴んだ状態でのエビ固めでフォール勝ち。反則を織り混ぜながらの勝利でした。
この日から特別参加のロディ・パイパーは6月3日、旭川市総合体育館常盤分館で馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦するパートナーであるディック・スレーターと組んでアジア・タッグ王者チームである阿修羅・原、マイティ井上組と対戦。
巧みな連係プレーを見せてパイパーがM井上を片エビ固め。素顔では6年ぶりの来日となるパイパーは大物感が漂ってきており、強さは感じなかったものの、上手かったです。
馬場はビル・アーウィンを16文キックからの片エビ固めで降し、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座決定リーグ戦ではチャボとマイク・デービスの外国人同士の対戦が組まれ、安定した強さを見せるチャボがジャーマンで勝利し3勝目の6点を獲得しベルトに近づきました。デービスは三沢光晴に勝ったのみの2点となっています。
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