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2016年09月19日23:11

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猪木とビンス(363)

ビンス・マクマホンによる全米制圧は興行戦争を仕掛けるに留まらず、ケーブルテレビの番組買収も行っていました。す

84年7月14日、NWAジョージア地区の試合を放送していたWTBS(米国TBS、ターナー・ブロードキャスティングシステム)の時間枠を買収し長年高視聴率を誇っていたジョージア地区の中継を終了させ、WWFの中継を開始させました。

同時にNWAジョージアの代表であったジム・バーネット、株主のジャックとジェリーのブリスコ兄弟が所有していた株式をビンスが取得。

NWAの中枢に大きな風穴を開けました。ジョージアと言えばNWAの中でも黄金テリトリーであり、NWAタイトル管理委員でもあったバーネットとブリスコ兄弟の裏切りはNWAメンバーに大ダメージをもたらしました。

当時、NWAジョージアのブッカーをしていたオレイ・アンダーソンのやり方にバーネットとブリスコ兄弟は不満を示しており、不仲を知ったビンスが付け入り、ジョージアという優良マーケットを手中に収めた訳です。

バーネットにとってはプロレスビジネスは投資に過ぎず、オーストラリアで稼いだ資金でジョージアのマーケットを買い取り、さらにそれをビンスに転売したということになります。

ブリスコ兄弟と言えば、今の若いプロレスファンはROHのマークとジェイを連想されるかと思いますが、既に60年代からプロレス界に君臨。

兄ジャックは元NWA世界ヘビー級王者であり、日本では馬場にベルトを奪われた(74年12月2日、鹿児島県立体育館)ことで知られ、新日本プロレスにも79年4月に1度だけ参戦し猪木のNWFヘビー級王座に挑戦しています。(5月10日、福岡スポーツセンター、16分49秒首固めで負け)

弟ジェリーは日本プロレスと全日本プロレスに来日、日本ではこれと言った実績は残していませんがアメリカではドリーとテリーのザ・ファンクスとブリスコ兄弟はライバル関係にありました。

僅か1か月半前の5月29日にはWWFの侵略に対抗すべく、ノースカロライナのジム・クロケット、プエルトリコのカルロス・コロン、馬場と組んでWWFの本拠地であるニューヨークに程近いニュージャージー州イースト・ルーサーフォード・メドーランズ地区のブレンダン・バーンアリーナでショーを開催したばかりだけに、NWAには大きな衝撃を与えました。

この年8月のNWA総会では会長にボブ・ガイゲル、第1副会長に馬場が選出されていますが、馬場は他国のプロモーターであり、NWAはアメリカ国内にクロケット以外に有力なプロモーターがいなくなっていたことを証明してしまいました。

ジョージア、クロケットのノースカロライナと並び、数年前まで黄金マーケットであったフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロリダ)は代表のエディ・グラハムが金融投資の失敗からノイローゼ状態になっており、翌85年1月には55歳という若さでピストル自殺を遂げることになり、とてもビンスと闘えるだけの力は持っていませんでした。

逆に勢力を増して来たのがプエルトリコのコロン主宰のWWC(ワールド・レスリング・カウンセル)で82年にNWA総会をプエルトリコのサンファンで開催したのを契機にNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーやハーリー・レイスを度々招聘。

全日本プロレスにも所属選手をブッキングし70年代後半から80年代後半まではプエルトリコ勢がよく来ていました。しかし、レスリングのレベルは低く馬場は低コストと義理で呼んでいたように思います。

このようにビンスが全米制圧を始めてから僅か半年で巨大カルテルNWAは弱体化。ビンスの思うつぼになって来ていました。

そんな中、猪木は7月20日の札幌大会が終わると、7月23日、ニューヨークMSGで行われた「ビンス・マクマホン・シニアメモリアルナイト」に参加の為、サマー・ファイト・シリーズを途中欠場して渡米しています。
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