84年3月8日、フジテレビは4月11日から放送開始予定の「スポーツ・スクランブル」内でのプロレス中継を断念することを発表しました。
当初、新間寿から持ち込まれた企画書によれば、猪木、長州、タイガーマスク、前田日明らの参加が予定されており、外国人選手もハルク・ホーガン初め、アンドレ・ザ・ジャイアント、ボブ・バックランド、ディック・マードック、アドリアン・アドニス、ジミー・スヌーカらWWFのトップスターがきら星の如く名前を連ねていました。
第3団体との交渉に当たっていたのはフジテレビの下請制作会社共同テレビでしたが、企画書にあった選手がほとんど参加しなかったことで話が立ち消えになったものです。
結局のところ、猪木がテレビ朝日とフジテレビの2局放映を目論み、団体を分割させる方向で第3団体の旗揚げを新間に指示していましたが、テレビ朝日の強硬なる反対にあいました。
猪木の動きを一早く察知したテレ朝サイドは「もしフジテレビが放送するようなことになったら、ワールドプロレスリングの放送を直ちに打ち切る」と通告。
猪木はテレ朝の強硬姿勢に慌て、第3団体参加の話はなかったことにしてしまいました。
フジテレビとしても猪木が来なければそもそも話自体が交渉の土台には乗らず、放送中止の決断を下すことは当然の話でした。
しかし、猪木の密命を受けた新間は既に第3団体をスタートしており、フジテレビが放送中止を発表した同日の3月8日、新宿にある事務所で新団体ユニバーサル・レスリング・フェデレーション(略称UWF、法人名はユニバーサル・プロレスリング株式会社)の事務所開きが行われています。
代表取締役には健康飲料の会社を経営していた新間の中央大学の後輩にあたる浦田昇が就任、新間は代表権を持つ会長の肩書きでした。
浦田氏は中央大学レスリング部出身でマサ齋藤の後援会長として活躍していました。
取締役は小出功(代表権有)、川島実、木村実、村田二郎の各氏、フロントには新日本プロレスを退職した吉田稔が営業部長、上井文彦が営業部次長に就任、伊佐早敏男が企画宣伝部長、鈴木公毅総務経理部長ら精鋭部隊が固めました。
新日本フロントの中枢にいた吉田、上井、伊佐早らが初期メンバーに名を連ねていたことから見てUWFが猪木公認だったことがわかります。
記念すべき事務所開きの当日にフジテレビの放送中止の報を聞いた新間は旗揚げ「オープニング・シリーズ」を4月11日、大宮スケートセンターから17日の蔵前国技館まで行うと発表。
スポーツ・スクランブルの放送開始予定に合わせて4月11日には大宮スケートセンターを開幕戦として会場を押さえていたのです。
新間は「猪木は来る、WWFのトップ外国人選手も来る」と強気の姿勢は崩していませんでした。
フジテレビが中継を見合せしたことでWWFも商売にならないと判断したか、選手をUWFに送ることはありませんでした。
新間と友好関係にあったメキシコのUWAからはペーロ・アグアヨ、エル・シグノ、エル・テハノ、ネグロ・ナバーロのロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ、マノ・ネグラらをブッキングしてもらいました。
また、新間を自分をメキシコに送り込んでくれた恩人と仰ぐグラン浜田も新日本を退団しUWFへ参戦。
軽量級だけでは話にならずですが、旗揚げオープニング・シリーズのポスターには新間の写真を中央に、「私はプロレス界に万里の長城を築く」「私は既に数十人のレスラーを確保した」と言うキャッチコピーのもとアグアヨらは「参加決定選手」と題して下の部分に、
「参加予定選手」として猪木を初め長州、ホーガン、アンドレ、バックランド、マードック、アドニス、ローラン・ボック、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ポール・オーンドーフ、マサ齋藤、タイガー戸口達の写真が並び大いに物議を醸しました。
新日本から姿を消した前田、ラッシャー木村、剛竜馬はもちろん、藤原喜明、高田伸彦の顔写真もありました。
参加予定選手の大半は新日本プロレスと契約している選手ばかりで、普通の感覚からいけば新日本がポスターへの掲載中止を通告するか、最悪訴訟になっても良さそうな話ですが、それがなかったことは新日本側にも負い目があったと言うことかと思われます。
ログインしてコメントを確認・投稿する