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2017年01月29日11:59

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ジャンボ鶴田怪物伝説(318)

83年4月27日、兵庫・西脇市総合市民センター(観衆2500人発表)では鶴田がブルーザー・ブロディのインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。

前回の挑戦は前82年10月7日、大阪府立体育会館で挑戦し両者リングアウトになっていますが、それから半年以上空いていました。

試合はショルダータックルの応酬から鶴田がロープに飛び、再度タックルにいったところ、ブロディにかわされ、レフェリーのジョー樋口に激突。

樋口はダウンして場外で失神、その間場外から椅子を持ち出したブロディが鶴田の脳天を一撃。もう一撃とばかり椅子を振りかぶったブロディのボディに鶴田がキック、ブロディの椅子を奪い取って反撃。

しかし、蘇生した樋口レフェリーがこれを見ており、15分40秒鶴田の反則負け。

ブロディがタイトル防衛に成功、このシリーズブロディは天龍、テリー、ドリー、鶴田の4人を相手に2勝2分の成績でタイトルを守り切りました。

この一戦を機に次期シリーズ以降、鶴田のインターナショナル獲りが本格化していきます。

シリーズ最終戦は4月28日、京都府立体育館(観衆8200人発表、テレビ収録)のメインイベントは世界最強タッグリマッチ2回戦最終公式戦、馬場、鶴田組vsスタン・ハンセン、ブロディ組。

京都府立体育館は1万人収容規模の大会場で全日本プロレス初使用。京都は大阪に近いせいか、なかなかプロレス興行が定着しませんでした。

日本プロレスが71年11月29日に開催して以来しばらく間が空き、新日本プロレスが75年1月に開催。

全日本は2000人収容規模の京都・日本正武館を76年1月24日に初使用。馬場、ザ・デストロイヤー組vsディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー組がメインでした。

セミに出場した鶴田はターザン・タイラーを相手にミサイルキックを初公開しています。

正武館館長の鈴木正文は東映の千葉真一、志穂美悦子主演の映画にも出演、プロレスには理解を示し新日本の猪木vsザ・モンスターマン戦のレフェリーを勤めたことで知られる人物でした。

翌77年10月4日には新日本も日本正武館初使用、テレビ収録で猪木vsハンセンのシングル戦を組みました。(猪木の反則勝ち)

ミル・マスカラス、ドスカラスのマスカラス・ブラザーズが初来日した78年のサマー・アクション・シリーズ2の最終戦9月14日にもテレビ収録で使用されました。

京都府立体育館は79年12月13日、新日本が猪木vsキム・クロケードの異種格闘技戦、藤波vs木村健吾のWWFジュニア・ヘビー級選手権試合、坂口vsウリイエム・ルスカの柔道ジャケットマッチを開催。

京都には他に京都市体育館、KBSホール、福知山市三段池記念体育館、醍醐グランドーム、亀岡市体育館などでプロレス興行が行われており、一番キャパの広い府立での開催でしたが豪華メンバーによる最終戦とあって8200人を動員しています。

実際に京都でのプロレス興行が増加していったのは90年代以降であり、小橋健太(建太、全日本→ノア)、中西学(新日本)、天山広吉(新日本)、高岩竜一(新日本→ゼロワン→フリー)、中邑真輔(新日本→WWE)など京都出身のレスラーが成功を収めたのが大きな要因です。

さて、試合の方はブロディが鶴田にペンデュラム・バックブリーカーを決めたまま固定。そこへハンセンがコーナーポストからフライング・ニードロップ。

ブロディが鶴田をロープに飛ばし、ハンセンがウエスタン・ラリアット一閃、13分9秒、ハンセンが鶴田を体固め。

これにより、ハンセン、ブロディ組が4点を挙げて優勝。賞金10万ドルを獲得しました。ファンクスと馬場、鶴田組は3点で終わりました。

セミファイナルはファンクスvsハーリー・レイス、天龍組という好カードで両チームリングアウトの引き分け。

このシリーズ、82年4月、11月に続く鉄人ルー・テーズが鶴田にバックドロップの奥義を伝授。

82年4月、最初にテーズの指導を受けた鶴田は従来のドリー式とされる相手の足を抱えて弧を大きくして後方に投げるスタイルから、相手の腰を横抱きにしてグリップし投げるテーズ式にシフトチェンジ。

6月8日、蔵前国技館でのリック・フレアーとのNWA世界ヘビー級選手権試合から赤青の三ツ星タイツから黒タイツに変え、「完全無欠のエース」路線を歩き初めました。

ただ、まだこの時期鶴田のバックドロップは相手の後ろ側に回ってからジャーマン・スープレックス気味に投げていました。

(主なフィニッシュシーンとしては82年8月19日越谷市体育館でのフランク・デューセック戦、83年1月7日、高松市民文化センターでのヘラクレス・ヘルナンデス戦、同2月25日、愛知県体育館でのトミー・リッチとのUN戦などがある)

テーズはシリーズ終了後も日本に残留し鶴田に細かく指導。

これにより鶴田のバックドロップは相手の脇の下から頭を入れて腰を抱いてグリップし居反り越しに投げる全盛期のスタイルに進化していきました。
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