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2015年03月09日22:13

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ジャンボ鶴田怪物伝説(169)

馬場が東スポの後援を取り付けたことで、73年10月9日蔵前国技館大会は表向きは全日本プロレスの単独開催となりました。

東スポはスキャンダラスさを売りにする猪木の新日本プロレス贔屓であり、新日本が10月14日、蔵前で開催を予定していた猪木、坂口組vsルー・テーズ、カール・ゴッチ組の「世界最強タッグ戦」の後援を一早く決めており東スポに紙面の扱いも新日本に負けたくはなかったと思います。

大木金太郎、上田馬之助以下日本プロレスの残党はそれでも我慢をしました。しかし、最後に来て、沖識名の引退式で馬場から渡された「功労金」があまりに少なかったことに対して上田と松岡厳鉄が激怒。

テネシー州での修行中にギャラのピンハネ問題で日系プレーイング・マネージャーのトージョー・ヤマモト(PYチャン)の腕を折り、車で逃げてテネシーを去った武勇伝を持つ上田と松岡は蔵前大会を最後にアメリカへ旅立ち、全日本を離脱しました。

松岡はその後プロレス界から去りましたが上田はフロリダ州ペンサコーラを本拠地にフリーとして暴れまくりました。

76年4月、上田は国際、新日本、全日本の3団体に挑戦状を叩き付けました。

それまで、日本マットと関わらなかったのは、上田ら日本プロレスの残党は73年に全日本と合併した時に、日本テレビとも3年契約を結んでいたからです。

リングの上ではアウトローの上田でしたが、リング外では業界のルールは守った訳です。

この上田の挑戦に一番早く反応したのが国際の吉原功社長で、吉原社長は76年5月のビッグ・チャレンジ・シリーズに上田を外国人側として招聘しました。

上田は前髪を金髪に染め日本人として初めて「外国人側の控室から出てくるヒールレスラー」となった訳です。

6月11日、古河市立体育館で上田はラッシャー木村に凶器攻撃からフォール勝ちしIWA世界ヘビー級王座を獲得。

木村を倒したことで、モハメド・アリと猪木の一戦の後、興行の話題に乏しかった新日本が上田に猪木挑戦を餌に接近。

しかし、新日本が上田に課した条件は、業界のルールを破るものでした。

「木村とのリターンマッチに勝ち逃げしIWAのベルトを持って来い」

IWAは国際の看板タイトル、上田は新日本に行きたければ木村に負けてベルトを置いていくのが業界のルールです。

とは言え、木村に負けてベルトを失った上田を新日本が使うとは到底思えず上田は二者択一を迫られました。

所詮は団体に所属しないフリーランサーの上田、木村に負けた後の仕事の保証はありません。

国際よりは、話題性にこと欠かない猪木の新日本に上がった方が稼げるのは事実、また関東ローカルの東京12チャンネル(テレビ東京)の国際より全国ネットのNET(テレビ朝日)に出た方がより知名度を上げることは必須でした。

アリ戦の不評で評価を落としたとは言えこの時点でまだ馬場の全日本より新日本が優位だったのも上田のプロとしての判断だったでしょう。

7月28日、銚子市体育館での木村とのリターンマッチは完全決着が着くはずの金網デスマッチでしたが、金網のドアを両者が開けて出てしまい、没収試合という前代未聞の結末になってしまいました。

上田のタイトルも没収となり、両者改めて7月31日、越谷市体育館でのシリーズ最終戦で金網デスマッチで王座決定戦となりました。

ですが、上田は越谷大会に左腕を三角巾で吊った姿で登場、銚子大会で腕を痛めて欠場、木村との王座決定戦は棄権し、代打にスーパー・アサシン(ロジャー・スミス)を指名しています。

木村はアサシンを破り、IWA世界ヘビー級王座に返り咲きしましたが結果上田に勝ち逃げされています。

銚子大会の後、7月29日藤岡、30日黒磯と上田は普通に試合に出ていますから、この負傷はギミックだったと言っていいでしょう。

上田はこれで晴れて新日本のリングへ移籍となりました。

新日本プロレス側は手回しが早く、8月5日、蔵前国技館のリングで元IWA世界ヘビー級王者、ストロング小林が上田を迎え打つと発表しました。

結果、前日の4日になり、上田が「俺は猪木以外には興味がない」と小林戦を拒絶。

これは木村との王座決定戦を負傷棄権しながら1週間も経たないうちに新日本のリングで小林と試合をして「勝って」しまったらさすがに不味いという上田側の判断だったと思います。

結果、8月5日蔵前のリングに上田は現れましたが、タイガー・ジェット・シンとのNWF世界ヘビー級選手権試合を両者リングアウトで防衛した後の猪木に挑戦状を叩き付け、暴行を加えたにとどまりました。

上田の左腕にもちろん三角巾はありませんでした。

IWAのベルトを手土産に持って来られなかったことで上田は新日本のリングに上がる迄、遠回りを強いられました。

次期76年闘魂シリーズには上田の名前はなく、上田は10月6日、大阪府立体育会館と翌7日、蔵前国技館に乱入。

蔵前では特別試合として2月6日、日本武道館で猪木に敗れ、再挑戦を要求していたウィリエム・ルスカの柔道3人掛けマッチ(相手は永源、荒川、栗栖)のレフェリーを務めた山本小鉄と番外マッチを行い小鉄を血だらけにして事実上のKO勝ちを収め、喧嘩マッチに強いことを証明して見せました。

しかし、次の闘魂シリーズ第2弾でも上田の登場の機会はなく、一部では大晦日に紅白歌合戦の裏(この年の大晦日は金曜日)番組として都内の大会場で猪木vs上田戦を生中継で行うかと報道されましたがこれも見送りとなりました。

年が明けて77年1月7日、越谷市体育館での新春黄金シリーズ開幕戦のリングに上田はシンに付いて試合に乱入。

新日本プロレスはまず上田にシンのパートナーとしてのポジションを与えました。


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