mixiユーザー(id:21258650)

2017年01月07日12:19

950 view

ジャンボ鶴田怪物伝説(298)

80年1月の新春ジャイアント・シリーズに出場せずアメリカ遠征に出た高千穂明久はミズーリ、カンザスのセントラル・ステーツ地区で試合を行っています。

仕事が出来る職人、高千穂はローカルテリトリー全盛期のアメリカマットではどこでも試合にあぶれることはありません。

タカチホのリングネームでヒールとしてパク・ソンナン(朴松男)とタッグを結成しました。

4月17日には、カンザス州カンザスシティ・メモリアルホールでブルーザー・ブロディ、アーニー・ラッド組(この年の7月に一緒に全日本に来日)を破りセントラル・ステーツ地区タッグ王座を獲得。

また5月10日にはカリフォルニア州サンフランシスコでパクとのタッグでディック・マードック、ボブ・ブラウン組を降しUSタッグ王座も獲得、タッグ二冠となりました。

馬場によく似たパクのような巨人系レスラーを強く見せることは熟知しており、ヒールのトップとして活躍、NWAの総本山ミズーリ州セントルイスのキール・オーデトリアムにもミドルクラスのポジションで出場。

カンザスには80年一杯いましたが、暮れにテキサス州ダラスの鉄の爪フリッツ・フォン・エリックから一本の電話が…。

「東洋人のヒールを探している。ダラスへ来い」

ダラスを主戦場にしていてウマの合っていたブロディがいたこともあり、ダラスへ81年1月から転戦することを決意しました。

ダラスで高千穂を待っていたのはヒールマネージャーとして知られたゲーリー・ハートでした。ゲーリーにはとあるプランがありました。

ゲーリーは高千穂に日本の歌舞伎役者の写真を見せて、「お前にこの姿が出来るか?」と訪ねました。

実はゲーリーは以前にもカブキという顔面にペイントを施したギミックレスラーをマネジメントしていたことがありました。

初代カブキはフィリピン人のレイ・ウルバノというレスラーが名乗っていました。メイクは白塗りにアイラインを入れただけの簡単なものでレスラーとしても三流の域を出ませんでした。

ウルバノはゲーリーと別れた後はカブキとして日本でもよく知られたジェス・オルテガをマネージャーとして試合をしており日系人と称していました。

しかし、今度来たのは紛れもない本物の日本人レスラーの実力者、ゲーリーは高千穂にカブキに変身するように依頼、そのコンセプトを丁寧に説明しています。

最初はマスクマンをやるものと思っていたようですが、実際はペイントレスラーを要求されました。

「ペイントだと試合中に剥げ落ちてしまうのでは?」という懸念もありましたが、いくつかの化粧品を重ねて使用することによりこれを回避。

そして高千穂はカブキに変身することを決意、「高千穂明久はミズーリ川に身を投げて死んだ」という名言を残し、本格的ペイントレスラー、ザ・グレート・カブキに変身したのです。

カブキのパフォーマンスの最大の見せ場である「毒霧」はシャワールームで偶然ヒントを得たものと言われており、カブキ以降もグレート・ムタを初め多くの東洋系ギミックのレスラーが真似をしていますが、カブキ曰く「企業秘密」とのことですが、コンドームに液体を詰めて口に入れ、噛み切って吹き上げている、という説が通説になっているようです。

カブキとしての第1戦は1月10日、ダラスでのザ・スポイラー(ドン・ジャーデン)との試合でノーコンテストとなっています。

1月18日には早くもブロディとのシングル戦が組まれ両者リングアウト。

ブロディのダラスでのポジションはベビーフェイスでありフリッツの息子であるケビン、デビット(フォン・エリック)の助っ人的存在でヒールのカブキはキラー・ブルックス、ゲーリー、チャン・チュン(桜田一男)らと組んでエリック兄弟との抗争を展開しています。

プロレス誌、ゴング等にカブキのカラーグラビアが掲載され大きな話題を集めました。

82年4月には園田一治(ハル薗田)がダラスに転戦して来ました。

園田はマスクマンのマジック・ドラゴンとしてカブキのパートナーを務めています。

82年6月6日、ダラスのテキサス・スタジアムでフリッツの引退興行が行われました。

フリッツはキングコング・バンディのアメリカン・ヘビー級王座に挑戦しエニウェアフォールルールでこれに勝利し王座獲得、花道を飾りました。

この日カブキはMドラゴンと組んでケビン、デビットのエリック兄弟と対戦、反則勝ちでオール・アジア・タッグ王座を防衛しています。(王座の変遷は不明、おそらくフリッツが適当に作ったタイトルかと思われる。)

5人の息子達に祝福されて53歳でリングを降りたフリッツ。この時はダラスのエリック王国に明るい未来が来ると誰もが思ったのですが…。

この大会の模様は10月2日土曜日に午後7時からテレビ東京で単発放送(関東地区)され、カブキの試合も放送されました。

インターネットのない時代でしたから「動くカブキ」は日本のファンに強烈なインパクトを与え、全日本プロレスの事務所には「カブキが見たい」というファンからのリクエストが殺到。

82年の暮れに馬場からカブキのもとに電話があり帰国命令が出ました。

カブキ「素顔で、ですか?」

馬場「馬鹿野郎、そのまんまだっ!」
10 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年01月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031